2015/07/26

『忘れられた巨人』

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先日の記事「ソングライター、カズオ・イシグロ」がきっかけで、『忘れられた巨人』をある方からお借りできました。ありがたいことであります。ステーシー・ケントのことは早川書房編集部による「解説」にもちらっとふれてありました。

さて本書、評判どおり面白い。

イングランドの歴史にさほど詳しいわけではないが、この島にはいろいろな人々が太古より棲み着いていた。本書に出てくるのはブリトン人とサクソン人。ブリトン人のほうが先に定住しており、そこにカエサルがやってきてローマ帝国の支配圏に入る。しかし5世紀の初頭にローマ人は去り、街道や水道などのローマ文明も崩壊するわけですが、そのころには、いまのデンマークのあたりがルーツのサクソン人がつぎつぎに侵攻し、定住して行きます。異民族同士ですから諍いが絶えない。ブリトン人の偉大なるアーサー王が、いったんはサクソン人を平らげますが、王の崩御後はサクソン人を中心とした王国(いわゆるイングランド七王国)が興り、先住民のブリトン人たちは辺境へ辺境へと押しやられる——というようなことが(歴史的に正確かどうかは別ですが)本書のベースです。もっとも、そのあたりのことは本書を読めば自然にわかるので、ことさら知っておくほどのことでもありません。

主人公はアクセルとベアトリスというブリトン人の老夫婦。じつは、このふたりにかぎりませんが、この時代、この島の人々は不思議な記憶の障碍にかかっています。むかしのことがよく思い出せず、数週間、数日前の記憶もなぜか曖昧になってしまうというのであります。ふたりもこの記憶の障碍に悩んでいますが、もうひとつ村の人々の冷たい仕打ちも、とくにベアトリスにとっては辛い日常なのです。そんなこともあって、ある日、ふたりは息子のいる村に行こうと旅に出ます。どういういきさつがあったか、これまた記憶がさだかでないものの、息子は家を出て、遠い村で重だった役割を担っているようなのです。しかし、ふたりが訪ねていけば喜んで迎え入れてくれるはず。
旅の途中で、いろんなできごとがおこります。サクソン人の戦士ウィスタン、鬼どもに襲われて怪我を負ったサクソン人の村の少年エドウィン、(たしか七王国の一つであるノーサンブリアの王がこの名前でした)アーサー王の騎士だったブリトン人のガウェイン卿といった人々が現れ、老夫婦の道連れになったり、別れたり、意外な場所で再会したり——最後には雌龍クエリグ退治なんていう山場もありますから、道具立てはファンタジーなんですが、読後感はちょっと違う。

なにが違うのか、そこがポイントのような気がします。

たとえば、上橋菜穂子の「守り人」シリーズや『鹿の王』、『獣の奏者』といったファンタジー小説がありますね。とてもよくできた作品で、読み終えたあとに、ふと我にかえりそれまで、ここではないどこか別の世界にどっぷりと浸っていたという満足感が残ります。

しかし、この『忘れられた巨人』では、そういう満足感はどうも得られそうにない。このキャラクターには、あるいはこのエピソードには、ここではないどこか別の世界ではなく、まさに「ここ」の世界が二重写しのように重なっていることが明らかで、そのことに圧倒されるような気がします。
いうまでもないことですが、カズオ・イシグロが目指したのは21世紀のトールキンではないでしょう。かれがファンタジーというジャンルを見下している、というのはもちろん言い過ぎでしょうが(イシグロの発言に対してそういう反応があったそうです)、すくなくとも、剣と魔法とドラゴンの世界には、ほとんどなんの興味もなかったはずです。

たとえば、かつてサクソン人の砦であった修道院で、ブリトン人に追われて逃げ込んだサクソンの村人たちは、攻め込んだブリトン兵士が殺されるのを砦の中から歓声をあげて見物したはずだという議論の場面。

