1)書評

2008/04/16

高柳光壽『足利尊氏』

20080416 高柳光壽の『足利尊氏』(春秋社)の初版は1955年。11年後の1966年に再版されるにあたり二章を増やして改稿された。わたしが今回読んだのは、さらにそれから21年後の1987年に出版された新装版であります。
『宮廷に生きる』のなかで岩佐美代子さんが、この本のことを名著として紹介しておられるが(そしてわたしが興味をもったのもそのためだが)なるほどこれは新装版として出版する価値が高い本だと感心した。なにより、読んでいて面白い。

いまのわたしたちにはうまく想像ができないのだが、戦前の日本史は水戸学の流れを汲む史観に彩られたものだった。なんとしてでも楠木正成が忠臣で、足利尊氏は逆臣でなければならなかった。明治の国会で正閏論がとりあげられ(1911)、後醍醐天皇から後村上・長慶・後亀山と続く南朝が正統であり、北朝の光厳天皇から後円融天皇までは正統の天皇ではない、ということになってしまった。ばかばかしいのは、当の皇室はあきらかに北朝の流れを汲むものだし、代々そのようにご先祖さまを祀ってきたということでありますね。いまからみれば笑い話にもならないが、国民がみんな逆上していたのだから仕方がない。ヒステリーには勝てんということですな。

それはともかく、そういう戦前の史観から自由になったと思ったら、今度は唯物史観とやらをふりかざした左翼陣営が歴史を専横し始めた。方向は反対に見えるけれど、要はこの二者は歴史を自分たちの党派的な支配におくということでまったく双子の兄弟のようなものでありますね。

だが右であれ左であれ、歴史というものは、そういうイデオロギーによって「正しい」答えがあらかじめ決められているようには実際には動いていないではないか、というのがまっとうな人のものの見方だろう。
なるほど、社会の発展の方向には大きな流れがあるだろう。だが、天皇陛下万歳が風向きなら楠木正成は忠臣で善玉、天皇制くそをくらえに変わったら、正成なんぼのもんじゃいでは、あんまり頭が悪すぎる。いや頭が悪いということではこちらも大同小異なら、あまりに品がないではないか。人が歴史を読むことに多少の意味があるとすれば、人品卑しきを遠ざけ、勇気、高潔、廉直、信義を重んずる人物をそこに求めることになければならぬ。
いや、これは筆が先走りすぎた。
つまりこの高柳の著書はそういうふうに歴史を叙述したいと思っているのだと、わたしにには見える。だから、南北朝時代という複雑な政治情勢を語りながら、ぶれていない。わかりやすい。わたしはほとんど一気に読んでしまったね。

実例をあげたほうがわかりやすいだろう。尊氏が九州から反攻し湊川の一戦で正成が命を落とす戦いにいたって高柳は、正成はすでに死をを覚悟していただろうと書く。負け戦であることは、金剛山のゲリラ戦を勝利に導いたほどのリアリストである正成に見えなかったはずがない。しかし、正成は尊氏に下ることはしなかった。それはかれが皇室を尊崇し、真の忠臣であったからだというよりは、自身が戦死をすることで、子孫の後栄を計ったのだと思う、というのですね。つまり高柳はそんなふうに書いているわけではないが、いわば、後醍醐に貸しをつくろうとした。いかにこのたびの戦で宮方が負けるにせよ(それはほとんど疑いない)後醍醐が完全にペチャンコにされることはない。いまさら尊氏に走ったにせよ、それで子孫の繁栄につながるとはかぎらない。ふたたび宮方がもりかえすこともあるだろう。ならば、このまま後醍醐を見捨てずに自分は死のう。そのように正成が考えてもおかしくはないと、書いた上で、さらに次のようなたとえ話に展開させる。

馴染んだ女だとて、なかなか捨てられないものである。それも金がかかっていなければともかくも、金をかけた女となると、少しぐらい悪いところがあっても、ちっとやそっとで捨てられるものではない。正成は後醍醐天皇にかけた。命をかけた。ほんとうに命を賭した金剛山であった。その後醍醐天皇をすてて、いまさら尊氏でもあるまい。おそらくはこういう正成ではなかったろうか。ところで、ここで一言ことわっておきたいことは、私がこういうと、後醍醐天皇を女にたとえるとは何事だ、といって怒る人々があるかも知れないが、これは一般的な親愛の在り方、愛の在り方について、わかりやすくするために女を持ち出したまでであって、後醍醐天皇その人を女になぞらえたのでは決してない。論理の命題を取り違えないようにしたい。

ははは、こういう箇所がところどころにあって、この本はなかなか味があるのですね。
なおこの著者はなにしろバランス感覚を重視しておれれるようで、上の話につづけて、きちんと次ぎのようなコメントを附しておられます。

わたしはこのころの忠義を説くにあたって、利害の打算をあまりにも強く打ち出しすぎたようである。それは要するに、このころの忠義を宗学の忠義で解釈することが誤りであることをいいたいためであった。人間は必ずしも利害関係のみで動くものではない。親は理外を計算して子を愛するのではない。親の子に対する愛情は本能であるといってよい。人の他人に対する愛だとて本能といわれないことはない。他人に対する場合は、そこにいろいろ他の要素が入り込んでくるに過ぎない。正成が後醍醐天皇と深い関係を持てば、そこに後醍醐天皇に対する深い愛が生まれてくることは当然である。しかも後醍醐天皇は首長として十分な資格を備えておられた。それに正成が魅力を感じたとて、何の不思議はない。後醍醐天皇と結ばれた正成の運命を考えることも必要である。そういう運命、そういう偶然が正成を湊川に逐いやった、と考えることは暴論ではあるまい。

まことに見倣いたき見識であると感じ入った次第。

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2008/04/14

キャッチャー・イン・ザ・ライ(3)

さて、今回いくつか書こうと思っていたことはあったのだけれど、なんだかおっくうになってしまった。
いまライ麦畑を読み返すと、ホールデンがひたすらいとおしい。

ああ、そんなんじゃ、身が持たないよ。
いいかいインチキ感知器は作動させるより切っちゃうほうがいいんだ。
だって、君の中のインチキ感知器は、最初は君のまわりのインチキ野郎のくだらなさや思いやりのなさや、インチキ女のウソを暴いているだけだけどさ、やがてその矛先は君自身に向いて動き出すことになるんだから。君がなにを望もうと、なにをしようと、いつでも鳴り続けることになるんだから。
そうして、君は最終的に、鳴り続けるインチキ感知器を黙らせるために、自分のできることで、唯一のホンモノにみえることに行き着くことになるんだからね。
どんなインチキ野郎だって、インチキ女だって、その死だけはニセモノではない。
だから、君がインチキ感知器を手放したくない(だってそのほうが自分が知的に優位に立てるってことだからね)のはわかるけど、気をつけるんだよ。
ほら『バナナ・フィッシュにうってつけの日』のシーモアというのは、つまり、そういうことだったんだ、と思うんだ。

ホールデンにむけて語ってやりたいことはそんなことだが、まあ、これは自己弁護というか、自己正当化というか、そんな気味があるだろう。おっくうになったというのは、そのせいだと、ここまで書いて来てわかった。

加藤典洋や村上春樹が指摘してるように、サリンジャー自身が体験したヨーロッパ戦線の激戦のPTSDとその癒しという解釈は、おそらくもっともうまくこの作品を説明するものなんだろうけれど、わたし自身は、なんだかそういうのもインチキに見えるんだよね。

ああ、前回もったいぶって書かなかった私自身のライ麦畑仮説というのがあったな。
もうどうでもいいようなものだけれど、一応ごく簡単に書いておきます。
この小説は、一番外側のところは、サリンジャーという現実の作者がオハナシをつくったということですね。そして小説の芯はホールデンが自分の体験をだれかに語りかけるように文章を書いている、という虚構です。
しかし、こういう小説の構造そのものがインチキですから、ホールデンならこんなもの絶対に書かないと思う。そもそも、かれが書いたのではこんな巧みな小説にはならんでしょ。なにせあの村上春樹が翻訳しながらその小説の技巧の練達に舌を巻いたという作品でありますよ。では(虚構にせよ)これはいったいだれが書いているのか。
ということで、一番外側のサリンジャーと芯のホールデンとの間に虚構の書き手がいるというのがこの小説のかくれた構造だと思うんだな。いうまでもなく、それはホールデンの兄の作家DBであります。もしかしたらホールデンはもうこの世の人ではないのかも知れない。DBのライ麦畑はちょうどマキューアンの『贖罪』のようなものであるのかもしれない、というのが半ば冗談で空想を広げるわたしの読みだったりするのでありました。

