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2004/10/21

昭和俳句、引越し三題

神は細部に宿りたまう、というわけでもないが、村山古郷の『昭和俳壇史』(角川書店/1985)は戦前の俳人たちに関するいろいろな事実がわかって興味深い本だ。
たとえば──

その一。ホトトギスの発行所の転居。
ホトトギスの発行所は丸ビルの7階723号室にあった。毎朝一番に出勤してくるのは虚子で、朝6時46分鎌倉駅発の汽車で通勤していた。昭和2年9月に一階上の876号室に移転したが、あたらしい事務所は見晴らしがよく(丸ビルは9階建)、晴れた日には品川湾の白帆が見えたという。室内は広く百人くらいは収容できたので、ここで俳句講演会などの催しものを企画した。講演会などの様子は「ホトトギス」に掲載できるので一石二鳥であった。
虚子の実業家らしいセンスがよく出ている。

その二。原石鼎の転居。
昭和二年、病後を養っていた原石鼎は、住み馴れた麻布竜土町の家から、麻布本村町一一六番地に転居。家賃は70円で、いずれ買い取るという約束があれば敷金はいらないという条件だった。家の様子を『昭和俳壇史』より引用する。

竜土町から材木町を抜けて有栖川公園の角を曲がり、鷹司家の前を通って、すぐ右に折れた行き止まりに、その家があった。古風な冠木門をくぐると、大きな楓の木の下に、寄せ石の灯籠が置かれていた。庭はそれほど広くはなかったが、庭を埋めるほどに大小の石が配置され、石と石との間に、珍しい木が植えられていた。室数は多く、座敷の床の間や違い棚の造作はなかなか凝っており、数寄屋造りの離室もあった。いかにも通人らしい好みの家であった。
一渡り各室を見て廻り、縁側に立つと、高台なので、南の方に二十メートルばかり傾斜の植え込みがあり、その下を渋谷川が流れていた。渋谷川の流れに沿った家々の向こうの高台には、聖心女学院があって、校塔が高く聳えていた。

長々引用したのは理由がある。聖心女学院のところで「ああ」と思い出した。この家のすぐ隣に、十年後に引っ越してくることになる一家があるはずだ。その一家には一人の少女がいて、二階からこの庭をのぞいて、そこに空ばかり見上げているへんな中年男を見るのだ。夕食のときに父親が、お隣は高名な俳人だそうだ、と言ったことを覚えていて、はるか後年にそれを随筆に書いた。須賀敦子である。

その三。馬酔木の発行所の転居。
それまで事務所がビルの一室にあるような結社はホトトギスくらいだったが、昭和7年に馬酔木の発行所が移ったのは神田雉子町三十一の内神田ビル。(秋櫻子がホトトギスを離脱したのは前年昭和6年10月)
ビルのオーナーは宮本璋という人物で、秋櫻子の小学校の友達である。父親は宮本仲と言って、正岡子規の主治医であった。
わざわざ大きな部屋を半分に仕切って貸してくれた。4階41号A室。家賃30円也。
ちなみにこの内神田ビルへの移転日の前日(2月20日)に馬酔木巻頭を取った直後の石田波郷が、なかば押し掛けでのように松山から上京しているが、秋櫻子ははじめてまみえた波郷が「あまりに大きな身体の若者」だったのにびっくりした。のちに、馬酔木の発行の仕事を手伝う波郷に秋櫻子が自分のポケットマネーから渡していたのが、馬酔木の家賃と同じ30円。
「町には不況風が吹き、巷には失業者があふれていた」時代の話。

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d)俳句」カテゴリの記事

コメント

自分の記事に自分でコメントをつけるのもどうかと思うが、本書には石田波郷が「大男」だったと書かれている。
p.122「あまりに大きな身体の若者」(上記の引用)
p.123「身の丈五尺五寸、一・八八メートルの大男である波郷」

しかし、五尺五寸はもし一尺が30.3cm、一寸が3.03cmで計算するなら167cmほどになる。五尺五寸といえば、普通の体格のように思うのだが。
波郷が大男であったというのを他の本で読んだ記憶はないのだが、本当に188cmもあったのか。写真をみても188cmはありえないように思う。

投稿: かわうそ亭 | 2004/10/23 21:15

[麻布本村町116番地]が気になって調べて見ました。
116番地かなり広くて、原石鼎の家も、須賀家が住んだ場所も残念ながら特定できませんでした。

原石鼎の「10年後に」須賀一家が、というのもまだ確認していません。
須賀さんの記述(『遠い朝の本たち』)では「私たちの家族が上京して本村町に住むようになったのが1938年で、石鼎が得人と共に龍土町からその家に越してきたのは、その一年か二年前だった様子。」とあって少しちがうようなので…。
(また須賀さんの他の場所の記述にはこのあたりの道が「私道」であることが書いてあり、この116番地が同一所有者の土地のまま分割された宅地化されていたこともうかがえます。)