アクセルは首を横に振った。「たとえ敵の血であっても、その人々が流血を楽しんだとは信じられません」
「いえいえ、アクセル殿。わたしが話しているのは、残虐に彩られた道の終点にたどり着いた人々です。子供や親族を切り刻まれ、犯された人々です。苦難の長い道を歩み、死に追いかけられながら、ようやく最後の砦であるここにたどり着きました。そこへまた敵が攻めてきます。勢力は圧倒的です。この砦は何日もつでしょうか。数日?もしかしたら一、二週間くらい?ですが、最後には全員虐殺されることがわかっています。いまこの腕に抱いている赤ん坊も、やがて血まみれのおもちゃになって、玉石の上を蹴られ、転がされるでしょう。もうわかっています。そういう光景から逃げてきた人々ですから。家を焼き、人を切り殺す敵。息も絶え絶えで横たわる娘を順番で犯していく敵。そういう敵を見てきました。そういう結末が来ることを知っています。だからこそ、包囲されて過ごす最後の数日くらいは——のちの残虐行為の代償を先払いさせうる最初の何日かくらいは——十分に生きなければなりません。要するに、アクセル殿、これは事前の復讐です。正しい順番では行えない人々による復讐の喜びの先取りです。だからこそ、わがサクソンの同胞はここに立ち、歓声をあげ、拍手をしたはずなのです。死に方が残酷であればあるほど、その人々は陽気に楽しんだことでしょう」

これを読んで、現実のいまの世界を思い浮かべるな、というほうが無理ではないでしょうか。
そして、ここからが、考えさせられるところですが、わたしたちはこういう記憶を鮮明に持ち続けるほうが幸せなのか、それとも記憶を奪う霧にまぎれて、このような憎悪と復讐の渇望を忘却することのほうが幸せなのか、という問いに立ち止まってしまう。

じつはわたしが、本書で最初に考えたのは広島と長崎です。
先の大戦では日本人が近隣諸国の人々の加害者であったことは確かですが、たとえそうであっても、原爆投下は日本の軍隊を目標にしたものではなく、日本兵の家族である無辜の赤ん坊や幼児や年寄りや女たちを狙って、見せしめとして残虐に殺戮するものであったことは疑いありません。目的は日本の戦争指導者たちに戦争の継続を断念させ、すでに日本の敗北が誰の目にもあきらかになったあとでの無意味なアメリカ兵の戦死者を出さないようにするということでした。そして事実そのとおりになった。しかし、原爆に対しては、日本人は(わたしをふくめて)そのような見方をあまりしていないと思います。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」というあの言葉が、いちばんそれをあらわしています。悪いのは戦争だ、と。もしかしたら、これは日本人の記憶障碍ではないのか——

ネットの上でいろいろな書評が出ていますので、ざっくりと目を通してみましたが、欧米の書評で、もちろん著者がナガサキの生まれであることに触れたものはいくつかありますが、本書と原爆を直接つなげたものは見当たりません。アウシュビッツや、ボスニアやルワンダに言及したものはあります。当然のことだと思います。しかし、どこか心の奥でわたしは著書の意図を勝手に忖度しています。ねえ、書きたかったのは、ひょっとするとこのことだったのかい、と。


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2015/07/22

中国古典と莫言その他

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この間に読んだ図書館の本。

『一陽来復 中国古典に四季を味わう』井波律子(岩波書店/2013)
もともとは読売新聞に連載された随筆「四季おりおり」と日経新聞の連載「今のこと、昔のこと」を収録。軽い読み物ながら、味わい深い。政治家のうすっぺらな言葉、言葉、言葉に辟易している昨今の清涼剤か。


『反歴史論』宇野邦一(講談社学術文庫/2015)
小林秀雄、柳田国男、レヴィ・ストロース、ニーチェ、フーコー、レヴィナス等々と、絢爛と並ぶ知の巨人たちに目を奪われて手に取った低級なミーハー読者には、いささかレベルが高すぎて、なんのことやらチンプンカンプンというお粗末。まあ、ときどき、こういうムツカシイ本も読まなきゃ、バカが亢進するだろう。反歴史なんてものはない。自分の嫌いな連中が操る歴史は厭わしいというだけのことではないのかね、という素朴な感想。