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2008/04/12

キャッチャー・イン・ザ・ライ(2)

ライ麦畑の版元なんかは、この小説のことを「不朽の青春文学」なんて帯のキャッチに書く。うん、そうだな、まあそうだろうな書くとすれば、と思いながらじつはわたしは少々釈然としない。

青春文学というのは、まずは主人公のホールデンが16歳であるということ、そしてこの小説がほかならぬこのホールデンの語りで成立していることから来ている。あるいは、主人公と同世代の少年少女が読んで共感できる「文学」なんだよ、ということをいいたいのかもしれない。もっとざっかけなく言えば、商売上のねらいがこういう人々にあるということだろう。

しかし、はっきり言ってこの小説はむしろ大人のためのものである。それは主人公のホールデンがこのオハナシを誰に語りかけているのかということに思いをいたせば、見えてくるはずだ。もちろん同年代の少年少女が読んでくれてもかまわない。しかしほんとうにこのオハナシを理解し、読み解いてくれるのはホールデンにとってはおそらく兄のDBなんじゃないかな、とわたしは思う。小説の構造がそもそも大人(DBであれ、入院したクリニックの精神分析医であれ)に読んでもらうことを前提にしているという感じがするんだな。あるいは、もっと大胆な仮説もわたしにはあるのだが、それは最後に書くことにして、なんでわたしがこれを青春文学と呼ぶことに釈然としない思いを抱くかと言えば、それはわたしの最初の本書との出会いにある。

前に書いたように、わたしが野崎訳のライ麦畑を初めて読んだのは15歳くらいだったと思うのだが、はっきりいってわたしはこのホールデンという主人公に夢中にはなれなかったのですね。まず最初のつまずきはかれの白髪である。頭の片方に子供の頃から白髪がある少年なんてちょっと感情移入しにくよ。(笑)おまけにこいつは、背こそ高いんだけど、すぐに息切れはするは、ルームメイトに喧嘩を仕掛けて、あっけなくノックアウトをくらうようなやつなんだな。なんせ、そのころわたしは15歳だった。15歳の少年が自己同一視したいヒーローというのは、まあ、いろいろあるだろうが、わたしにとってはたとえばスティーヴ・マックイーンのブリットでありましたね。寡黙でタフで頭が切れて、恋人はジャクリーヌ・ビセットである、ト。(笑)

だから、なにしろ喧嘩は弱いし、若白髪だし、童貞だし(ってもちろんその頃、わたしだってそうなんだけど)、学校は落第して退学させられるし、それもひとつだけじゃなくて三つも、なぁんて少年には、できればならんとこう、と思いはしたが、よっしゃおいらもホールデンで行こうとは思わなかったんだなあ。
いや、だから15歳ですからね、その時は。身を立て、名をあげ、やよはげめよ、とはもちろん全然思わなかったが、おれも気をつけんとホールデンになっちゃうなあ、というのが最初の感想だったんじゃなかろうか、はっきり憶えていないが。
ラストシーンの回転木馬に乗ったフィービーを雨に濡れながら見続ける場面だけはほんとうに好きだったけど、総じて、ある種の反面教師のような感じでこの小説を読んだというのがわたしのこの作品との出会いである。

もちろん言うまでもなく、こういう読みはぜんぜんダメであります。お話しにならんね。

だが、こういうダメな読み方しかできなかったのは、わたしがアホーだからですが、乱暴にいえば、若いということは要はアホーだということです。すみません、若い人。(笑)
だから、版元が営業上の仕掛けでもって「不朽の青春小説」なんていうのは、間違いではないけれど、なんだかちょっとインチキみたいな気がしてならないのであります。
では、いま53歳のわたしはこの小説をどんな風に読んだのか、ということを書かないと、そんな読み方しちゃぜんぜんダメよ、という説明にならないね。ということで以下次号。

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2008/04/11

キャッチャー・イン・ザ・ライ(1)

自慢ではないが、という口上は、言うまでもなく、おれはこれを自慢に思っているぞと言う意味だ。まあ、大して自慢にもならないことを、いかにも大層なことに思っている当人の、多少の露悪趣味といえなくもないけれど。
ということで、ここは「自慢だぞ」と正直にことわった上で書くのだが、わたしはサリンジャーの『The Catcher in the Rye』をこれまで4回読んでいる。いや、ほんとは6回くらいは読んでいると思うのだが、自信を持って断言できるのが4回なので、ここは一応謙虚に。

まず白水社から出ていた野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』を高校1年生の頃に読んだ。これは、いまでも憶えているが、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』が芥川賞をとったときに、これってサリンジャーのライ麦畑のパクリじゃんという批評があって、庄司薫の文体にすっかり入れ込んでいた私は、けしからんことを言うやつだなあと思いながら、その当否をたしかめるためにサリンジャーを手にとったのであります。だからこれが一番最初。そのときの感想はまたあとで書く。

2回目は大学の2年か3年で、このときはペンギンのペーパーバックで読んだ。このころは、まだあんまり英語が読めなかったので、野崎訳と引き比べながらなんとか読み通した記憶がある。(だからこのときは翻訳もまあ読んでいることになるな)
3回目は社会に出てから、やはり野崎訳を読んだ。たぶん二十代の終わりか三十代のはじめだろう。
4回目は学生時代に読んだぼろぼろのPBを実家で見つけて懐かしくて読んだ。たぶん40代のあたまじゃなかったかな。

Catchinrye で、今回は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』。これはカミさんの本。村上春樹の新訳がでたときに早速彼女が読んでいた。そのときは、わたしは正直なところ、あんまり食指が動かなかった。いまさら、なんで村上春樹なんだよ、ってな思いがしたのね。
だが、先日、加藤典洋の『敗戦後論』を読んでいたら、読んだ人は知っているとおり、ここに重要な項目としてサリンジャーが登場する。しかもなんと「戦争文学としてのライ麦畑」という思ってもみなかった切り口。これが説得力のある論の立て方であるかどうかはともかく(わたし的にはあまりピンとこないけどね)こういうの読むと、これは再読せざるをえなくなろうというものではないですか。(笑)

ということで、考えてみれば、わたしはこのライ麦畑に関しては、10代、20代、30代、40代、そして今回50代と、繰り返し読んで来たことになります。いや、おどろいたなあ、もう。
てなわけで、この作品をいったいどう読んできたのか、すこし考えてみようかな、と思った。
(この項続く)

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2008/03/21

言語表現法講義

2008_0321kato いったいこの先どうなるのかわからない。どこに行くのか、どんな結論になるのか書き始めたときにはわからない。だがわからないまま書き進んでいるうちに、その直前まで自分でも思ってもいなかったような知見が生まれることがある。
わたしたちは言葉を使って考えるしかないのだから、書くことがすなわち考えることであると見極めれば、それは不思議でもなんでもない、という意見もあるだろう。
そういう文章の書き方があるとする。

一方、文章を書くということは、なにか人につたえるべき情報や知見が先にあって、あとはそれをいかにわかりやすく表現するかだ、という考え方もある。ビジネス文書や仕様書や規則類は、100人の人が読んで、100人の人がその文書の指し示すことが理解できることが理想である。
そういう文章の書き方があるとする。

この場合、これらふたつの文章表現はおのずと違ったものになるだろうか。それはそもそも文章を書く目的が違うのだから(かたや自分の思考を拡大するのが目的、かたやノイズなしに情報を他者に伝達することが目的)結果として残る文章表現は異なったものになるでしょう、という意見もあると思うが、わたしの考えを言えば、これらを同一のレベルできっちり統合して書かれた文章に接したときに、わたしたちは、これを面白い、よい文章だと感じて、読むに足るものとするのではなかろうか。
すくなくとも、わたし自身は、そういう文章を書きたいと思っております。

