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2004/10/18

読後、二三日は気になって眠れない小説


書誌データ(私の読んだ版)

LIFE OF PI
YANN MARTEL
Harvest Books; (2003)



「この話を聞けば君も神を信じるようになるよ」
 南インドの都市ポンディシェリーでこんな風に話し掛けられたのがはじまりだった。
 むかしこの街に動物園があった。動物園の持ち主には息子がいて、この息子が何ヶ月も太平洋を漂流したときの話なのだという。

 第二作目の小説が不評でくさっていた本書の著者は、興味を抱いて、さっそくその生存者に会いに出かける。彼の名前はパイシーン・モリトール・パーテル。(注)パイと名乗っている。円周率の「π」と同じ発音だ。トロント大学で動物学と宗教学の学位を取って、いまはカナダ在住。彼が話してくれたのはなんと227日にもおよぶ漂流の驚くべき物語だった。
 また、この遭難事故は1977年に起こったのだが、著者は、救出のあとパイの事情聴取にあたった日本の運輸省の係官(沈没したのが日本の船会社の貨物船だったので)にも連絡をとって、幸運にもそのときの録音テープを入手することができた。
 こうして、この本は出来上がったのだ、というところまでが本書の「著者覚書」(もちろんこれも小説の重要な伏線になっているのだけれど)である。

 そしていよいよ小説が始まる。こちらは三部構成になっている。第一部が全体の三割、第二部が六割、第三部が一割という配分の見当。

 第一部は、ポンディシェリーの動物園の経営者一家を中心にして、動物の行動科学や宗教をめぐってのいささか衒学的あるいは哲学的な見解がユーモアをまじえて披露される。
 なぜ主人公がパイシーンではなくパイと呼ばれるようになったのか。(もともとこのパイシーンという名前、パリ・オリンピックの競泳プールの名前から取られている、なんてどうでもいい細部がおかしい)
 子供のくせにやたらに知的なパイはなぜ宗教にとりつかれるのか。ヒンズー教とキリスト教とイスラム教を同時に信仰する(!)ことがなぜいけないのか。(この子は犬が蚤をひきよせるように宗教をひきよせる、と父親は嘆く)
 動物を擬人化することの誤りとその危険性について。いかなる技法で猛獣使いは動物を服従させているのか。(これも、第二部の重要な伏線になっている)

 第二部は本書の大半を占める。パイ少年自身の視点から、信じられないような漂流生活の細部が時系列に描かれることになるのだが、ここではその粗筋は一切書かない。ぼくらはひたすら、少年の勇気、機転、知力に驚嘆しながら、上出来の海洋小説、冒険小説としてわくわく楽しく読めばよいのである。『老人と海』や『ロビンソン・クルーソー』に言及した書評もあるようだが、たしかにこの第二部だけでも十分に娯楽小説として堪能できる。ただこの第二部の最終章あたりで、読者は「あれれ」と戸惑うことになるだろう。(ぼくは念のために何度か読み返した)

 第三部は、「著者覚書」に出てきた日本の係官による聴取記録と調書からなる。これまたユーモラスな部分だが、第二部がパイ少年の視点による遭難物語という小説構造の一番表層だとすると、この第三部は、もう少し下の層の小説構造があきらかにされ、読者はめまいに似た驚きを感じるとともに、それから二、三日は気になって仕方がない不安にさらされることになるのだ。

 このように、本書はなかなか一筋縄ではいかない現代小説だ。先に、三部構成になっている、なんてことをわざわざ書いたのは、この本がまったく巧妙に仕組まれているからだ。章立てにしてもちょうど100になるようにしてある。
 パイ(π)3.14・・・は永久に終わらない数字。
 しかし彼の物語はちょうど100に分割されるのである。

 最新の小説理論なんてものにはあまり興味はないのだけれど、どうやら物語の構造の中で語り手が変わり、語り方が変わり、そうすることで語られている出来事の図柄が根本から変わることで、読者が絶対だと思っていた(あるいは思わされていた)世界が揺らいでいく、という過程が面白いらしい。いや、「らしい」というのは無責任な物言いだ。これが成功すると、たしかに強烈な印象を残す。
 そしてこういう世界が変わる体験というのは宗教の体験の寓話になる。(そのことがじつは本書の隠れた主題だと思う)
 しかし、ぼくの見るところ、本書の成功は、そういう仕掛けの面白さではなくて、やはり一番上にある「語り」(本書では第二部がその典型なわけだが)が比類なく面白いことに主因があると思う。
 たいていの実験小説なんてものは、普通の小説愛好者には無用なものだし、そういう仕掛けだの構造だの「なんたら理論」だのいうものは、本物の小説家にとってはじつはどうでもいいものだ、とぼくは思っている。
 ディッケンズがいまいれば、もしかしたらポストモダーンと呼ばれるようなしつらえの小説を書くかも知れない。しかし、その小説が面白かったとすれば、それはポストモダーンであるからではなく、ディッケンズの「語り」であるからだと思う。
 小説家の才能とはそういうものだよ、きっと。


2003年10月12日記

注)パイの本名は Piscine Molitor Patel と書く。Piscine はフランス語でピスィーヌ(水泳プール)なので、ほんとうはカタカで書くとすればピシーンになるのだろう。感想ではあえてパイシーンとしたのだが、さて翻訳はどうされるかしら。

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