『莫言神髄』吉田富夫(中央公論社/2013)
ノーベル文学賞受賞講演をふくむ四つの講演録と、莫言作品の翻訳を通じて作家と親交の深い著者による莫言文学と風土の点描。2010年北九州市で行われた講演の一節にこういう箇所がある。中国人富裕層とやらをもてはやし、これからはかれらに農産物の輸出じゃあ、とか叫んでいる日本人も多いことですが。
「貧困は誰しも忌み嫌うが、正当な手段を用いずして貧困を脱却するなど、すべきではない、と。今日、二千年前の聖人の教えは、もはや民百姓の常識になっています。ところが、現実生活にあっては、正当ならざるやり方で貧を脱して富に至ったものがゴロゴロしていますし、正当ならざるやり方で貧を脱して富に至りながら懲罰を受けていない者がゴロゴロいますし、正当ならざるやり方で貧を脱して富に至る人たちのことを痛罵しながらも、おのれにチャンスさえあれば同じことをする者にいたってはもっとゴロゴロしています。」
まあ中国にふたたび動乱が起こる日も遠くはないでありましょう。富裕層に農産物を輸出?はは、グッドラック。


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2015/07/17

ジャズ本その他

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この間に読んだ図書館本。

『ロンドン塔 光と影の九百年』出口保夫 (中公新書/1993)
映画などでも、ときどき投獄される貴族や王族が船でロンドン塔に連行される場面があるけれど、ああ、あれがトレーターズ・ゲートだったのか、といまさらの納得。

『イギリスの大貴族 』海保眞夫(平凡社新書/1999)
本書より引用。「実はイギリス貴族にとって唯一重要なのは、あくまでも土地に基礎をおく経済力であって、血統ではない。「貧しいけれども精神は貴族」などというのは、むしろ中産階級の発想であり、富を持たない貴族など物の数にも入らないのである。(p.148)」ぎりぎりの裸でゐる時も貴族、という俳句がありましたが、はは、中産階級の発想でしたか。映画、小説でおなじみのノーフォーク公爵家の歴史が簡潔にまとまっていて重宝。

『歌おう、感電するほどの喜びを!』レイ・ブラッドベリ(早川文庫/2015)
ショートストーリー18篇。翻訳は伊藤典夫、村上博基、吉田誠一、宮脇孝雄、新版。ブラッドベリはあまり読みやすくないし、面白くないものは、ほんとに面白くないので、あまり好きではない。やはり、『ウは宇宙船のウ』とか『刺青の男』、『火星年代記』あたりで十分かな。

『ジャズ・レディ・ イン・ニューヨーク ブルーノート・レコードのファースト・レディからヴィ レッジ・ヴァンガードの女主人へ』 ロレイン・ゴードン/バリー・シンガー(DU BOOKS/2015)
長々しいタイトルながら、これで本書の説明になっておるな。翻訳は行方均。ビバップからクールあたりまでのジャズ愛好家には面白い一冊。フリージャズになるともうパスだけど。セロニアス・モンクやマイルス・デイヴィス、ウィントン・マルサリスなどは当然として、バーバラ・ストライザンドやキッシンジャーまで登場する。(好意的な語り方ではないけど)



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2015/07/07

ソングライター、カズオ・イシグロ

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カズオ・イシグロの熱心なファンなら知っていて当然なんだろうが、わたしは今回、はじめて知ったので、ちょっとご紹介。

きっかけは、オムニバスのCD「Jazz Woman」をなにげなく聴いていたときのこと。ほとんどがスタンダードナンバーのなかで、ある曲がやけに新鮮だった。「おや、知らない歌だけど、いいじゃないか、これ」と思った。リピートさせて、どれどれ、とライナーノーツを読み始める。ちなみにLPレコード時代と違って、CDのライナーノーツって、よほど興味をひかれないとまず読まないよね。字が小さすぎて。

さて、歌のタイトルは「アイス・ホテル」。歌っているのはステイシー・ケントという人だとわかった。(もちろん世界的に有名な歌手。わたしがたんに知らなかっただけ)
演奏もいい。歌もうまい。声もよろしい。なにより歌詞がきれいに聞き取れる。ふーん、しかしこの歌詞いいなあ、と思って短い解説を読んで驚いた。作家のカズオ・イシグロが作詞を担当した、と書いてある。
なお、この曲、YouTubeで視聴できますので興味があればどうぞ。(こちら)

おやおや、とさっそく調べてみると、こういうことらしい。

2002年に、カズオ・イシグロは、BBCの radio4 の desert island discs というインタヴュー番組に出演した。これは要するに「無人島に持っていくレコード」で、有名人に好きな音楽のことを自由に話してもらうという企画だ。(注1)
そこで、ブッカー賞作家が、自分の好きな音楽としてショパンやボブ・ディランなどと併せて紹介したのが、ステイシー・ケントだった。