以上、加藤典洋『言語表現法講義』(岩波書店)を読んで。

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2008/03/12

岩佐美代子/京極派歌人の研究

花のうへにしばしうつろふ夕づく日入るともなしにかげ消えにけり
まはぎちる庭の秋風身にしみて夕日のかげぞかべに消えゆく

永福門院のこの二首の歌を、光厳院の「ともしび」の連作(当時は花園院詠として)と共に、久松潜一先生にはじめて教えていただきましたのは、太平洋戦争のまっただ中、女子学習院高等科に在籍中の、昭和十九年の早春のことでございました。その新鮮さ、美しさに、総身のふるえる程の歓喜をおぼえました当時の記憶は、今もありありと私の身うちに息づいて居りますのに、もうそれから三十年もたってしまいました。その三十年の間に、私は結婚し、二人の子を産み、昭和三十六年には、五つの時から十三年間心をかたむけてお相手申し上げた大切な「宮さま」——今上第一皇女照宮、東久邇宮成子様の御早世にあい、更に一昨年の夏には、二十七年間愛しあい、信じあい、頼りあって来たたった一人の人——夫、岩佐潔を失いました。そして今、、私は生まれてはじめて、自分一人のために生きる自由を得、久松先生・松尾聰先生はじめ諸先生方のおはげましによって、三十年来いだき続けてきた永福門院への思い、京極派への思いを、一本にまとめる事ができました。喜んでよろしいのでしょうか、悲しんでよろしいのでしょうか。

岩佐美代子の『京極派歌人の研究』がはじめて世に出たのは1974年。前年度の文部省科学研究費補助金(研究成果刊行費)の交付を得て、笠間書院から出版された。上記は、その「あとがき」の出だし部分である。略歴から計算すると著書このとき四十八歳。

岩佐さんは『宮廷文学のひそかな楽しみ』(文春新書)で知り、この『京極派歌人の研究』もそのうちにぜひ読んでみたいものだと思っていたが、昨年11月に同じ笠間書院から新装改訂版として出版された。(1984年にも復刊されているので今回が三回目の出版である)

20080312d こういう本の性格として、限定版だし価格も高いので個人で気楽に買うというのはむつかしいが(わたしも図書館の本で読んだ)、専門的な論考でありながら、これを読むこと自体が、論考の対象とされた、たとえば永福門院であったり、後嵯峨院大納言典侍といった女人たちの人生の喜び悲しみはもちろん、その底にかくれた著者その人の静かな声まで伝わってくるような生き生きとした感動を呼ぶ、そういう学術書は珍しいのではないだろうか。わたしは読みながら、とくに本書の前半の、伏見院宮廷グループの躍動感あふれる交友関係や、伏見院と永福院という好配偶の麗しい愛情生活、伏見なきあとの永福門院の見事な処世、やがて一門の長として見せる貫禄の分析、描写に賛嘆を禁じえなかった。じつに面白い。ときどき「ほお」と声を上げながら読み進める。すばらしい論文だ。

とくにわたしが興味をもって読んだのは、後嵯峨院大納言典侍をめぐる考察である。(本書にはルビをふってないが、「典侍」は「てんじ」でもいいし「ないしのすけ」と読んでもいいのだろう)
簡単に書いておくが(自分がわすれるから(笑))岩佐さんの考察では彼女は、藤原為家の第一女であり、すなわち定家の孫にあたる。定家の鍾愛非常な姫君として育ち、やがて摂関家、関白二条良実の嫡男である二条道良に嫁す。おそらく為家が「続後撰集」撰進をおこなうときの補佐として父を助けたであろうこの女人は、しかし自分の後任の父の秘書役として源氏物語筆写のために阿仏尼を招くのだが、これがのちの二条家と冷泉家の数十年におよぶ所領争い、また御子左家の三分裂という歌道史上の重要な出来事の種をまいたことになる。為家とこの阿仏が結ばれて為相(冷泉家)を生むのでありますね。ところが、この後嵯峨院大納言典侍、すなわち摂関家嫡男の正妻でやがて関白、氏の長者の北政所ともなるべきであったお方は、あろうことか早くにその関白になるべき夫を亡くし、ご自身もやがてむなしくなってしまわれた。そのお亡くなりになったのが、ちょうど阿仏尼が為相を生む直前で、ゆえに父為家にとっては、かつて自分の片腕とも頼み慈しんだ愛娘であり、また定家の「鍾愛非常」な孫姫であったこの女人の死をどれほど嘆き悲しんだか。そして、彼女の生まれ変わりのように誕生した為相にたいして為家がどれほどの想いをかけたか。この後嵯峨院大納言典侍の死と、為家の晩年の切々たる哀傷に満ちた詠唱をつなげてみせた見事な論文であります。
なお、新装版の付記として、1999年「冷泉家の至宝展」において新発見の為家歌集「秋思歌」が展示、その冒頭日付によって、岩佐さんの学説が裏書きされたことが書かれております。(為家、阿仏と京極派については、拙ブログのこちらにも書評を書いておりますのでついでに見てやっていただければ幸い)

この後嵯峨院大納言典侍も夫に先立たれた方だし、永福門院にいたっては著者と同じ歳に夫である伏見院を亡くされた方である。そういう女人の境涯に対する、著者の共感がこれらの論文の後ろにやはり見え隠れする。
冒頭の「あとがき」はこのように結ばれる。これも、こういう学術書には異例の文章であるような気がするが、やはり感動的だ。

そして最後に、皆様のお力でできましたこの本を、私のたった一人のいとしい人——愛する事と悲しむ事、生きる事と死ぬ事を身をもって教えてくれたいとしい人に捧げます事をお許し下さいませ。その人は私の心の中で、あの長いやさしい指でゆっくりと頁を繰りながら、静かにこう申します。「・・・・そうかい。・・・・よかったな。・・・・よくできたな。・・・・たいしたもんだな。・・・・久松先生、何ておしゃった?」と。
 岩佐美代子
 昭和四十九年三月一日

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2008/03/05

THE OVERLOOK/Michael Connelly

2008_03052 ハリー・ボッシュものの第13作、『THE OVERLOOK』を読む。
前作『ECHO PARK』の設定が、2006年。そのときハリーは未解決事件捜査課にいたけれど、今回の事件はそれから半年ばかりたった時点からスタートする。ええと前作のネタバレをするわけにはいかないのだが、今回ハリーはロス市警本部の特別殺人課(原文はHomicide Special)に移って、新しいパートナーと組んでいる。エコー・パーク事件でFBIと因縁が残ったかたちになったが、まあ、いろいろあって、この異動になったのだろうとこのシリーズを追っているファンには推測できる。

さて今回の事件、マルホランド・ドライヴをすこし上がった高台で一人の男が処刑スタイルで殺されているのが発見される。頭に22口径を2発撃ち込まれているという。被害者はスタンリー・ケント医師。子宮癌の専門医で、遺留品にはあちこちの病院の入室管理用のIDカードがある。
現場に着いたハリーは、ケント医師のポルシェのトランクになにか重い器具でも置かれていたような痕を認める。かれはなにか見たことのないリストバンドのようなものを両手首につけていた。いったいなんだろうとハリーたちが、首をひねっていると同じく現場に駆けつけたレイチェルが、FBIはそれがなにかを知っているし、そのためにここに来たのだと告げる。それは、放射線治療を行う医師などが、自分の被爆状態をチェックするためのTLDリング(Thermal Luminescent dosimetry)だという。FBIは、病院が管理しているセシウムなどの放射性物質を、アルカイーダ系のテロリストが狙っていることをすでに想定して、これらの物質にアクセスできるロスの医師のモニタリングをしていたのだという。事件は一気に、テロリストグループによるセシウム強奪とダーティ・ボムによるロス攻撃という最悪の事態を想定した国家的な非常事態の様相を呈するが・・・・というようなオハナシ。

