c)本の頁から

2012/03/31

春の海、内海としての周防灘

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今日は山陽小野田市のソル・ポニエンテという店で、春の光をまきちらす海を眺めながらのんびりとランチ。ひねもすのたりのたりかな、というには、今日はちと風がきつく、沖には白波が立っていたが、ウィンド・サーファーたちが、元気に猛スピードで出撃を繰り返していた。遠く北九州の山並みを背景に、水平線上を関門海峡に向かういろいろなシルエットの貨物船が一列縦隊をなして、まるで舞台の下手から上手へわたっていく役者のように動いていた。地図をよく見るとわかるが、山口県のこのあたりと北九州はほんとうに近い距離で、内海である周防灘を囲んだひとつづきのエリアと見るのがいいようだ。中世においてはこのあたりは大内氏が支配下においていたらしい。網野義彦の『「日本」とはなにか』(日本の歴史)にはこんな記述がある。

さらに筑前・豊前から周防・長門・石見を押さえた大内氏が応永の乱で敗北するまでは、紀伊・和泉の守護となって、瀬戸内海交通を支配した。

美味しいスペイン料理に舌鼓を打ちながら、そんなことに思いをはせた春の午後でした。 

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2011/11/18

北村薫の「円紫さんと私」シリーズ

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注文している本が届かず手元に読む本がなくなったので、しかたなく敵の本棚を偵察して、手頃な通勤の友を借り出す。
選んだのは北村薫の「円紫さんと私」シリーズ。

デビュー作の『空飛ぶ馬』の初出が1989年で、いちおうこのシリーズのラストと思われる『朝霧』が1998年ということなので10年がかりの作品群だが、わたしは読むのはこれがはじめてだった。
北村薫の本は『詩歌の待ち伏せ』の上下巻と『続・詩歌の待ち伏せ』を以前読んだことがあるので、はじめての作家ではないが、本業のミステリ小説のほうまでは手がまわらなかったのであります。

五冊どれも面白いが、いちばん完成度が高いなあと感心したのは最後の『朝霧』に収録された三つの短編(「山眠る」「走り来るもの」「朝霧」)だ。ただし、この一冊だけ読めば十分かというと、やはりダメで、『空飛ぶ馬』『夜の蝉』『秋の花』『六の宮の姫君』と読み進めてきてはじめて良さがしみじみと身に染むのではないかと思う。

気に入ったのは、もうひとつあって、じつはカバーの絵である。
高野文子が描く「私」の成長がこうして並べてみるとなんとなく了解できるような気がするのであります。ショートカットの女の子が気になるという男心かな。剛力彩芽とかさ。(笑)
最後の雪かき長靴スタイルにはすこしずっこけるが、まあ、これはこれで「私」らしいのかもしれない。

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2011/08/31

源氏は寝て読め

源氏物語を現代語訳で読むのは、なんだかなさけないよなあ。べつに外国語で書いてあるわけじゃないんだし、やっぱり、どうせ読むなら原文読むほうがカッコいいよな、と思っておられる方もおられるかもしれない。
たしかにカッコはいいかもしれないが、たとえば岩波文庫で原文読みはじめても、たぶん途中でお手上げになりますね。

以下は、源氏は現代語訳でお読みなさいという趣旨の文脈ではないけれど(大学入試の国語関係の出題がよろしくないことを憂えた1975年の丸谷才一の「国語入試問題のこと」という文章)、源氏物語はかなり専門的な訓練を受けていないと読めない代物でありますよ、という意見である。

いはゆる古典のほうにも文学史的出題はちらほら見かけるが、この方面で目立つのは、解釈問題に『源氏物語』から取つたものがおびただしいことである。無理な話だ。あんなむづかしい文章が高校三年生に読めるものか。
このことに関しては、わたしの意見では弱いかもしれないから、専門家の説を引く。国語学者、大野晋は、いつぞやわたしとの対談の折に(「すばる」十六号)、大学の国文科の演習で『源氏』を取り上げたら、学生がついて来られなくて、まづ九分通りは失敗すると語つた。当然である。第一に、書いてあるのが男女の仲の最も微妙ないきさつである。恋の山路に迷ふ体験の乏しい年少者に見当すらつくはずがない。第二に文体が洗練を極めてゐて、いちいち露骨な言ひまはしを避け、ほのめかしの連続で行つてゐる。大学院生にだつて読めるかどうか。そして、大学生に歯が立たないものを大学の入学試験に使ふのは、滅茶苦茶もいいところであらう。