ところが、たまたまその放送を、ステイシー・ケント本人が、夫であり音楽プロデューサー、サックス奏者でもあるジム・トムリンソンと聞いていたというのでありますね。ステイシー・ケントは、以前からカズオ・イシグロの愛読者だったので、びっくり。さっそく、ありがとうのeメールを(たぶん事務所とエージェント経由で)送って、そこから両者のおつきあいがはじまった、ト。
お互いに夫婦でランチをとったり、コンサートの楽屋を訪ねたりという交際だったが、2006年にステイシーがレーベルを移籍して最初のアルバムをつくるときに、思い切って作詞を依頼したというのですね。そして、このアルバム「Breakfast on the morning tram」のためにカズオ・イシグロは4曲の詞を書きました。

そして、びっくりするのが、そのときの胸の内をあきらかにしている作家の述懐です。

I don't know whether they knew, but songwriting was an old passion of mine. Earlier in my life I'd been a singer-songwriter until I turned to fiction. So I was both excited and daunted at the idea, as I'd not done any since I was 21. But I went to their house and the next phase of our friendship started.
(注2)

なんと若い時のカズオ・イシグロはシンガー・ソングライター志望だったんですねえ。いまでもステーシー・ケントが夫婦で遊びに来ると、カズオ・イシグロがギターを弾いて、一緒にセッションするらしい。

ところで、アルバム「Breakfast on the morning tram」におけるカズオ・イシグロの詞は、不思議な魅力に満ちています。小説「UNCONSOLED」の世界と共鳴するところが多いような気もしますが、小説と違ってどこかに明るい希望のようなものも感じられて、大好きです。


注1)この録音はBBCのアーカイヴスで聞く事ができます。(こちら)
ただし、ふつうに再生ボタンを押してもエラーになりますので、Download MP3のボタンを押してください。40分くらいの内容です。わりと聞き取りやすい英語です。はじめてカズオ・イシグロの声を聞きました。


注2)引用は以下のサイトから。(こちら)
THE INDEPENDENT
How we met: Stacey Kent & Kazuo Ishiguro
Sunday 22 September 2013


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2015/07/03

エセーほか

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今週読んだ図書館の本。

『エセー 4』モンテーニュ/宮下志朗訳(白水社/2010)
いつも利用している宇部市立図書館は持っていないので、司書に頼んで、山口市立小郡図書館から借り受けてもらった本。宮下訳の1卷から3卷までは、在阪時代にやはり図書館で新刊が出るたびに借りて読んでいた。4卷はエセーで最長の章である「レーモン・スボンの弁護」。エセー全訳という仕事の中で、いちばんの難所(「とにかく長い。いや、いくらなんでも長すぎる」)と訳者のあとがきにあるが、読む方も同様。途中でなんども投げ出そうと思ったが、せっかく取り寄せてもらった手前、我慢して通読する。現代人にとって理性と神の存在なんて、イスラム国でもなければあんまりアクチュアルな問題ではないが、宗教戦争たけなわのフランスやイギリスではこれがいちばん重要な問題だったんだな。まあ、チューダー朝の時代のフランス側の知性の代表としてとりあえず読みました、というところ。

『図説 チューダー朝の歴史』水井万里子(河出書房新社/2011)
「ブーリン家の姉妹」「エリザベス」「エリザベス・ゴールデンエイジ」といったコスチューム・ドラマをDVDで見直して、本書を眺めると、ああ、これはこの図像から取ったのか、というような発見がたくさんある。たとえば、メアリー治世末期のプロテスタントの火刑とか、ロバート・ダドリーがエリザベスをダンスで持ち上げるシーンとか、メアリ・スチュアートの処刑シーンの深紅のペチコートなど。

