2014/10/05

ぞけさって誰よ

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NHKの新しい連続テレビ小説「マッサン」で蛍の光を歌うシーンがあった。小学生のころ、この歌詞の「あけてぞ/けさは/わかれゆく」のところがわからなくて、てっきり「あけて/ぞけさは/わかれゆく」だと思っていた。メロディーもそういう切れになってるしさ。そうか、そうか、スギの戸を開けて「ぞけさ」というヒトが別れ行くんだと思っておった。昔から、ひとにものを訊ねることが嫌いで、我流で間違ったことを覚えるという悪いくせがあったのであります。ほんとに、もう、ぞけさって誰よ。(笑)

向田邦子の「眠る杯」ですな。

むかしなにかで書いたような気もするが、仰げば尊しにもあるね。「おもえば/いととし/このとしつき」の「いと疾し」を「愛おしい」という意味だと勘違いし、「いまこそ/わかれめ」の「こそ——め」の係り結びを、割れ目と同じように「別れ目」だと思っていた。いや、この歌、もしいまでも卒業式なんかで歌う学校があったらいまの女子高生なんかぜったい、「ちょー、別れ目」と思っているに違いない。「め」は意志を表す「む」の已然形なんて言っても、「やばっ」てなもんだよなあ。

などと、むかしはモノをしらざりき、みたいなことを書いているが、じつは、今日の今日まで勘違いしていた歌詞があったので、恥ずかしながらご披露します。wikiで金比羅さんのことを読んでいたら、「こんぴらふねふね」という例の唄がのっていた。

こうあります。

こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ

わたし、これ「お池」だと思っておりました。金毘羅さんのおもちゃの船を、子供が小さな池でふうふう息を吹いて走らせてる光景だと思い込んでいた。いやはや、お笑い下さいませ。(笑)

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2014/09/25

読書灯のこと

父が入院したので交代で付き添うことが多くなった。
もっとも穏やかに眠っている間は、とくにすることもない。ちょうどいい読書時間なのだが、夜中はさすがに薄暗い。しばらく、小さなマグライトを読書灯にしていたが、ふと思いついて、夜間飛行や深夜バスの乗客向けの商品があるはずだとネットで探すと、写真のようなパネル式の読書灯がAmazonにありました。980円と値段も手頃。
アクリルの透明なパネルを頁の上において、3つのLEDランプでパネル全体を明るくして、下の文字を読むと言う方式です。

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使用してみての感想をご参考まで。

  • 真っ暗な部屋より、すこし薄暗い(けれど本は読めない)というくらいの場所に適する。
  • 電池(単4三本)をいれても軽いので読書の邪魔にはならない。
  • 発光するランプの光がもうすこし均等になればよい
  • パネルのくもりや小さな疵が発光させると目立つ。わたしの場合は裏表はあきらめて、ましな片面だけを使っています。
少々値段は張っても、パネルの材質をスマートフォンの硝子程度にし、光源をもうすこし均等にパネル内に照射するような製品がほかにあれば、文句なく「買い」ですね。
まあ、値段が安いので、これはこれで十分な性能ではあります。


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2014/06/07

意外な人物像『カント先生の散歩』

『カント先生の散歩』池内紀(潮出版社/2013)を読む。
なにをどうまちがっても、余生で『純粋理性批判』なんてものを読むことは絶対にないので、この本を読まなければ、カントという人がどういう人であったかなんてことは知らないままだっただろう。まあ、知ったからといって、どうということはないのだけれど、無知による先入観をくつがえされるのは、いつだって新鮮で楽しい。

カント先生の意外な素顔——

その一。
その哲学は、薄暗い書斎の深い孤独な思考によって生み出されたものではなくて、ケーニヒスベルク(バルト海の真珠!)に居を構えたイギリス人商人ジョセフ・グリーンとのおしゃべりによって生まれた。この二人は「形而上的言葉をチェスの駒のように配置して知的ゲームに熱中した」(p.61)。『純粋理性批判』にはグリーンと対話しその批判を受けなかったものは一行もない、とのちにカントは語った。

その二。
カントは生涯独身だったので、食事に招待されることがありがたかった。しかし陰鬱な哲学者では毎回ディナーに招かれることはあり得ない。カントは話術に巧みで、下々のドイツ語にも通じており、座を盛り上げてくれる、貴族や大商人にとってつねにありがたい客であった。

その三。
カントは、ケーニヒスベルク大学哲学部の学部長を三度、大学の総長を二度つとめた。世俗的な駆け引きにおいて、決して敵たちにひけはとらなかった。フランス大革命のあとの欧州のハイパーインフレで多くの金持ちや貴族が没落していくなかで、大局的な将来予測から賢明な投資をして晩年にはアカデミズムの住人にはあり得ないような資産を築いていた。