ええと、わたしのしょうもない意見もつけくわえますると、原文だけで、それもひとりで源氏読むのは、まあ、ふつうのおっさんには無理でありますので、どなたかの現代語訳にくわえて、大和和紀のコミック「あさきゆめみし」全7巻をまず昼寝の友にされるのがよろしいかと。
源氏は寝て読め、なんですよ。
え、そんなのプライドが許さん、って?困った人だなあ。
大和和紀、いいですよ。

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2011/07/15

トラスト・ミー

ネルソン・デミルの新作『The Lion』――タイトルからファンのみなさんにはあきらかでしょうが、『The Lion's Game』の続編――のなかに、こんな箇所がありました。
主人公のジョン・コーリーとかみさんケイトの会話。

She nodded, then asked me, "Have you told Tom about Boris?"
I knew I couldn't lie because she'd check with Walsh, so I replied,
"I have not."
"Why not?"
Good follow-up question. And I couldn't finesse this, and I didn't want to tell her truth, so I retreated into the last refuge of husbands and boyfriends and said, "Trust me."
"What is that supposed to mean?"
"Trust me."

ケイトはFBIの特別捜査官であると同時に弁護士の資格ももっていますから、なかなか追求がきびしいね。重要な手がかりになるはずのもとKGBのボリスのことを上司のトム・ウォルシュに話してないって?あなた、またなにか勝手に始めたのね、という展開。

まあ、あらすじはどうでもいいのだけれど、トラスト・ミーって台詞は、なるほどこういう使い方をするわけでありますねえ。やはり重要な外交の場面で、一国の宰相が他国の元首に言うような言葉ではありませんな。いや、もう古い話ですが。

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2011/02/01

読書について

この間にあまり本は読まなかった、と前回書きましたが、正確に言うと日本語で書かれた本は(農業関係を除いて)ほとんど読まなかったということになります。
主に通勤時間、もっぱら英語で書かれた本を読んでいました。
まあ単純にヴァニティなんだと思う、はい。

  • The Brass Verdict / Michael Connelly
  • The Scarecrow / Michael Connelly
  • Nine Dragons / Michael Connelly
  • The Girl with the Dragon Tattoo / Stieg Larsson
  • The Last Child / John Hart
  • The Girl Who Played with Fire  / Stieg Larsson
  • The Girl Who Kicked the Hornets' Nest / Stieg Larsson
  • This is Where I Leave You / Jonathan Tropper
  • The Finkler Question / Howard Jacobson
  • Howards End / E. M. Forster

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ミステリからだんだんとメインストリームの作品になっているのは、とくに深い理由はありません。適当に注文したり、本屋で買ったりしただけで。
このなかでは、スティーグ・ラーソンのミレニアム三部作は圧巻でしたねえ。本の分厚さもすさまじかったけれど。スウェーデンという国に俄然興味がわきました。

いま読んでるのは、昨年末に買ったペーパーバックで、ニコラ・ベーカーという女流の『Darkmans』。これが恥ずかしながらチンプンカンプン。2007年のブッカー賞の最終候補6作品のひとつというので(いや、ほんとうはアウトレットで300円だったからなんだけど)、面白そうだなと思って読み始めましたが、一月かかってまだ200ページにも届いていない。まあ、時間がかかるほうがある意味では目的にかなっているので、けっこうなことなんですけれど。