本書、もともとはニューヨーク・タイムズ・サンデー・マガジンの連載小説だった。本にするにあたって、だいぶ加筆したらしいが、それでもペーパーバックで実質260ページばかりだから、これまでのシリーズにくらべるとあきらかに分量が少ない。そのせいだけでもないだろうが、事件の先行きは途中からだいたい見えるし、コナリーにしてはぜんぜん物足りないんだなあ。わたしのようなファンは、ボッシュの近況を知ることに関心があるので、まあ、多少、出来が悪くても満足なのだが、これはそういう方以外にはあまりおすすめできないかもしれない。ただ、逆に古いファンの方には、この事件の捜査でちょっとした問題が発生するので、これが次回作からのボッシュにある種の宿命のようなものを与える可能性もあるという意味で、必読かもしれません。

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2008/02/19

句会小説はいかが

Haihu3reija1_2 これまでありそうでなかった小説というのは面白い。
三田完の『俳風三麗花』(文藝春秋)は帯のキャッチを引けば、「本邦初の句会小説!?」。
本邦初かどうかはともかく、たしかに俳句の世界をモチーフにした小説は珍しくはないが、本書のように句会そのものに焦点をあてた小説は、わたしはほかに知らない。

オハナシは、昭和七年の梅雨明け前後から昭和九年の立春までの東京を舞台にした、五話の連作短編である。
五・一五事件や松岡洋三の国際連盟脱退、滝川事件に小林多喜二の虐殺、満州国建国、皇太子誕生の提灯行列などがこの物語の時代背景として走馬灯のように流れてゆく・・・

日暮里の暮愁庵で毎月開かれる句会は、主人の暮愁先生がやもめの数学教授。写真館の主である穂邨や古本屋の南海魚、三井合名のサラリーマン、政雄、筆職人の銀渓などの俳句好きにまじって、なぜか妙齢の美女が三人加わった。暮愁先生の友人だった父の遺志をついで俳句に精進するちゑ、震災で両親を亡くした女子医専の学生である壽子(ひさこ)、それに浅草の花柳界をこれから背負って立つという松太郎姐さん—というわけでこの三麗花の恋模様と俳句がちょっぴりくすぐったいタッチで描かれる。
これはなかなか拾い物のよい小説。

本書では暮愁先生はホトトギス会員で、虚子からもその力量を買われているという設定なので、おそらく暮愁庵句会の手順は、ホトトギス系の結社に共通のものだろう。

全員がそろうと、最初に暮愁先生が半紙に席題などをさらさらと書いて鴨居に鋲留めする。

  席題 端居 守宮
  投句 各一句
  〆切 二時
  選句 三句(うち天一句)

一時間で席題の二句をつくって投句する。投句は半紙を切って作った短冊で行う。
誰の句かわからないようにするために清記を行うが、達筆の筆職人銀渓さんが半紙数枚に墨書し、席題を書いた紙の隣に張り出す。(いまはコピー機で人数分焼くことが多いだろう)
つぎに各人は三句選んであらかじめ配られた句箋にその句を記入し選者である自分の名前を右下に記す。選んだ三句のなかでもっともよいと思う句の上に「天」と書いて提出する。提出するのは披講の係の人の前である。
披講係は声のよい政雄さんで、まず披講係その人の選からはじまる。並選ふたつを読んでから天を読む。
披講係によって自分の句が読み上げられた作者は、すかさず「松太郎」というように自分の俳号を名乗ることになっている。
一通り披講が終わると、自分の句に天がいくつ並選がいくつ、というように、その日の成績があきらかになるので、最後に合評に移る。
とまあ、これが普段の暮愁庵句会の進め方である。

気づくのは、席題が季語であること。わたしが参加する句会では逆に季語は席題にしないのが普通。それから、投句数が一時間で二句ということ。これはかなり少ないね。わたしの知っている句会では一時間で六から八句くらいを課すことが多い。これはつまりじっくり時間をかけて推敲することを重視するか、一種の自動筆記のような効果を狙って自分でも意外な詩想の発見の機会を重視するかということの違いかもしれない。
あとは披講のやり方。これはこの時代のホトトギスの方式だろう。わたしたちの場合は、岩波新書の『俳句という遊び』方式である。つまり、作者を伏せていろいろ講評をおこなってから、ではこの作者はどなたでしたか、と聞いていくやり方だ。

いずれにしても、句会の模様が物語の付け足しではなくて、むしろ軸であることや、俳句好きの人間の心のうちがよく描かれていることなど、出色の俳句小説ではあるまいか。

なお本書は昨年の直木賞の最終選考に残った作品である。もし受賞していたら、低迷気味の俳壇のカンフル剤になったかもしれないなあ。

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2008/02/17

アレクサンドリア四重奏

ロレンス・ダレルの『アレクサンドリア四重奏』四部作をやっと読み終える。
今回の「月刊みすず」の読者アンケートでも、何人かの人が、昨年印象に残った本としてこれをあげていた。もうずいぶんむかしの作品(英国での初版が1957年)だが、昨年に新版が、初版のときと同じ翻訳者によって刊行されたのですね。もちろん、わたしは読むのは今回がはじめて。

言うても、たかだかハードカバーの本が4冊にすぎないので、二週間もあれば十分読めるくらいの分量なんですが、わたしの場合、はじめの「ジュスティーヌ」を読み終えたのが去年の12月26日、「バルタザール」が1月19日、「マウントオリーヴ」が2月6日、そして最終巻の「クレア」が今日と、なかなか一気に読めるような軟弱なヤツではなかった。(笑)

よかったですか、と訊かれると、すごくよかったですと、いばって答えたくなるのではありますが、じつはこれは読み通すのにすごく苦労したので、読了したことに対する「自分を褒めてやりたい」症候群のせいかと思われます。

はっきり言って、最初の「ジュスティーヌ」を読んで、あ、もうやめ、これは合わんわ、と思ったね。ようわからん。
しかし、どうも気になるので、「バルタザール」を読むというと、ますます、ようわからんのであります。(しかしその文章の濃密さや詩の毒には酔ってしまう)
こうなると、次読んでも、やっぱりようわからんのやろか、と思うよね。ところがですね、困ったことに「マウントオリーヴ」読むと、これが予想に反して全然よくわかるんだなあ。(この巻は間違いなく面白い小説です)
で結局、最後の「クレア」まで引きずられてしまった。通読すると、まあ、ようわからんところも残るのですが(と言っても、「わかる」ために読み返す気には当分はならん)さすがに、いや、こらすごいわな、ということになる。はいはい、ゲージツやね、と半分皮肉をこめてですけれども。(笑)

この『アレクサンドリア四重奏』は三島由紀夫も絶賛していたそうですが、そういえば『豊穣の海』もこのダレルを読むと、その影響がどこかに感じられるような気がしないでもない。(まあ表面上はぜんぜん似たところはないけれど)

ところで、冒頭に書いたように、この四部作は翻訳者である高橋雄一が、大幅な改訳をしたもの。略歴などから逆算すると、最初の翻訳をおこなったのはまだ27歳か28歳のころであったはずです。
「クレア」の「訳者あとがき」に当時のことが書かれている。
出版業界の約束事などなにも知らなかった20代の若造にこの仕事を振ってくれたのは、当時名編集者として知る人ぞ知るという坂本一亀だった。

五十年前の初夏の日射しの明るい日曜日に、窓を開け放って仕事をしていると、同じ沿線の二駅ほど離れた町に住む坂本が自転車で訪ねて来た。散歩の途中だと言っていたが、心配になって様子を見にきたということもあったのだろう。後ろの台に五、六歳くらいの男の子が乗っかっていた。

—とここまで書けば、やあ、そうでしたかと、このあとの展開がわかる人にはわかるだろう。この荷台の男の子、坂本龍一なのでした。

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2008/02/12

On Chesil Beach by Ian McEwan

They were young, educated, and both virgins on this, their wedding night, and they lived in a time when a conversation about sexual difficulties was plainly impossible.