池内さんの文章は例によってシャープだが、そのまなざしはあたたかい。


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2014/06/04

暗くて深い川『女のいない男たち』

村上春樹の『女のいない男たち』を読む。
〝男と女の間には〟ではじまる「黒の舟歌」を連想したのはわたしだけか。なんだか老大家の円熟した芸を見せられてるみたいだなあ、などと思ったが、よく考えれば、この作家が昔風の文壇にいれば、まさにそういう大御所の巨匠になっているはずである。
いや、わたしが知らないだけで、じっさいにそう呼ばれているのかもしれないけれど。もしかしたら。

「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」の6篇で、ふたつの作品に共通する場所(ジャズのLPレコードをかけているバー)がでてくるが、連作というほどのつながりはない。もっとも、「まえがき」を読むと、これらがあるやっかいな情念を共通のモチーフにしていることがわかる。
読了した後で、もう一度、この「まえがき」を読むと、なにがどうというのはむつかしいのだが、なんとなく言わんとするところは、わかるような気もしないではない。
まあ、例によってするする読めるけれど、ちょっと(精神の)胃にもたれる感じもあって、個人的にはあんまり好きになれないな。


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2014/06/02

タイムトラベルはいつも切ない『11/22/63』

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スティーヴン・キングの長編で訳者が白石朗とくれば、これはもう安心保証付きみたいなもんである。だからもちろん大いに楽しんだ。面白かった。堪能した。
しかし、傑作かと問われれば、残念ながらいまひとつかなという感想。

1945年8月15日という日が日本人にとって説明不要であるように、1963年11月22日は、アメリカ人にとっては、J・F・ケネディの暗殺の日として記憶に刻み込まれているのだろう。わたし自身のかすかな記憶にも、実験中の衛星中継で流れた白黒のニュースの映像が焼き付いている。
本書の「著者あとがき」によれば、キング本人は、積み上げれば自身の身長ほどになる関連書籍を渉猟した上で、真相は退屈なウォレン調査委員会の報告がまちがいないだろうという立場である。すなわち、リー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯説。まあ、これについてはわたしには、知識が欠けているので適否は判断しようがない。ただ、本書のなかで描写されるオズワルドの横顔は、なるほど暗殺者はこうして生まれるものかもなあ、というリアリティがあった。もう細かい内容は、すっかりこぼれ落ちたが、ジェームズ・エルロイの『American Tabloid』の断片にも通じる。

だが、読了されたされたみなさんからは、いやそうじゃなかろう、本書の紹介をするなら、全然別の切り口が必要じゃないか、と責められるだろう。たしかに、本書は現代史のうんちくを得るためのオハナシじゃないのですね。ではなんであるか。ズバリ、これは「ある愛の歌」なんですなあ。

そして、ここが、まさにわたしが残念ながら傑作とまでは言いかねると評するゆえん。だってね、タイムトラベルに男と女の愛をからめれば、これは過去のこのジャンルの定型といってもいいくらい、切ないものになるにきまっているんだなあ。
せっかく、キングらしい、果断さでタイムトラベルものの掟破り(歴史を変更することを目的とした時間旅行)をしたんだもの、それではすこしロマンチックが過ぎると言うものでは・・・。


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2014/05/20

キュートな「タイピスト」

ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』によれば、現在のキーボードの配列は、タイプライターが作られた当時、隣接したキーが絡まないように、わざと打ちにくく並べたのだそうですが、フランス映画「タイピスト」のなかに、まさにその早打ちのトラブルが出て来て面白かった。

この映画、見ている途中で、ははあ、これは「麗しのサブリナ」と「マイ・フェア・レディ」へのオマージュだな、とわかる仕掛けで、どちらの映画もお気に入りのわたしは、見ていてとても楽しかった。
時代の設定は1958年だそうですが、クルマとか、ドレスとか、キッチンのインテリアだとか、じつにいい雰囲気。ファッションというのは不思議なもので、いま80年代の映画で、たとえばファラ・フォーセットなんかが出てくると(リアルタイムで見てたときはすごくいいと思ってたのに)、うえー、なんて格好悪いんだ、と思わず赤面するのに、60年代の半ばくらいまでの、フォーマルな装いは、いいセンスだなあ、と惚れ惚れする。

ヒロインのローズを演じたデボラ・フランソワが可愛らしい。何度でも見たくなるいい映画だと思います。これもオススメ。

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2014/05/10

大統領の料理人

フランソワ・ミッテランはフランス大統領を14年にわたって務めた大物政治家。社会党の第一書記でもあり、当初は大企業の国有化政策を積極的に押し進めた社会主義者でありますね。

何回目かのサミットのとき、このミッテラン大統領がドイツのコール首相と、たまたまトイレで並んでおしっこをしたんだそうですな。するとコール首相がやたらに巨体をひねって、ナニを隠そうとする。