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2010/05/01

2010年4月に読んだ本

『「天安門」十年の夢』譚璐美(新潮社/1999)
『翻訳と日本の近代』丸山眞男|加藤周一(岩波新書/1998)
『鬼平とキケロと司馬遷と—歴史と文学の間』山内昌之(岩波書店/2005)
『六本指のゴルトベルク』青柳いづみこ(岩波書店/2009)
『小林秀雄全作品〈27〉本居宣長〈上〉』(新潮社/2004)
『自由について—七つの問答』丸山眞男(SURE/2005)
『ある夜、クラブで』クリスチャン・ガイイ/野崎歓訳(集英社/2004)
『一句悠々—私の愛唱句』正木ゆう子(春秋社/2009)
『遊星の人—多田智満子歌集』(邑心文庫/2005)
『小林秀雄全作品〈28〉本居宣長〈下〉』(新潮社/2004)
『季語の誕生』宮坂静生(岩波新書/2009)
『京都うたものがたり』水原紫苑(ウェッジ/2003)
『丸山眞男 8・15革命伝説』松本健一(河出書房新社/2003)
『江戸東京怪談文学散歩』東雅夫(角川選書/2008)
『ピアニストは指先で考える』青柳いづみこ(中央公論新社/2007)
『小林秀雄の恵み』橋本治(新潮社/2007)

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2010/04/19

小林秀雄『本居宣長』その五

前回書いたように、『本居宣長』は面白し、といふといへども理解しがたし、なのでありますね。そこをどう乗り越えるかが本書を読み通すポイントなのですが、それについては小林秀雄自身がこんなふうに言っていることをそのまま書き写すのがよさそうです。
『全作品28』に収録された「本の広告」という一文にこうあります。

彼の文体の味わいを離れて、彼が遺した学問上の成果を、いくら分析してみても駄目なことです。

つまり宣長がどういうお方であったかは、その文をお読みなさい。そうすれば、いやでも宣長という人がどういう人だったのかはわかります。それを面白がればよいのです、ということでしょう。
では、宣長らしい文体とはどういうものか。それに対して、小林秀雄はなにもむつかしい学問をもちだすことはないといいます。たとえば、といって紹介するのは、宣長の家業である医薬の宣伝文なんですね。いまで言えば、広告のコピー・ライティング。
さっそく読んでみましょう。本居医院で販売しているお薬「六味地黄丸」の口上。
ちょっとむつかしいところはカッコで補足しておきました。

六味地黄丸効能ノ事ハ、世人ヨク知ルトコロナレバ、一々コヽニ挙ルニ及バズ、然ル処、惣体薬ハ、方ハ同方タリトイヘドモ、薬種ノ佳悪ニヨリ、製法ノ精麁(せいそ)ニヨリテ、其効能ハ、各別ニ勝劣アル事、是亦世人ノ略(ほぼ)知ルトコロトイヘドモ、服薬ノ節、左而巳(さのみ)其吟味ニも及バズ、煉薬(れんやく)類ハ、殊更、薬種ノ善悪、製法ノ精麁相知レがたき故、同方ナレバ、何れも同じ事と心得、曾而(かつて)此吟味ニ及バザルハ、麁忽(そこつ)ノ至也、因茲(これゆえに)、此度、手前ニ製造スル処ノ六味丸ハ、第一薬味を令吟味(ぎんみせしめ)、何れも極上品を撰ミ用ひ、尚又、製法ハ、地黄を始、蜜に至迄、何れも法之通、少しも麁略(そりゃく)無之様ニ、随分念ニ念を入、其効能各別ニ相勝レ候様ニ、令製造(製造せしめ)、且又、代物(代金)ハ、世間並ヨリ各別ニ引下ゲ、売弘者也(売り弘むるものなり)

面白いですねえ。このしつこいというか、馬鹿丁寧なというか、なあなあで呑み込んでくれないというか、あんまりサラリーマンの世界では出世しませんが、いますよね、こういうタイプの人。わたしは好きです。よその部署にいるかぎり。(笑)