イアン・マキューアンの『ON CHESIL BEACH』はこんなふうに始まる。ペーパーバックで170ページばかりの中編小説である。
1962年の夏、ドーセットの海岸沿いのホテルに投宿した新婚夫婦の初夜を克明に描く—なんて言うと、うーん、あんまりいい趣味じゃないな、と思われるかもしれないが、たしかにそんな面もないとはいえない。

2008_0212 実際のところ、この小説は一歩間違うと、ポルノグラフィーになりかねないし(その性描写が「法医学」みたいだなんて書評もある)、またコメディーにしてしまうことだって十分に可能なんだけど(「ひとのセックスを笑うな!」)、読後の印象はまったくそういうものとは異なる。
すごく苦いんだけど、それが不快な苦さではなくて、気がつくと清々しい記憶になってあとにのこる、そんな感じと言えばやや近いかもしれない。

先日、行方先生の英文の読み方の本で、反省しきりでありましたので、この本は(短いこともあり)自分としてはかなり精読したつもり。また、物語の性格から言って、過去完了や仮定法を意識して読む必要がありまして、なかなか英文読みの訓練には向いた作品だと思いました。その典型的な例は、結末の部分なので、ここでそれを引用しようかとも思ったのですが、いやいや、それはネタバレになって具合が悪いなあと思い直しました。

いずれにしても、ゆっくり読み込むと、どの文章もしみじみ味わい深く、ラストのページまできて、おもわずこころを激しく揺すぶられて泣いてしまう、じつに見事な小説でした。

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2008/02/01

英語が一皮むけそうな本

He is not so busy that he can't go for a walk now and then.

たとえば、いきなりこの短い一文だけが書かれたメモをぽんと渡されて、「ねえねえ、これってどういう意味?」と尋ねられたとします。
一読、すぐに、「ああ、これはね・・・」と答えられる人は、英語がかなりできる方ですね。
ある程度、英語が読める人でも、あくまでそれは外国語にすぎないという人にとっては、ワン・センテンスだけを取り出して、前後の文脈がわからない状態で「翻訳してちょうだい」と頼まれるのは、ちょっと困る。小説などは多少わからない箇所があっても、長丁場ですから、読み進めていくうちにあとから理解できたりするわけですが、そういうことを長々説明しても「なーんだ、英語の本なんか読んでるから、英語がデキルのかと思ってたのに」などと冷ややかな視線を浴びたりして。

ただし、上記のセンテンスくらいなら、一読で意味が正しくとれなくてはだめであります。
え、わたし?いや、あなた、ものにはコンテキストというものがあるのだから、いきなりこれだけ見せられて訳せっていわれても、ごにょ、ごにょ・・・(笑)

行方昭夫先生の英文の読み方に関する本を三冊読んだ。

 『英語の発想がよくわかる表現50』(岩波ジュニア新書)
 『英文の読み方』(岩波新書)
 『実践 英文快読術』(岩波現代文庫)

2008_0201 ある意味で、どれも「打ちのめされる」ような本であります。
いや、嗤われても仕方がないのだが、わたしは英語の読みについては、まあ、そんなにひどくはないだろうと自惚れていたのですね。エンターテインメントの小説はもちろん、ときにはブッカー賞受賞作だって英語で読むことがあるし、まあ、多少、手こずったり途中で意味がたどれなくなるようなことがあっても、それはそれで勢いで読めばかまわないじゃんかと思ってきたのであります。

ところがですね、今回、行方先生の本を読んで、わたしはいかに自分が英語が読めていなかったか思い知らされたのであります。
言ってみれば、わたしは盛り場のストリート・ファイターのようなものでありました。いきがって、無敵の大将のつもりでいたら、たまたまからんだ相手が世界ランキングのプロ・ボクサーだった、てな感じであります。
いや、初心に返ってベンキョーしよう。(笑)

ええと、すこしだけ行方先生のとっておられる立場を紹介しておきます。

岩波新書『英文の読み方』へのコメントとして,数人の英語を教えている方から,「自分はいちいち訳さないで英語のままで理解させるようにしてきた.そのほうが時間の節約にもなると思っていた.しかし,何かの機会に訳させてみたら,浅い理解しかしていないのを発見して愕然としたことが少なくなかった.複雑な英文は日本語に移させてみるべきだと思うようになった」という趣旨の手紙をいただきました.むろん私は同意見です.きちんと読むのが主目的ですが,きちんと読めたか否か,それは日本語に直した場合に,手早く判明するというのが私の見解です.
『実践 英文快読術』p.63

あ、そうだ。
冒頭の英文、蛇足になるかもしれませんが、一応、解説しておきます。これも、『実践 英文快読術』から。(この本にはノエル・カワードの戯曲『私生活』がほぼ丸ごと入っていますから、そういう意味でもすごくお得。きちんと読めなかった方はどうぞお買い求めくださいませ)

He is not so busy that he can't go for a walk now and then.

「彼はとても忙しくないので,時々散歩に行けない」では,何のことやら不明です.not が否定しているのはどの部分かを考えるのが大事です.この訳は so busy だけを否定していると取ったので,混乱したのです.そうではなく,so busy that he can't go for a walk now and then 全体を否定しているのです.それで,まず不定されている部分を「時々散歩に出ることも出来ないほど忙しい」と捉え,これ全体を否定して,最後に「というようなことはない」とすればよいのです.p.46

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2008/01/11

武部利男『白楽天詩集』

Hakuraku 図書館で借りた『白楽天詩集』武部利男(六興出版)があまりに素晴らしかったので、どうしても手に入れたくなってネットの「日本の古本屋」で金沢の本屋に注文。翌日に届いたのは、読まれた形跡のない美本でありました。便利な世の中になったもんだ。
1981年の発行だから、さすがに箱には、かすかに時代がついていますが、中身はハトロン紙に包まれ当時の出版社の注文票も頁に挟まれたままの状態。(なお箱の絵は富士正晴です)
わたしの手元に置いておいてもいいのだが、せっかくいい状態の本だったので、父への贈物にしました。

ひとつ前のエントリーで、「詠懐」の訳を紹介したように、この武部訳には漢字が一字たりとも使われていない、全百二十六首すべてカナガキというユニークな訳詩なのですね。
これについては、武部の師でもあった吉川幸次郎の文を引こう。

白楽天という詩人は、不幸な人の友だちであろうとして、誰にでもわかる言葉で詩をつづることに努力した。詩ができあがると。女中のばあやに読んできかせ。意見をもとめたともいう。この武部訳は、原詩のそうした方向を有効に生かすべく、ぜんぶカナガキである。
カナガキの日本語というものは、読みにくいのがふつうなのに、武部君のはふしぎにそうでない。
ふしぎな才能である。白楽天が武部君によって訳されることは、白楽天にとってもたのしいことであろう。

ユニークな訳詞といったが、あるいは人は、いやこういうリズムなら井伏鱒二に「厄除け詩集」があるじゃないかと言われるかもしれない。(あの「訳」詩については、どうやら井伏鱒二のオリジナリティということでもないようですが)
たしかに、わたしも「厄除け詩集」は大好きですが、あれは厳密には漢詩の和訳ではないですよね。漢詩をベースにして、翻案した日本語詩というのが正しいと思う。

これにたいして、本書がすごいのは、全編、ほとんど逐語訳といってもあながち間違いではないような原詩の忠実な翻訳でありつつ、大和言葉と日本語の音律を見事に響かせたまったく瑕のない日本語の詩であること。
わたしは、まず原詩から日本語訳、日本語訳から原詩、と何度も目を行き来させその見事な対応に「ほぉ」と感嘆した。
しかし、もっとわたしが驚いたのは、じつは、そういう漢語と日本語の目の行き来を堪能した後で、今度は純粋に日本語詩として、たとえば「長恨歌」だととか「琵琶行」といった少々長めの漢詩を(漢文読み下し方式では、わたしの力では途中で力つきるが)すらすらと流れるように読めたときの感動である。ああ、これはそういう詩だったのか、とやっと初めてこれらの作品をほんとうに理解できたような思いにとらわれた。