投稿: かぐら川 | 2005/08/21 13:27

あ、どうもどうもです。なにか新事実が浮かび上がりましたらぜひ教えてください。

投稿: かわうそ亭 | 2005/08/21 21:07

手元の資料では麻布区本村町116は曽祖父梅田潔の住所になっています。戦後神奈川へ転居しましたが、その折に其の方にお貸ししたのかもしれません。今初めてこちらの記事を拝見しました。もし場所を特定できる地図や現在の番地などありましたら是非お教えくださいませ。何卒宜しくお願い致します。

投稿: 多分曽祖父の家です | 2006/09/10 12:43

はじめまして。
『昭和俳壇史』(角川書店/1985)は図書館で借りた本ですので、上で引用した部分意外にどんなことが書いてあったか、残念ながら覚えていませんが、あるいはもう少し詳しいことが書いてあるかもしれません。そうですか、この家をお持ちだったんですね。なにかわかりましたら、お知らせ致します。

投稿: かわうそ亭 | 2006/09/10 20:40

一昨日(4月21日)、その116番地に行ってきました。上記の中で、116番地の持ち主が梅田潔氏というのは新しい認識です。

投稿: 岩淵喜代子 | 2008/04/23 20:56

ににんブログの「石鼎さん」4月21日の記事、拝読いたしました。
原コウ子、須賀敦子、麻布本村町116番地と、ただいまこの「石鼎さん」の記事をさかのぼって読ませていただいております。たいへん興味深いものがあります。
コメントありがとうございました。

投稿: かわうそ亭 | 2008/04/23 22:10

今気がついたのですが、その梅田潔さんという方は、俳号梅田玲女のご主人かもしれないですね。その梅田玲女さんのお力添えで、現在の鹿火屋主宰の住居、すなわち石鼎終焉の家を昭和16年に建てたのですが。

投稿: 岩淵喜代子 | 2008/04/23 22:49

ええと、ご覧のようにこの梅田潔さんのひ孫にあたる方からコメントをいただいたのが2006年の9月ですので、いまここをご覧になっている可能性はないと思います。ココログの仕様ではコメントには投稿していただく方のメールアドレスが必須ですので、わたしのほうの管理画面で、この方の2006年時点のメールアドレスは分かります。
とりあえず、このメールアドレスに、今回、岩淵さんがいろいろな情報(荒潤三さんのことなど)をお持ちで、探索をしておられることをお知らせしてみます。いまも、このメールアドレスが有効であることを祈りつつ。

投稿: かわうそ亭 | 2008/04/23 23:14

はじめまして。
現在祖父のルーツ探しをしている最中で
本村町116番地で流れ着いたものです。
私の祖父も同番地が本籍でした。
明治40年代のことです。
こちらは長屋か何かだったのでしょうか・・・・。

実際の場所に訪れるために
色色情報収集をしている段階でして
何か手掛かりとなるような情報をお持ちでしたら
お助けいただけないでしょうか?

突然のお願いで誠に恐縮ですが
ご検討いただけると幸いです。

投稿: ユウ | 2011/03/05 01:34

こんにちわ。
わたしもこの一連のコメント以外の情報は申し訳ありませんが持ち合わせておりません。二番目のコメントのかぐら川さんも書いておられますように、麻布本村町116番地はかなり広い面積だったと思われますね。もともと地番は住居表示とは別で、古くは明治の地租改正のときに江戸期の村に番号を振っていったものだったようです。長屋のような一つの建物より、現代の感覚だとニュータウンの分譲地のようなものを想像するのがいいのかもしれませんね。いや、これはわたしの想像ですが。場所の特定ができるといいですね。

投稿: かわうそ亭 | 2011/03/05 22:55

早速のお返事ありがとうございます。
そうですね、いろんなところで見ても
広大な土地だったようですね。

役所やや郷土博物館などを回って相談してみたいと思います。

どうもありがとうございました!

投稿: ユウ | 2011/03/05 23:03

ユウさまへ
上にコメントを寄せておられる岩淵喜代子さんが、その後、『評伝 頂上の石鼎』を刊行されています。今手元にないのでその内容を報告できませんが、「本村町116番地」について探索の結果を書かれています。一度、手にとって見られればいいと思います。一俳人の評伝としてもとてもおもしろいものです。

投稿: かぐら川 | 2011/03/06 23:38

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