さて、ではこのシリーズの締めくくりに、小林秀雄が宣長にならって本書を宣伝した口上を、同じく「本の広告」から引用して終わりにしましょう。

さて、この宣長の教えに従って、言わせて貰う事にしたいが、私の本は、定価四千円で、なるほど高いと言えば高いが、其の吟味に及ばないのは麁忽の至なのである。私の文章は、ちょっと見ると、何か面白い事が書いてあるように見えるが、一度読んでもなかなか解らない。読者は、立止ったり、後を振り返ったりしなければならない。自然とそうなるように、私が工夫を凝らしているからです。これは、永年文章を書いていれば、自ずと出来る工夫に過ぎないのだが、読者は、うっかり、二度三度と読んで了う。簡単明瞭に読書時間から割り出すと、この本は、定価一万ニ、三千円どころの値打ちはある。それが四千円で買える、書肆としても大変な割引です、嘘だと思うなら、買って御覧なさい、とまあ、講演めかして、そういう事を喋った。

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2010/04/18

小林秀雄『本居宣長』その四

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なんとか読了はしたが、小林秀雄の『本居宣長』については、あんまり読みましたと大きな声では言いたくないような気がする。こういう展開がありそうだからだ。
ははあ、あなた、あれをお読みになりましたか。ほお、おもしろく読んだとおっしゃる。ふむふむ。ところで、後学のためにおうかがいしたいのじゃが、あなたは、あれを、なにが書いてあるのかおわかりになって読んでおられたのじゃろうか?
いや、笑い話ではないのだ。これは困るよ。
じっさい、正直に言うが、わたしは読みながら、これは面白い、と思っていたのも事実だが、なにが書いてあるのかわからずに途方に暮れていたのも事実なのである。
いちばん、まいったのは、最終章の「答問録」で宣長が門人達の問いに答えたこういう文である。

拙作直毘霊の趣、御心にかなひ候よし、悦ばしく存候、それにつき、人々の小手前にとりての安心はいかゞと、これ猶うたがはしく思召候条、御ことわりに候、此事は誰も誰もみな疑ひ候事に候へ共、小手前の安心と申すは無きことに候

文脈が解りづらいとおもうが、門人たちが聞いて来たのは、ほかならぬ自分が死ぬとはどういうことか、死に対していかにすれば安心が得られるのでしょうか、というような質問である。(たぶん)
そして、この門人達の質問に対して宣長は、いや諸君の疑いはもっともだよ、このことは誰もみんな知りたいことなんだけどね、そういう自分の死に対する安心というのは無いんだなあ、というのが先生の回答であったというのでありますね。いや、門人たちも途方にくれただろうが、わたしだって途方にくれるよ、これは。(笑)

宣長はこんな意味のことを言うのですね。

あのねえ、そりゃ自分が死んだらどうなるのってのは、わたしらにとっていちばん切実な疑問ですよ。いちばんこわいこと、いちばん不安なのは、ここなんだよね。
だから、死んだって大丈夫、ちゃんとこういう風になってるんだから、みんな安心していいんだよ、って誰かが言ってくれればさ、みんなそれになびいちゃうわけ。ほら日頃は信心なんかしてなかったようなやつが、いまわのきわに心細くなっちゃって、信仰に入ったりするのってよくあるでしょ。あれだよね。
でも、そういうのってさ、よく考えると、こうすれば安心が得られるじゃんって、誰かが考えたんだってことは明白でしょ。みんなが、ああそうか、それなら自分はもう死ぬこともこわくはない、っていうような面白そうなおオハナシを並べ立てているだけだよね。よく考えたら、わかるだろ、みんな。
それに対して、そういう、へんにこざかしい理屈が入ってくる前の、わたしたちのご先祖様たちはちうがうんだなあ……

以下は、宣長の原文に帰ります。じっくり読んでみましょうか。

御国にて上古、かゝる儒仏等の如き説をいまだきかぬ以前には、さやうのこざかしき心なき故に、たゞ死ぬればよみの国へ行物とのみ思ひて、かなしむより外の心なく、これを疑う人も候はず、理屈を考る人も候はざりし也、さて其よみの国は、きたなくあしき所に候へ共、死ぬれば必ゆかねばならぬ事に候故に、此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也、然るに儒や仏は、さばかり至てかなしき事を、かなしむまじき事のやうに、いろいろと理屈を申すは、真実の道にあらざる事、明らけし