「ながい うらみの うた」の最後の部分、漢詩の方を書かずに武部訳だけを紹介しましょう。たぶん多く方はそらで漢文の読みができるはずですが、それをこんなふうに詠ってみるのも面白いと思っていただけるのではないでしょうか。

しちがつ なぬか ほしまつり
リザンの みやの チョウセイデン
まよなか だれも いない とき
ふたりで そっと ささやいた

てんへ いくなら とりとなり
つばさを つらねて とびたいね
ちじょうに いるなら きと なって
えだ からませて すみたいわ

てんちは ながく ひさしいが
いつかは かならず つきるでしょう
この うらみだけ めんめんと
つきはてるとき ないでしょう

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2007/12/18

アジア・太平洋戦争

岩波新書で出ている「シリーズ日本近代史」の第六巻は吉田裕の『アジア・太平洋戦争』。このシリーズについては、今年の4月に第一巻の『幕末・維新』井上勝生について簡単な感想を書いた。(こちら)

そのときに、この幕末維新史が、「明治国家はけなげであった」という素朴な歴史観(わたしの場合は主として司馬遼太郎を読むことで形成された)に真っ向から礫を投げつけるようなものである、という印象を書いた。好悪は別のこととして(つまりわたしはあまり好きではない)その志やよしと思ったのであります。

今回の『アジア・太平洋戦争』についても、似たようなものを感じる。
著者はわたしと同年代の研究者だから、自分自身の体験として戦争のことを語ることはできない。

しかし直接に体験はしていなくても、戦争の現実、戦場の現実に対する想像力を身につけることはできるのではないだろうか。そもそも、直接に体験していない事象を想像することができないとすれば、歴史学という学問は成り立たないだろう。

正論だが、同時にそんなあたりまえのことをわざわざ前書きに書かなければならないところに、大東亜戦争を歴史的に分析する困難さもあるだろうな、と複雑な思いも去来する。
それはそれとして、現在のわたしたちにも大きな思想や判断の準拠枠を与えているこの戦争の時代について、ひとつの暗黙のオハナシがあるような気がする。
こんなものだ。

大日本帝国憲法の下にあって、その法制をもっともよく理解していたのは昭和天皇だった。昭和天皇は個人としては英米との戦争はもとより、中国大陸への侵攻も望んでいなかった。領土的な野心をこの人物は個人としては持っていなかった。しかし、同時に昭和天皇は天皇というものを国家の一機関であると認識していたから、正統な政府が決定した内政および外交方針については、たとえそれが自分自身の意に沿わないものであっても、それを決裁することが通例であった。すなわち、軍部が統帥権を錦の御旗として国政を壟断したことと対照的に、昭和天皇自身は親政というかたちで自分の意思を通すことをきびしく自分に禁じていた。わずかな例外のひとつが連合国のポツダム宣言の受諾と無条件降伏の国策決定であった。

ほかの人にとってはどうか知らないが、わたしにとってはこのオハナシは耳に快い。

ところが、本書『アジア・太平洋戦争』はこうした通俗的な昭和天皇像に対して、いやどうもそんなんじゃなかったみたいよ、という天皇像をいろいろと提示してみせる。
その具体的な史料等については、ここではいちいち取り上げないが、上記のようなオハナシが心地よい(わたし自身がそうであることはすでに書いた)向きには、ちと都合が悪い内容である。
こういうことを明示的に書くのはいまでも注意しなければならないだろうから、さすがに著者もはっきりとそう書いているわけではないが、あきらかに著者の立場は、天皇には戦争責任があるというものだろう。それも形式的な法制上の責任者であるという消極的な責任ではなく、能動的君主として開戦を決断し、戦争を指揮したという責任である。

専門家向けではなく、わたしのようなごく普通の読者を想定した新書の現代史では、率直に言ってかなり踏み込んだ内容だと思う。好悪は別として志は買うというのがわたしの感想。

それ以外にも、いろいろ示唆に富む切り口があって本書は面白かった。
ふたつ例をあげる。
ひとつは、アメリカ合衆国はこの第二次世界大戦では唯一戦争によって国力を向上させた強国であり、この「成功体験」がいまにいたるまで大きな影響を与えているという指摘。口ではなんと言っても、かれらはいまでも戦争はよいものだと思っている。
もうひとつは敗戦直前、特攻で消耗させられた兵力の大半が学徒動員兵であったという事実。職業軍人は同じ職業軍人をかばい一般社会から徴発した市民(それこそかれらが命がけで守るべきものであったはずだが)を消耗品のようにすり潰したが、それによって、ほかならぬ学徒動員の生き残りの戦後のエリート層に軍隊への嫌悪と忌避を決定的に植え付けたという視点。たしかにそうだったんだろうなあ、と具体的なあの人、この人の顔を想起しながらそう思う。

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2007/12/14

ツーソンの女教師

2007_1214 ゼナ・ヘンダースンといえば、中学・高校生のころ「SFマガジン」誌上で、ピープル・シリーズを愛読したものだが、よく考えると、このシリーズのほかにどんな作品を書いていたのかまったく知るところがなかった。
『ページをめくれば』(河出書房新社)は、この作家の(わたしには)ちょっと意外な傾向もふくめて、その作品の全貌を伝えてくれるなかなかおもしろい短編集。

ピープル・シリーズからも一編とられているが(「忘れられないこと」)、残念ながら、これはあまりできのよい作品ではない。編者の方針で、できるだけ他の短編集やアンソロジーからこぼれているものを選んだ結果なのかもしれない。このシリーズは早川文庫で『果てしなき旅路』と『血は異ならず』の二冊が出ているそうな。何十年ぶりに読み返してみるのもいいかもしれないなあ。

ピープル・シリーズというのは、地球に不時着し散り散りになった宇宙人の後裔たちが同胞を探してさまよう、といったオハナシ(いまでこそ、ああ例のやつね、てなもんですが、たぶん、そういうスタンダードなアイデアの大本になった作品のひとつがこのシリーズだろう)なんですが、典型的には、教室の片隅にいる不思議な子供の存在に女教師が気がつくなんてところから事件が始まる。かならずといっていいほど学校と子供が出てくるのは、作家自身がアリゾナの小学校で教えていたからで、そういうシチュエーションで読者が期待するとおり、物語は基本的に善意と共感に縁取られた心あたたかい人間ドラマとして終始する。だから、わたしはこの作家をそういう作風で記憶していたのである。

ところが、先に述べたように、今回、ピープル・シリーズ以外の作品をある程度まとめて読んでみて、わたしが意外に思ったのは、けっこうダークな味わいのものがあったからだ。むしろ、こういう味わいのもののほうが、作家本来の嗜好に近いのではないかとさえ思った。

Zenna しかし、この作家のバックグラウンドをあらためて調べてみると、こういう「フォースのダークサイド」(笑)への嗜好についても、なんとなく得心がいくところがあった。
ゼナ・ヘンダースンZenna Chlarson Henderson (1917~1983)は、アリゾナのツーソンに生まれ(Tucson, Arizona というとビートルズのGet backを思い出すね)1940年にアリゾナ州立大学で教育学士を取得し、生涯を教師として過ごした。本書の解説(中村融)によれば、第二次大戦中は日本人キャンプでも教えていた由。
だが、この作家の作風を考えるときにもっとも重要なことは、次の事実だろう。(ゼナ・ヘンダースンの公式サイトから)

Zenna Henderson was born and raised as a Latter-day Saint. She was baptized as a member of the Church of Jesus Christ of Latter-day Saints. Her background growing up in rural, predominantly Mormon communities of Arizona is readily apparent in much of her writing, including her "People" stories.

