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2004/08/12

「風立ちぬ」のお粗末

堀辰雄の『風立ちぬ』については、丸谷才一と大野晋の対談『日本語で一番大事なもの』でこてんぱんにやっつけられていたのが記憶に焼きついている。

 風立ちぬ、いざ生きめやも

この「やも」、たとえば柿本人麻呂の歌
 
  長月の有明の月のありつつも君しきまさばわれ恋ひめやも

にあるように、反語のはたらきをする。つまりこの歌では「このままあなたが通ってくださったら私はこんな恋しい心でくるしむでしょうか、いいえそんなことはありません」という意味。
したがって、「いざ生きめやも」は「生きようか、いや断じて生きない、死のう」となる。
堀辰雄の『かげろうの日記』も「生きめやも」と訳す程度の読解力では、おそらく誰かの現代語訳を参照しながらやった仕事に違いないとばっさり。

ところで、今日読んだ経済学史家の小林昇の『帰還兵の散歩』にも同様の指摘があった。
そのまま引く。

『風立ちぬ』の題名には、ポール・ヴァレリーの詩句が付されている。(中略)そうしてこの詩句は、小説の本文にはいるとすぐ、「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳出されていて、作者自身によると思われるこの訳は、いまでも通用しているようである。 しかし、右の「生きめやも」という訳語は「けっして生きようとはしない」という決意をあらわすものであり、したがって原詩の誤訳であるばかりか、上に「いざ」を置くことも無理である。源実朝の有名な歌に<山は裂け海はあせなむ世なりとも君にふた心われあらめやも>があるのを思い出していただければ十分である。だからここでのヴァレリーの原詩は「風立ちぬ、生きざらめやも」と訳されなければならない。詩人堀辰雄がどうして日本語をこんなに間違い、また読者がそれを受け入れているのだろう。(「気になる些事」1982)

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