うん、そりゃまあ、そのとおりだとは思いますけれども——ねえ。
わたしが思いうかべたのは(なにしろフォーク世代なもので)加川良の「伝道」でありました。「かなしいときにゃかなしみなさい。気にすることじゃありません」って。(笑)
でも、先生、それじゃあ、答えになってません!と詰め寄る門人たちに、共感しないでもないなあ。どうでしょうねえ、こまっちゃうでしょ。

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2010/04/07

小林秀雄『本居宣長』その三

小林秀雄は『本居宣長』で戦後知識人の限界を冷厳な目で見極めているのだという読み筋、そしてそのような戦後知識人の一人として丸山眞男を思い浮かべることもかならずしも的外れではないように思う。

では反対に丸山眞男は小林秀雄をどのように見ていたのか。
これについては、たしか『日本の思想』になにか書いてあったなと思いながら、この際だから、きちんと調べてみることにした。岩波の『丸山眞男集』の別巻の人名索引をみれば、小林秀雄への言及は一通り拾えるはずである。大阪中央図書館でメモをとりながら半日お勉強。(笑)

参考に今日のメモを転記しておこう。行末の数字はページ番号である。

7巻:「日本の思想」(1957年)199/235
8巻:「近代日本の思想と文学」(1959年)112/113/119/120/130/147/150/151/153-155
9巻:「日本の思想(あとがき)」117/118
11巻:「森有正氏の思い出」(1979年)107
12巻:「金龍館からバイロイトまで」(1985年)243

全部に目を通してみて、やはりいちばん重要なのは「日本の思想」の次の箇所だと思った。すこし長いが切らずに引用する。

小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほど早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍らにおしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時にあって突如として「思い出」として噴出することになる。

この小林批判に対しては、丸山の予想を超える反感が寄せられたらしく、9巻の「日本の思想(あとがき)」はやや歯切れが悪い。さすがにわたし(丸山)も「感覚的に触れられる狭い日常的現実にとじこもる代表として小林氏をとりあげるほど盲目ではないつもりである」という弁明的な書き出しに始まる一文。

小林氏は思想の抽象性ということの意味を文学者の立場で理解した数少ない一人であり私としては実感信仰の一般的類型としてではなく、ある極限形態として小林氏を引用したつもりだったのである。

8巻の「近代日本の思想と文学」では、小林秀雄が戦中にとった態度(「戦争の渦中にあつてはたつた一つの態度しか取ることが出来ない。戦では勝たねばならぬ」)にたどりついた小林秀雄の精神のドラマがつぎのように解剖される。

普遍者のない国で、普遍の「意匠」を次々とはがしおわったとき、彼の前に姿をあらわしたのは「解釈」や「意見」でびくともしない事実の絶対性であった(そはただ物に行く道こそありけれ—宣長)。小林の強烈な個性はこの事実(物)のまえにただ黙して頭を垂れるよりほかなかった……

さて、どうだろう。今回の丸山の引用を読み、そしてもういちど、前回の小林秀雄の「本居宣長」からの引用を読み返してみて欲しい。わたしは、ここで両者のあいだにどのような思想上の剣戟の火花が散ったのかかすかにしか察することはできないけれど、まあ、名人の真剣勝負をみるような思いがいたしますねえ。(笑)

ところで、全集には載っていないが、丸山眞男が小林の宣長論に直接言及した発言をいま読むことができる。ひとつは加藤周一が聞き役になってまとめた『翻訳と日本の近代』(岩波新書)である。こういう内容だ。

宣長においては、古道論と歌道論との間の矛盾というのは、宣長論の核心ですね。つまり歌道論のほうは模範は『新古今』であり、これは神代からはるかに遠い時代で、漢心に汚染されている時代のものです。古道論だと、神代がもっともすなおに人間性が歌われた時代なのに、歌論だと、『古今』『新古今』が歌の「真盛り」で、最高の時代になる。だから宣長の場合、歌道論と古道論との関係づけというのはいちばんむずかしい問題だな。ぼくは小林秀雄の宣長論からいっこう学ばなかったのは、まさにその問題なんです。宣長を書くとき、ぼくがさんざん頭を悩ました問題なのに……
丸山真男・加藤周一
『翻訳と日本の近代』(岩波新書)p.39