『紙の動物園』ケン・リュウ/古沢嘉通訳(早川書房/2015)
同じ中国系作家としてテッド・チャンにからんで、この作家の情報は目にしたことがあったが、はじめてその作品を読んだ。すこしムラもあるようだが、出来のいい作品は見事にわたしのツボにハマるなあ。古沢訳は信頼して読める。「紙の動物園」「もののあはれ」「月へ」「結縄」「太平洋横断海底トンネル小史」「潮汐」「選別宇宙種族の本づくり習性」「心智五行」「どこかまったく別の場所でトナカイの大群が」「円弧(アーク)」「波」「1ビットのエラー」「愛のアルゴリズム」「文字占い師」「良い狩りを」


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2015/06/24

オーディオのこと

新しいオーディオを買った。ソニーのCMT−X5CDという機器だ。シンプルな取扱説明書には「パーソナルオーディオシステム」という、これまた愛想のない名称がついております。

近年、音楽を聴くのはもっぱら、クルマの運転中だったが、持っているCDなどを寝床で聴く手軽な装置が欲しくなったのであります。

この機種は、もともとは、BLUETOOTH 接続や、WiFi でスマートフォンやパソコンなどのデジタル音源を鳴らすワイヤレス・スピーカーとして市場に出たと思うのだが、そのときはスピーカーだけではあんまり食指が動かなかった。今回買ったのは、このワイヤレス・スピーカーにむかしのラジカセのような機能がついたものと思えばいいのでありますね。

つまり、CDを聴いたり、録音したりもできる。録音するのはUSBメモリーです。本機でFM、AMラジオも受信したければできますが、うちのような田舎だとよく入らないし、アンテナをつなぐのもブサイクだからまったく使いません。と、いうよりも、ご存知のように、いまはラジオは、インターネットで聞けるので、使う必要がないのですね。

P6248222実際に、スマートフォンとこの機器をワイヤレスでつなぐと、寝っ転がって iPhone で音楽の再生や、インターネットラジオをいじるだけで、いきなり枕元から、まともな音質でスピーカーが鳴り出すのが快感です。

ところで、そういや肝心なその音のほうはどうなのか。

昔はオーディオ装置というのは、いろいろウルサイことを言う人がが多かった。でも、わたしは、年をとって、そういうめんどくさいのは勘弁してほしいと思うのね。あ、きれいな音だな、というのはもちろんありますけれど、それで十分だと思う。そもそも、わたしは、音量をそんなに上げません。音楽聴きながらウトウトしたり、逆に集中して本を読んだりするのが好きなのであって、さあ、いまから音楽鑑賞をするぞみたいな聴き方はするつもりがほとんどないのであります。まあ、それくらいの低レベルのリスナーの感想ですが、本機はコンパクトなわりにいい音が出ていますね。

それにしても、最初に書いたように、わたしがこの機種を選んだのは、スマートフォンやパソコンなどのワイヤレス・スピーカーとして使うという機能より、CD再生、録音という機能を重視していたからだったわけですが、実際に使ってみての感想を言うとですね、たかだか個人が所蔵してるCDを、いちいち選んでかけるなんてのは、面倒くさいわけです。わたしはディスク容量を食うのが嫌いなので、あんまり使わないけど、iTunesに何千曲と入れている人はスマートフォンから、ワイヤレスで鳴らせばいいし、こんどのアップルやグーグルの音楽配信(3千万曲聴き放題だって?聴けねえよ・笑)を待たなくても、いまや好みの音楽の音源はスマートフォンのアプリをいくつか入れれば、いまでもほとんど聴ききれないくらいありますから、結局、そっちのほうが手軽なんだなあ。なにせ、自分のCD聴こうと思うと、入れたり出したりしなきゃならないじゃん。面倒じゃん。って、ほんとに人間どこまで堕落するのであろう。(笑)


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2015/06/22

英国史ほか

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今週読んだ図書館の本。

『ディア・ライフ』アリス・マンロー/小竹由美子訳(新潮社/2013)
2013年に引退宣言をして、一応これが彼女の最後の短編集になるらしい。そのせいかどうか、どことなく突き放したような寂しさが全体に流れる。だが、決して暗鬱ではない。むしろなにか面白がっているような作者の眼差しがある。本のタイトルにも取られた「ディア・ライフ」という自伝的な作品がこのうえなく美しい。「日本に届く」「アムンゼン」「メヴァリーを去る」「砂利」「安息の場所」「プライド」「コリー」「列車」「湖の見えるところで」「ドリー」「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」