「ねえ、ヘルムート、なんでそんなに見られるのを嫌がるのかね?」

すると、コール首相がこう答えた。「いや、フランソワ、だってキミは大きなものを見るとすぐ国有化しようとするからね」

——というジョークとはなんの関係もありませんが、「大統領の料理人」という映画がとても面白かったので、ググってみたら、実話がベースで、この大統領はミッテランだったんだそうな。

映画では、大統領はエリゼ宮の、宮廷料理然とした豪華な料理に反発し、子供の頃に祖母が食べさせてくれたような素朴だが本物の家庭料理を求めている。古い料理本のレシピを暗唱できるほど、食に対するこだわりがつよく、秘書官が真っ青になり、将軍が激怒しても、分刻みのスケジュールのなかで、女料理人と食べ物の話で、予定を狂わせる。いやはや、フランス人てやつは・・・。(笑)

映画に出てくる料理がほんとうに美味そうでため息が出る。おすすめ。

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2014/04/26

『ジャック・リッチーのあの手この手』

『ジャック・リッチーのあの手この手』ジャック・リッチー/小鷹信光編(早川書房/2013)を読む。短編というより日本で言うところのショートショートといった軽い読み物。
テイストは都筑道夫によく似ている。EQMMの常連作家だったから、都筑道夫はとうぜんよく知っていたはずだが、影響を受けたということはないだろう。都筑道夫のほうが上手である。
すべて本邦初訳の23篇。
ちょっととぼけたミステリーも悪くないが、意外に面白いのが、SF、怪奇小説仕立ての作品。悪魔の持ちかける「三つの願い事」をどう捌くかや、地球に迷い込んだ宇宙人の拘束からどう逃れるか、人食いソファーのオハナシなど。
まずまず楽しめる1冊。

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2014/04/22

軽快にして骨太『卵をめぐる祖父の戦争』

『卵をめぐる祖父の戦争』デイヴィッド・ベニオフ/田口俊樹訳(早川書房/2010)を読む。

オハナシの舞台は1941年の夏からおよそ900日続いたレニングラード包囲戦。
ドイツ軍による砲撃や空襲もさることながら、補給路を完全に断たれた大都市には飢餓が広まり100万人ともいわれる市民が死んだ。飼い犬に続き、街からすべてのネコが消えたので、ひとときネズミはよろこんだが、たちまちかれらも食い尽くされた。いよいよ食べるものがなくなると、肉はもうあれしかない。道ばたの親子の屍は、尻のところだけ切り取られて放置されている・・・

そんな街に残った十七歳の少年レフが、死んだドイツの落下傘兵を見に行って、ナイフを分捕り、装備品のフラスクの酒を仲間とまわし飲みしていたところをロシアの兵隊に捕まってしまう。夜間外出禁止令違反の上に、いかに敵からとはいえ略奪行為の最中だ。とっくに裁判なんてものはなくなった。即刻銃殺を覚悟したら、ネヴァ河畔の悪名高い<十字>という監獄にぶち込まれ、そこで出会ったのが赤軍の脱走兵コーリャである。

脱走したんじゃない。自分の卒論「ウシャコヴォの『中庭の猟犬』考——現代社会学的分析のレンズを通して」を守ろうとしたんだよ。え、ウシャコヴォを知らないって?なんと学校教育のレベルもここまで低下してしまったか。「ふたりが初めてのキスを交わした小屋には、まだ鼻をつく子羊の血のにおいが漂っていた」これが冒頭の一行だ。もっとも偉大なロシアの小説だという者もいる。それなのにきみは聞いたこともないとはな・・・。

のっけから軽快なテンポで、ふたりの卵探しの冒険が始まる。こんな悲惨な包囲戦のさなかになんで卵探しなのかといえば、秘密警察の大佐の愛娘の結婚式にどうしてもケーキが必要だからだ。レニングラード中探しても卵はない。あるとすれば、ドイツ軍が制圧している郊外の農家だろう。しかたがない、行こうじゃないか。でも弾はドイツ軍からも赤軍からもパルチザンからも飛んでくる。いやはや、ばかばかしさのまっただ中での犬死覚悟の弥次喜多珍道中である。

途中でパルチザンの女狙撃手が合流し、最後の大勝負はナチのアインザッツグルッペンの少佐とのチェス試合。
さてここで、聞き慣れないアインザッツグルッペン(Einsatzgruppen)という言葉が出てきましたね。本書の中にこういう説明があります。