モルモン教のSF作家といえばすぐにオーソン・スコット・カードが思い浮かぶが、この公式サイトの記述によれば、カード自身も自分の小説に大きな影響を与えた作家の一人としてゼナ・ヘンダースンをあげているようだ。
たしかに読後に残る印象については、共通点があるような気がする。
死や暴力や破滅に対する恐怖と嫌悪が一方にあり、しかし同時にそれに対してどうしようもなくひきつけられてしまう自分の願望のアンビヴァレントな並存なんて感じ。
そこが魅力でもありちょっと敬遠したくなるところでもある。

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2007/12/13

ロッジ『恋愛療法』

Therapy2 デイヴィッド・ロッジの『恋愛療法』(白水社)を読む。
原題は『Therapy』。

主人公のタビーは58歳のテレビドラマの脚本家。ほんとうの名前はロレンス・パスモアというのだが、中年過ぎて頭は禿げて体は洋ナシ形に変形、タビーとは「太っちょ」という愛称である。女房は大学の准教授かなにかで、ふたりの子供がいたが、いまは子供は独立し、夫婦二人だけの生活である。

数年前に「お隣さん」というシットコムのシリーズが大当たりをして、「裏庭に油田を掘り当てた」ように金はざくざく入ってくるので、生活にはまったく困っていない。いや困っていないどころではない。絵に描いたような裕福なご身分。
街角のショールームで見かけた真珠色に輝く美しい日本の高級車に魅せられて、何日も買おうかやめようか、くよくよ迷いに迷ってみせるのだが(お金はあるんだから欲しいんならさっさと買えばいいでしょ、と夫の優柔不断にうんざりした妻は言う)、いざその車がショールームから消えると、あわててディーラーに飛び込み、あのクルマはどうした、と営業マンに詰め寄る。あれはオレのクルマだぞ!(笑)
あの仕様は日本の工場でしか生産しないタイプですので、いまからご注文いただいても同じクルマが納車されるのは数ヶ月先です、と言われて、ふざけるんじゃないと逆上する。わかりました、わかりました、もしどうしてもとおっしゃるなら、他のお客さんが注文して日本からこちらに向かっている分がありますから、プレミアムを払えば譲ってもらえるかも。いいとも、金ならいくらでも出す。なんとしてでもそいつを手に入れてくれ・・・
ラミッジに高級住宅を構え、ロンドン市内にもひとつフラットをもっている。
テレビ関係者だからそういう機会は簡単に得られるのだが、妻以外の女とセックスはしない主義である。ただ、セックスはしないけれど、ロンドンで一緒に演劇を見に行ったり、常連のイタリアン・レストランで業界のゴシップを交換したり、フラットに帰って一緒に酒を飲んでリラックスする愛人のような女は一人いる・・・

世のなかにはもしかしたら、そんな恵まれた男もいるかも知れぬ。人生に勝者というものがもしあるとすれば、たぶんタビーのような男であろう、とわたしなどもその境涯をうらやむ。

いや、ぐたぐた泣き言を言いながらも、ほんとうは本人もそう思っているのだろう。

膝に謎の痛みがあり、手術をしても治らない。夜はよく眠れず、気分は落ち込み、キルケゴールにとりつかれ、認知行動療法だのアロマセラピーだの鍼だのいろいろなクリニック通いが日課である。自分が裕福であることが疚しいけれど、保有資産の目減りには敏感だ。労働党の支持者を公言しているが、総選挙ではメージャーが勝ったのでほっとした。(本書は1995年の出版)保守党のほうが金持ち優遇策をとってくれると思っているから、はは。
認知行動療法のセラピストが治療の一環として手記を書くことを勧めたのだが、いまはこれにハマっている。ラップトップコンピュータに打ち込んでは家でプリントアウトして草稿を束にしているらしい。
本書、全部で4つのパートに分かれるのだが、その第一部がこの手記だというわけ。そのなかでタビーはこう書く―

幸せな結婚生活を送っているということは、結婚生活を演じる必要がないということだ。

うん、そうね。そういうもんだよな、と多くの亭主族は思うんじゃないかな。ところがところが、自分たちの結婚はうまく行っていると思い、当然相手もそう思っているものと決め込んでいた(まあ、最近多少は上の空で話を聞かないこともあるけどさ)女房が、ある晩、書斎にやってきて爆弾をぶつける。

しばらく別居したいのよ。

え、え、な、なんで、なんで・・・
というところで第一部終了。

いやあ、あいかわらずデイヴィッド・ロッジは面白い。
滑稽で、かなしくて、苦い。そして、本書にかぎっては、この作家にしてはめずらしく青春の甘酸っぱさも味わえて、オススメの一品に仕上がっております。

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2007/11/12

犬は勘定に入れません

1964815587_0ad3dbd774 コニー・ウィリスの『犬は勘定に入れません』は、とてもたのしい小説だった。二段組みの542頁というのは、それなりに読み応えのあるボリュームなんだろうけど、欲を言えば最低でもこの倍くらいあるともっと嬉しい。(笑)
悠然とこういうオハナシを読んでゆくのは精神衛生上、じつによろしいようで。

前作『ドゥームズデイ・ブック』の感想は「旧かわうそ亭」に入れているが、これいつごろ読んだんだっけなあ。初版が1995年だから、たぶんその数年後、もう10年くらい昔のことか。あっちのほうは、黒死病で人がばたばたと死に絶えてゆく陰気な物語だが、本書は死んでしまうのは金魚くらいのもので、いたって安全、快適な読書の旅であります。もっとも本書の主人公のほうは、安全はともかく、快適は保証されていないようなのが気の毒ではありますが。

題名を見れば、本書が腐朽の名作『ボートの三人男』へのオマージュであること、イギリス文学に多少親しんだ方ならすぐにおわかりになりますが、じっさい主人公たちがドタバタ喜劇を繰り広げるのは、1888年の6月の陽光ふりそそぐテームズ川の河畔や地方都市である。まさにジェローム・K・ジェロームの世界。さらにそこで猛威をふるうのが、上流階級のご夫人連で—

ウォルトンの教会には、鉄の「おしゃべり轡」がある。これは昔、饒舌な女の舌を抑制するために使われたものである。今日では、こういうものは使われなくなった。これはたぶん、鉄が乏しくなり、鉄以外の丈夫な材料はまだ見つかっていないためだろうと思う。

『ボートの三人男』の大好きな一節である。いや、なにもこれ、わたしの意見と言うわけではないのですがね、はい。(笑)
ジーヴスもののファンのみなさんは、アガサ伯母さん、ここにも登場と大喜びされるに違いない。さよう、本書の重要な骨格はあきらかにP.G.ウッドハウスである。『ボートの三人男』も『ドゥームズデイ・ブック』も、必ずしも本書を読む前に読んでおいてね、とは言わないが、ウッドハウスのジーヴスもののどれか一冊は読んでおいた方が、本書は絶対に楽しめます。
あとづけの独りよがりだけど、わたしなんか、今頃になってようやく本書を読んで(つまりウッドハウスを楽しんだ後でという意味だけど)ほんと、正解だったと思っているんだなあ。

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2007/11/03

服部真澄『清談 佛々堂先生』

2007_1103 服部真澄の『清談 佛々堂先生』(講談社文庫)は、あまり期待せずに手に取ったのがよかったのか、けっこう面白く読むことができた。
「和のトリビア満載のミステリー」というのが腰巻きのキャッチフレーズで、別にこれという事件が起こるわけではないのだが、その世界では知る人ぞ知る通人で数寄者の佛々堂先生が行き詰まった芸術家の新境地を開いてやったり、骨董の不思議な縁を結んでやったりというような内容。
本書には4話の短編が収録されている。それぞれラストにちょっとしたひねりが加えられて、たしかに一種のミステリー仕立てになっている。
この作家、処女作の『龍の契り』が評判になったときに読んで、そのときも感心したことだけはおぼえているのだが、その後はすっかり忘れていた。本書なども軽く読めるのだが、そのネタの仕込みはなかなか軽くはないだろうと思われる。
たとえば、わたしが「ほう」と思ったのは、酒井抱一の下絵で蒔絵師の原羊遊斎の印籠(の贋作)がモチーフになる話(「遠あかり」)で、この原羊遊斎が所蔵していた抱一の下絵集が散逸を免れて大和文華館とボストン美術館に一冊ずつ収蔵されている、なんて箇所である。
大和文華館は隣町にあり、ときどきはその収蔵品を見に行くこともあるが、そんな話は初耳だった。
酒井抱一は、これもなかなか面白い人で、絵師と言いながら、その身分は播州姫路藩主の次男である。吉原通いで有名な通人で、酔った従者を籠に乗せ、自分は歩いて屋敷まで帰ったとか、あるときは暴れ馬をなんなく取り押さえたなんて逸話があったかと記憶する。