『イングランド王国前史 アングロサクソン七王国物語』桜井俊彰(吉川弘文館/2010)
ノーマン・コンキスト以前のイギリス史。著者は、七王国のひとつウェセックスに対しては、現代のイギリス人も他のアングロサクソン王国(ケント、ノーサンブリアなど)より親近感を持つといい、その理由の一つとしてウェセックス王家の血筋が現代のイギリス王家まで続いていることをあげる。1066年のノルマン征服でイギリスの王室はまったく新しい征服王朝にとって変わられたと思いがちだが、その征服者ウィリアム一世の妻マチルダは、ウェセックス王家の血を引いていたからだという。

『私の英国史』福田恆存(中公文庫/2015)
恆存の息子の福田逸訳のジョン・バートン編「空き王冠」を併録。ただし、あとがきによれば、もともとは『空き王冠』を主に、その解説として(日本人には馴染みの薄い)英国史を、ウィリアム一世のノルマン征服以前からチャールズ一世の清教徒革命まで、恆存が書き出したらしい。個人的な興味は、チューダー王朝のヘンリー七世からエリザベス一世までだが、そこがやはりいちばん面白い。
ちなみに上記の、ウリアム征服王朝にウェセックス王家の血が流れているという系図は、本書にもあるが、ウェセックス王家の子孫が嫁したのは、息子のウィリアム二世となっている。一世の妻も、二世の妻も同じマチルダという名前の別人だが、たぶん福田の方が正しいだろう。


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2015/06/15

『六人目の少女』ほか

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今週読んだ本。
『メアリー・スチュアート』アレクサンドル・デュマ/田房直子訳(作品社/2008)
昨年来魅了されているヒラリー・マンテルのクロムウェル三部作を再読するための参考書のひとつ。ただし本書は面白くない。わたし程度の低級読者のために、詳細な訳注が必要。

『六人目の少女』ドナート・カッリージ/清水由貴子訳(早川書房/2013)
イタリア版の『羊たちの沈黙』かな。フランスやイタリアなど数々のミステリ大賞を取ったというのだが、アクロバチックなストーリー展開を楽しめるか、あざといだけと見るかで評価が分かれそう。ま、わたし的には壁投げつけ本。

『袋小路の男』絲山秋子(講談社/2004)
壁投げつけ本その二。いや、申し訳ない。でもつまらん男の話はつまらんよ。


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2015/06/08

タブッキ、マンローほか

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年々、本を読まなくなる。

読むのはもっぱら図書館の本だが、2週間の借り出し期間に、せいぜい3冊か4冊かというていらく。読み切れずに借り出し延長することもしばしばだ。

少ないなりに、なかには面白い本もときどきあるのだが、いちいち感想めいた文章をブログに載せるのも、なにかいまさら、という気持ちがつよく、それきりになってしまうことが多い。

まとまった文章を書くのはめんどくさいが、せっかくだから読んだ本をメモ代わりにここに書いておくことにする。図書館のローテーションである直近2週間に読んだ本、という内容です。

『海の仙人』絲山秋子(新潮社/2004)

最近のお気に入りの作家。なまぐさくない男と女の友情めいた関係というのが、この人のモチーフのひとつのようだが、そういう人間関係自体に、あんまりリアリティは感じない。悪くはないのだけれどね。

『寝る前5分のモンテーニュ「エセー」入門』アントワーヌ・コンパニョン(白水社/2014)

もともとはフランスのラジオ番組の台本。訳は本文が山下浩嗣、エセーの原文が宮下志朗。宮下訳の『エセー』は全7巻のうち、たしか5巻まで刊行されているはずだが、残念ながらこちらの図書館には在架していない。奈良県立図書情報館を使っていた頃に3巻までは読んだ。4、5巻を読みたいがよその図書館から取り寄せてもらうか。

『善き女の愛』アリス・マンロー/小竹由美子訳(新潮社/2014)

オープンエンドという小説の手法がどうも苦手で、ええい白黒はっきりつけてくれ、という単純読者なので、正直なところこの手のブンガクはあんまり好みではない。しかしたまに高級な短編小説を読みたくなる。(著者は2013のノーベル文学賞)「善き女の愛」「ジャカルタ」「コルテス島」「セイヴ・ザ・リーパー」「子供たちは渡さない」「腐るほど金持ち」「変化が起こるまえ」「母の夢」の8篇。表題作はオー・ヘンリー賞受賞作だが、いまひとつぴんとこないな。まあ、雰囲気はあるけど。

