パソコン通信を思い出すblog
blogサービス[ココログ]:@nifty:ウェブログ 虎の穴 其の四
そう考えてみると、blog ってパソコン通信みたいにテキストが主体だし、コメントやトラックバックでのコミュニケーションが中心になってくるところがあるから、なんだかパソコン通信の初期の頃の感じを思い出しますね。
この方もやっぱり同じような感想を持たれているなあ。
blogサービス[ココログ]:@nifty:ウェブログ 虎の穴 其の四
そう考えてみると、blog ってパソコン通信みたいにテキストが主体だし、コメントやトラックバックでのコミュニケーションが中心になってくるところがあるから、なんだかパソコン通信の初期の頃の感じを思い出しますね。
この方もやっぱり同じような感想を持たれているなあ。
客がトイレで注射するのが困るという酒場のママに、甥のバーテンがこういう。
「トイレの照明をブルーにすればいいんだよ。ファーストフードの店でやってるみたいに。そうすれば静脈が見えないから、麻薬を打てないんだ」
「トール・フォークス」
『巡礼者たち』
エリザベス・ギルバート
岩本正恵訳
(新潮社/1999)
ホントかね。
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その晩かれは、ハイチ産のマンゴをプエルトリコ式に食べながら、グラフトン兄弟の店をあとにした。まず、マンゴをよく揉み、親指で十分に押して、皮に包まれた果肉を柔らかくどろどろの状態にする。親指を使って中味をすっかりゼリー状にするのがコツだ。それからてっぺんをかじって小さな穴を開け、中味を吸いだす。マンゴは、ココナッツのように甘かった。異国の味だけれど、絶品だった。「ブロンクス中央青果市場にて」
『巡礼者たち』
エリザベス・ギルバート
岩本正恵訳
(新潮社/1999)
う~ん、こういう食べ方は知らんかった。
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裏表が違う回文の短歌に挑戦するが、これは思ったより難物。あまりよい出来ではないが――
(表)浦和出しまだ晴れならず大海よ真夜中銀の波に乗る舟
(裏)睡るのに皆暢気かな世迷いか悪戯なればだまして笑う
うらわてしまたはれならすたいかいよまよなかきんのなみにのるふね
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――歌仙に興じる己を詠みて
名はきつと消ゆべきさだめ悲し憂し
眺めた先へ雪と月花
(なはきつときゆへきさためかなしうしなかめたさきへゆきとつきはな)
かわうそ亭のBBSより抜粋
【回文・原人場所】 投稿者:大阪デヴィ 投稿日:2003/02/09(Sun) 18:01:35こんばんは、短歌「原人の海図」代表の大阪デヴィこと松本茂雄です。
当「自遊室」で行われました【回文・原人場所】でかわうそ亭様が見事技能賞を獲得されました。おめでとうございました。受賞理由は以下の通りです。【技能賞】 獺亭さん
この回文の滑らかさに接した瞬間、新しい回文文学の地平が出現した。何びともこの回文を無視して回文を語ることが出来なくなった。
よって【技能賞】を授与する。
サンキ・
何も聞かずに つきあってくれてサンキ・
季節外れの検挙 命はった俳誌持って
私服に 襲われて走りながら
ガバリ 涙目で詠うから
笑っちゃった じゃない
…チクられて監獄
京大俳句で ハメられたんだ
泣かなかったし 責めなかった
えらかったねって あとで言ってくれたけど
ぼろぼろいい俳人たち こぼれて戻らなかった
好きに詠んだだけだったのにな 言っちゃった後
泣けてきた
また戻ってきた仲間見て 笑って泣いた
ちょっとつぶしにかかられそうだけど
「天狼」出すならつきあうよなんて
笑っちゃったじゃない
やってくれて良かった
いてくれて良かった
今日はホンと…三鬼
歌仙一番
雪があって月が三つ
花は二つです
去り嫌いがはずかしげに
式目してます
もうすぐ春ですねえ
ちょっと気取ってみま歌仙
風が吹いて打越の句
運んで来ました
どこかの句が隣りの句を
呼び出ししてます
もうすぐ夏ですねえ
彼を誘ってみま歌仙
発句ばかり詠んでも
俳諧出来ないから
思い込みを捨てて巻いてみま歌仙
もうすぐ秋ですねえ
月詠んでみま歌仙
俳諧連句したのは
去年のことでしたね