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2007/09/26

アンナ・ポリトコフスカヤ

『チェチェン やめられない戦争』アンナ・ポリトコフスカヤ/三浦みどり訳(NHK出版)

なぜ自分はこの本を読んでいるのだろう。たとえわたしがなにかを知ったつもりになったとして、それがいったい何になるのだろう—。
空しさと無力感、そして恐怖。

第二次チェチェン戦争は、もし本書の報告にあることのほんの一部でも、それが事実を伝えているならば(わたしはこれをまったく疑わない)、わたしたちは恥ずかしくてチェチェンの老いた母親たちの顔を正面から見て「お気の毒です」などと言うことはできないはずだ。

歴史のなかには数知れない戦争の悪が報告されている。
もちろん報告されずに闇に消されて行った悪も数知れない。
しかしそれを伝えずにおれないとする人間もまた絶えない。ジャーナリストという職業に対して、その名誉と名声に対して、人はどこまでシニカルにこれを見定めるべきかというのは難しい問題だ。しかし、どこかで「わかった。おれはあんたを信じるよ」という跳躍がなければ話はすすまない。
そういう跳躍を多く人にさせたのがアンナ・ポリトコフスカヤだった。彼女のような人間が存在したことでわずかな希望が未来につながれる。

9・11以降の国際的な対テロ戦争というプロパガンダを、ロシアの一部の政財界の勢力がどのように利用したのか、歴史は徐々に明らかにしていくだろう。同時代のわれわれにはこれを見届ける義務がある。

Anna アンナ・ポリトコフスカヤ(Anna Stepanovna Politkovskaya)は1958年、ソビエト社会主義連邦共和国の外交官の娘としてニューヨークに生まれた。1980年モスクワ大学ジャーナリスト学科を卒業後、1982年イズベスチヤ紙に入社。1999年、ノーヴァヤ・ガゼータ紙に移り、第二次チェチェン戦争を報道。
2002年10月のモスクワ劇場占拠事件で、チェチェン武装勢力からロシア当局との仲介を依頼され、人質釈放の交渉に当たった。
昨年2006年10月7日、モスクワの自宅アパートで射殺された。
ロシア当局は事件の全容解明を約束し、先月も実行犯グループなどの情報を発表しているが、これに対する国際的な信頼は低いと思う。

photo by Anna MR.

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2007/09/23

フクヤマ『アメリカの終わり』

フランシス・フクヤマの『アメリカの終わり』(『America at the Crossroads』)は、邦題は「なんだかなあ」ですが、中身の方はなかなか面白かった。

ネオコンの思想的な系譜をたどりながら、冷戦終結後のアメリカの外交政策を実質的に動かすことができるようになったとき、かれらが、その巨大な力を「善意による覇権」として世界に押し進めようとしたいきさつがなんとなく、等身大の人間の行いとして理解できるような感じがした。

もともとトロツキストで、やがて共産主義の「悪」への嫌悪から激しい反共感情を抱くようになったネオコンというのは従来の右派とはかなり異なるというのはなんとなく腑に落ちる。たとえば冷戦のとき、主流派の右派は「封じ込め」という戦略をとった。今日のネオコンにつながるグループは、そういうプロフェッショナルな冷徹な大人の戦略(ジョージ・ケナンとかキッシンジャーとかをここで想起すればよい)にはあきたらなかった。冷戦時代の外交政策の主流は自らリアリストをもって任じ、ソビエトの体制が「悪の帝国」であるとか、ベルリンの壁を崩壊させて東ヨーロッパを解放すべきだというような「幼稚」な言説をアマチュアっぽいガキの発想として軽蔑していたが、意外にもレーガン政権下で、正しいのはむしろこのアマチュアの言説であることがはっきりした。

冷戦時代の大部分の期間、ネオコンは小さな、蔑まれた少数派であることに慣れてしまっていた。ネオコンの思想の多くが最終的にはレーガン政権によって実行に移されたが、アメリカ外交政策のエスタブリッシュメントである、国務省の官僚機構を動かす人たちや情報活動にあたる諸機関、国防総省、数多くの外交顧問やシンクタンクの専門研究家や学者らは、およそネオコンを無視していた。ネオコンは、ヨーロッパ人からも「単純すぎる道徳論者」や「向こう見ずのカウボーイ」、あるいはそれ以下の者として見下げられるのが通常であった。ネオコンは誰もが常識としていることを打ち捨て、可能性すらまったく想定できないと皆が思うような打開策を目指していた(ダブル・ゼロやベルリンの壁を崩すというのがそれだ)。
共産主義の突然の崩壊で、そうした考え方の多くが正しかったということになり、一九八九年以降は主流派として、当然の存在と見られるようになった。

フクヤマはネオコンには四つの原則があるという。

  1. 体制(レジーム)の性格が政治の中心的な問題であるという考え方
  2. アメリカ国家の力は道義的な目的のために国際問題に対して使われるべきであるという国際主義
  3. 大胆な社会改造計画に対する不信
  4. 安全保障や正義の実現における国際法・国際機関への懐疑

なんとなく、のび太クンが突然ドラえもんの力で地球の危機を救うようになったオハナシみたいな感もあるが、わたし個人はわりとこれらの原則には共感できる。(とくに3については同意見)フクヤマ自身も、もちろんネオコンのイデオローグとみなされていたわけだから、この原則そのものについて批判しているわけではない。本書でフクヤマは、しかしブッシュ政権の9・11以降の対テロ戦争への傾斜についてネオコンはその対応を誤ったと見ている。
とくに冷戦終結と「棚からぼた餅」的な勝利が、どうもかれらに脅威を過大にみる傾向をあたえたようだと考えている。

共産主義崩壊後のネオコンは、アメリカが直面する脅威の程度を過大評価しがちだった。冷戦時代、ネオコンがソ連の脅威について、軍事面でも道義的悪という面でも悲観的に見たのは正しかった(と私は思う)。だが、ソ連が崩壊し、アメリカが唯一の超大国となった後も、多くのネオコンが世界にはまだ危険だが過小評価されている脅威がいくつも存在すると考えた。

たまたまいまちびちびと読み進めている新訳の「エセー」でモンテーニュがこんなことを言っている箇所に出くわした。ああ、これだなとおかしかった。

川を見たことがない人間は、初めてこれを目にして、大海原ではないかと考えた。われわれは、自分が知っているもののうちで最大のものを、その種類のなかで、自然が作りあげた極限のものだと判断しがちなのである。
宮下志朗訳『エセー』
第26章「真偽の判断を、われわれの能力に委ねるのは愚かである」より

フクヤマの見立ては以下のような発言に集約されていると思える。
「なーんだ、後出しジャンケンじゃないっすか」という非難もあるそうですが。(笑)

アメリカは軍事的優位性を利用して、世界の戦力的に重要な地域に「善意による覇権」を打ち立てるべきだ―。一九九〇年代の後半、多くのネオコンはそう主張した。イラク戦争では、ブッシュ政権は偏狭な自己利益のために行動しているのではなく、世界のすべてが益を得る「全地球規模における公益」を提供していると考えていた。自分たちの善意に確信を持っていたため、戦争に対し、世界から激しく否定的な反応が出るとは、まず予想もしていなかった。

「第四次世界大戦」だとか「テロに対する世界戦争」だとか、そんなことを言うのはもうやめたほうがいい。確かに、われわれは現在、アフガニスタンやイラクで聖戦を掲げる国際的勢力と激しいゲリラ戦を戦っており、この戦いに負けるわけにはいかない。しかし、この戦いを、かつての世界大戦や冷戦に匹敵する地球規模の大きな戦争だなどと考えるとすれば、それはアラブ人世界・イスラム世界の大部分を敵に回しているかのようであり、明らかに問題の範囲をひろげすぎた見方である。