また、前回のコメントで我善坊さんにご教示頂いた、『自由についてー七つの問答』(SURE)という、これは鶴見俊介が聞き役になった本でも(まだ途中なので他にも言及があるのかもしれないが)ほぼ同じ内容の批判が語られている。この『自由についてー七つの問答』は面白い。これについてもいろいろ考えたいことが出てくるけれどすでに長くなったので今回はここまで。

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2010/04/06

小林秀雄『本居宣長』その二

小林秀雄の『本居宣長』を読みながら、なんとなく気にかかるのが丸山眞男のことだ。それは小林が宣長を語るために、まだ下克上の気風の完全には消え去らない慶長の中江藤樹の学風に遡り、そこから熊沢蕃山、伊藤仁斎へと筆を進め、ついに荻生徂徠に至るところで、次のような記述に出会うからである。

小林は「仁斎の学問を承けた一番弟子は、荻生徂徠という、これも亦独学者であった」とこのパラグラフを書き出す。「大学定本」「語孟字義」の二書に感動した青年徂徠は、仁斎こそまことの豪傑であるという内容の書簡を送り、仁斎もまた、古今に雑学者こそ多いが聖学に志す豪傑は少ないと「童子問」で嘆じた。ここで豪傑とは戦国時代から持ち越した意味合を踏まえて、「卓然独立シテ、倚(よ)ル所無キ」学者を言うのであると小林は補足する。「他人は知らず、自分は『語孟』をこう読んだ、という責任ある個人的証言に基いて、仁斎の学問が築かれているところに、豪傑を見た」のだと説明する。
そして、文章は次のようにつづく。これは小林の文章を切らずにそのまま引用しよう。

仁斎の「古義学」は、徂徠の「古文辞学」に発展した。仁斎は「住家ノ厄」を離れよと言い、徂徠は「今文ヲ以テ古文ヲ視ル」な。「今言ヲ以テ古言ヲ視ル」なと繰返し言う(「弁明」下)。古文から直接に古義を得ようとする努力が継承された。これを、古典研究上の歴史意識の発展と呼ぶのもよいだろうが、歴史意識という言葉は「今言」である。今日では、歴史意識という言葉は、常套語に過ぎないが、仁斎や徂徠にしてみれば、この言葉を掴む為には、豪傑たるを要した。藤樹流に言えば、これを咬み出した彼等の精神は、卓然として独立していたのである。

さらにしばらく読む進むと、やがて章をあらためて、次のような小林の声をわたしたちは聞くことになる。

歴史意識とは「今言」である、と先に書いた。この意識は、今日では、世界史というような着想まで載せて、言わば空間的に非常に拡大したが、過去が現在に甦るという時間の不思議に関し、どれほど深化したかは、甚だ疑わしい。「古学」の運動がかかずらったのは、ほんの儒学の歴史に過ぎないが、その意識の狭隘を、今日笑う事が出来ないのは、両者の意識の質がまるで異なるからである。歴史の対象化と合理化との、意識的な余りに意識的な傾向、これが現代風の歴史理解の骨組をなしているのだが、これに比べれば、「古学」の運動に現れた歴史意識は、全く謙遜なものだ。そう言っても足りない。仁斎や徂徠を、自負の念から自由にしたのは、彼等の歴史意識に他ならなかった。そうも言えるほど、意識の質が異なる。

ここで小林が言う「現代風の歴史理解の骨組」が、なんらかのかたちで丸山を念頭においていたのかどうかは、わたしにはまったくわからない。ただ、連想がそこに行ったというにすぎないのだが、小林秀雄が1960年代に伊藤仁斎や荻生徂徠を語りながら、そこにまったく丸山眞男の名前が登場しない事が、逆にいぶかしいとは言えるだろう。ちょうど集合写真の中にひとり白抜きにされた人物がいるような感じがするのだなあ。

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