ひとつ連衆になって
憂さ忘れま歌仙
もうすぐ冬ですね
恋をしてみま歌仙
勝つ才
(インターネット句会へ)
いつものように選があき
恋の句を詠う私に
届いたメールに
黒マル逆選がありました
あれは三年前
止めるあなた短歌に残し
俳句始めたサイトにひとり飛び込んだ
俳句サイトのホームページ
詠草の前にたたずみ
選外の私は
祈る言葉さえ失くしてた
いつものように選があく
降りそそぐ選のその外
それでも私は
今日も恋の句を詠ってる
大きな古杜鵑(とけん)
おおきな結社のホトトギス
虚子さんの王国
百年いつも聳えていた
ご自慢の結社さ
正岡子規がはじめたものを
受け継いだ結社さ
いまはもうすごかない
その巻頭
※百年 休まずに
秀句 駄句 秀句 駄句
主宰さんの 選句で
秀句 駄句 秀句 駄句
いまは そんなにびびらない
その権威
何でも知ってるホトトギス
虚子さんの王国
新興俳句がやってきた
その日も写生した
うれしいことも 悲しいことも
虚子さんが 決めた
いまは もうなくなった
この支配
(※印くりかえし)
いまは もう恐くない
日本の俳壇
『平畑静塔対談俳句史』(永田書房/1990)のなかに小野撫子という人物のことが数回出てくる。
どうも戦前の俳壇の一種の恥部のような人物のような感じだな。
京大俳句事件の密告者というのが、よく昭和の俳句史には出てくるのだが(西東三鬼はわざと泳がされて、じつは本当の密告者が俳壇にいたのだなんてやつね)この人物がそれなのか。よくわからん。いまとなってはどうでもいいことだ、とはぼくは思わないのだが。だれかきちんとした証言を生きているうちにしておいて欲しいもの。
この本の楠本憲吉との対談の一部を以下に引く。
楠本 ある意味で、虚子まで弾圧が・・・・。
平畑 小野撫子ね。あれは動脈硬化症で精神病ですよ。おそらくアルコール中毒か梅毒でしょう。
楠本 しかしあれで虚子の座に迫ったわけですからね。
平畑 それは虚子もそうでしょう。あのときに虚子先生がジタバタされたら、伝統俳句も妙なことになってしまったんです。戦争中、花鳥諷詠で一貫されたということは、虚子の見事なところですよ。それは戦争中には国策に添わんことですわナ。討てや殺せやでなくちゃいかんときですから。これはちょっと非国策的ですな。小野撫子はおそらくそれで迫ったんじゃないんですか。もっと俳句は国策に添って、陣中報国的なものにしろと迫ったと思いますが、それをぬらりくらりと逃げて、花鳥諷詠をやられたということは、ある意味じゃ見事だと思うな。
ニフティでBlog(ブログ)のサービス「ココログ」を始めて、三ヶ月余り、徐々にではあるがBlogそのものが世の中に認知されてきた。 ココログの登録利用者は2万人を超え、16日からは、今までのベーシック版に加えて、「ココログプラス」や「ココログプロ」の高機能版を追加した。
このBlogとういう奴は久しぶりにとても刺激的な道具であるような気がしている。
すこし大げさかもしれないが、はじめてパソコン通信の世界(ニフティ・サーヴと云っておったな)に触れたときの興奮を思い出した。1990年頃で、そういや、先日も13年のご愛顧ありがとうございます、てなメールを@ニフティから頂戴したっけ。
Blogは、自分でHTMLをつくってFTPしてサイトの運営をやるという、いわゆる「ホームページ持ってます」の世界からみると、まさにデコンストラクションでありまして、率直にいうと、いままでオレのやってきたことは何だったんだ、というような思いがしてならない。だから、反発もある。なんだよ、そんなに他人と繋がりたいのかね、キミらは。知的な営みはもともと孤独なものだし、そういうところにしかホンモノはありえないだろ。──なんて思う反面、やっぱりこのダイナミックなウェブの技術には惹きつけられる。
Blogの新規登録者には当然、自分のHPをすでにもっている人も多いと思う。そういう人たち(ぼくもそうだが[ここ])がこの強力なエンジンをどう使っていくのか興味がある。あまり更新もせず実質的に休眠状態だったHPならば、単純にいまのHPを捨てて、Blogでいちから始めればいいだけだが、自分のつくって来たHPにそれなりの愛着がある場合(ぼくの場合がそうだ)は難しい。いろんなケースをみていきたいと思う。
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