六月以降、ロシア人はドイツ語の特別授業を受けており、その結果、あっというまに何十ものドイツ語が日常生活の語彙にはいり込んでいた。パンツァー(戦車)、ユンカース、ヴェーアマハト(ドイツ国防軍)、ルフトヴァッフェ(空軍)、ブリッツクリーク(電撃戦)、ゲシュタポ。その他もろもろの大文字で始まる名詞。アインザッツグルッペンという言葉を初めて耳にしたときには、そのほかの言葉のような邪悪な響きはなかった。十九世紀のつまらない喜劇に出てくる気むずかしい会計士の名前のように聞こえた。それが今ではもう少しも可笑しな名前ではなくなっていた。新聞記事やラジオの報道、伝え聞く噂であれこれ知った今ではもう。アインザッツグルッペンはナチスの死の部隊だ。正規軍や武装親衛隊、ゲシュタポの中から厳選された——残忍なまでの有能さを持つ純血のアーリア人から選ばれた——殺人者集団だ。ドイツ軍が他国に侵略するときには、アインザッツグルッペンが実戦部隊のあとに続き、戦域が確保されると、自分たちの標的を狩りにいく。共産主義者にジプシー、知識人、それにもちろんユダヤ人。

いやあ、この悪役が、また悪い奴なんだな。なんとしてでも殺せ、こいつだけは、とすっかり熱が入ってしまう。骨の太い娯楽小説として堪能できました。
ところで、もっとも偉大なロシア小説、ウシャコヴォの『中庭の猟犬』のことはもちろん物知りのみなさんはよくご存知でしょうね。これと、チェスの勝負とのふたつが、わたしのつぼに見事にはまりました。(笑)

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2014/04/18

ポストモダンのミステリー『二流小説家』

『二流小説家』デイヴィッド・ゴードン/青木千鶴訳(早川書房/2011)を読む。
先に結論を言えば、ミステリーとしてはつまらない。ミステリの形式を利用した小説として読むならば面白い、という感じ。

主人公ハリーは、コロンビア大学で学位を二つとって、大学院進学希望者の必須テストで言語800点という秀才のくせに、あんまり上品とはいえない雑誌類に、SM小説、ハードボイルド、SF、ヴァンパイアものなどを、それぞれ別のペンネームで書き分けて食いつないでいるさえない小説家である。
金に困って、一応、経歴だけは立派なので、金持ちの子女が通う高校に家庭教師の売り込みに行ったら、クレアという女子高校生をまかされるが、すっかり女の子に足元を見透かされて、勉強を教えてやるはずが、作家業のエージェントごっこの道具に成り下がっているという設定。そこそこの作家としての野心がないわけでもないが、あんまり長いこと、濃いジャンル小説ばかり書いてたので、いまさらブンガクに色気をだすのも気が乗らない。
そんな主人公のところに、10年ばかり前に全米を揺るがした猟奇連続殺人の死刑囚から事件の告白のライターになってほしいという打診がくる。独房で愛読していた雑誌の「いけないアバズレ調教相談」なんてコーナーのライターがハリーだったからというのでありますね。まだ若い美女たちの頭部だけが見つかっていない、凄惨な連続殺人事件の真相を犯人がハリーだけに話して、出版してもいいというのだ。
実現すれば、ベストセラーは約束されている。

遺族には、もうそっとしておいてくれと詰め寄られ、担当のFBI捜査官には圧力をかけられてやる気がなくなったハリーは、「やるのよ!」と言うクレアに、こんなの引き受けたら死ぬまで傷痕が残る、とぼやく。

「死ぬまで残る傷なら、すでに負ってるじゃない。以前の職業はポルノ雑誌のライターだった。いまは高校生の期末レポートを代作している。亡くなったお母さんの扮装をして、ソフトSMのヴァンパイア小説を書いている。(中略)こう言っちゃ悪いけど、いまのあなたは負け犬よ。だからこそ、今回のことはあなたにとって大きな転機になる。おそらくは最後の転機にね。」

というわけで、ハリーが死刑囚に会いに行くと・・・てな展開であります。
本書のどこかに書いてあったと思うのだが、小説で難しいのは、最初の部分でも、最後の部分でもない。真ん中がいちばん難しいのだ、というのが二流小説家の主人公の意見。たしかに本書(ハリーがはじめて自分の本名で書いた「小説」がこの本、というメタフィクションなのね)も、まさにそのとおりで、読んでる途中は、ほんまに面白い。
ハリーが書き分けているジャンル小説が、ところどころに挟まれているのが、読ませる。ペンネームてのはやはり大事だなあ。(笑)


  • セクシーSF『惑星ゾーグ——さまよえる愛奴船』T・R・L・バングストローム著
  • 濡れ場の多いハードボイルド『四十二番街の裏切り』J・デューク・ジョンソン
  • ソフトSMヴァンパイア小説『深紅の闇が迫る』シビリン・ロリンド・ゴールド著

しかし、娯楽ミステリーも、とうとうここまできちゃったんだなあ、と嘆息。

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