『イザベルに ある曼荼羅』アントニオ・タブッキ/和田忠彦訳(河出書房新社/2015)

今回の4冊の中では、これがいちばんよかったな。この作家は『さかさまゲーム』『インド夜想曲』『島とクジラと女をめぐる断片』などを読んだことがあるけれど、これまた記憶に残りそうな作品。タブッキは2012年に亡くなっていたらしい。本書は死後の刊行。

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2015/04/20

地べたの現代史『ツリーハウス』

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『ツリーハウス』角田光代(文藝春秋/2010)を読む。
じつは先週、図書館から借りて、立て続けに読んでいたのは、ほとんどが鴻巣友季子さんの書評集『本の森 翻訳の泉』にあった本だ。
『夏目家順路』『末裔』そして本書『ツリーハウス』。いずれも女性作家による二代、三代にわたる家族の年代記である。同時に地べたからみた現代史という感もある。もちろんいまどきの小説だから、時間の流れは複雑で、現在と過去が入り組んで、ややこしく進行するけれど、単純化すれば、祖父や父が死んで、残された家族が、故人の知られざる過去をいろんな角度から発見しながら、自分自身のルーツをたどっていく、というスタイルをとっている。

なかでもこの『ツリーハウス』は、いちばん長いこともあって、読み応えがあった。奥付によれば、「産経新聞大阪本社夕刊にて2008年10月4日から2009年9月26日まで毎週土曜連載」とのこと。ためしにざっと文字数を計算すると、原稿用紙にして800枚くらいの作品だから、まあ、そんなに長いというほどではないが、もっと長いのを読んだような満足感を得られる作品だな。

神武建国の五族協和という理想やら、疲弊した農村から満州に行って真面目に開拓すれば、一人十町歩の土地が手に入るなどという、偉いさんらのうまい演説に乗せられたわけではない。男は、ただ漠然と、果てのない大地や広い世界に憧れて満州移民の開拓団に応募した。

キャバレーの女給になったら絵描きの客に口説かれた。狭い日本にゃ住み飽きた、一緒に満州へ行こうと誘われた。はじめての男だった。ふと満州に行ってもいいかと思った。貯めていた給金で二人分の費用を出して、東京駅で待ったが、男はもらった旅費を着服して逃げた。怒りも悲しみもなかった。列車に乗り、船に乗り、大連から新京に向かう列車のなかで、飴玉みたいな橙色の太陽が地平線に沈むのを見て、そうかわたしはこの景色が見たかったんだと女は思った。

新宿のさえない中華料理屋「翡翠飯店」のルーツを辿っていくと、この男と女とに行き着く。どちらも、ただぼんやりと不確かなものに憧れ、しかし、ほとんどは流されるままに生きて世に翻弄された昭和の日本人の底辺のふたり。
その子供達は団塊の世代。そして孫達はいまのニート世代。
この三つの世代が、それぞれあるときは60年安保の喧騒や、またあるときはベトナム反戦の新宿騒乱を背景に、またあるときは漫画家志望の青年の交友やオーム真理教の出家騒ぎなどを背景に描かれる。新聞の三面記事や、いまはあまり見かけないが昔はよくあったグラフ雑誌のモノクロ写真が頭に思い浮かぶ。

題名のツリーハウスは、実際に物語の中で登場人物たちによってつくられるものでもあるのだが、もちろんこの翡翠飯店の大家族のハウスのありようを象徴するものでもある。風通しがよく、うるさい干渉もうけず、気晴らしにちょっとあがって昼寝をしたり、漫画を読むにはたのしい場所だ。だからといって、これをほんとうの住処にできるわけもない。おれたちは根無し草なんだ、ここは根無し草が、根無し草らしいやり方で、なんだか家みたいなものをつくっているけど、これはほんとうの家じゃない、ツリーハウスみたいなもんなんだ、という思いが伝わってくる。
しかし、根があるように見えて、けっきょく人間というのは、みんな根無し草じゃないか、というさめた感慨もわいてくる。
意外に爽やかな読後感でこれはオススメ。


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