密告者Nを探して
『やつあたり俳句入門』中村裕(文春新書/2003)は昭和初期の新興俳句運動へのシンパシーに満ちた好著だが、そのなかに京大俳句事件の詳細を記した本として二冊が挙げてある。
『昭和俳壇史』村山古郷(角川書店/1985)
『新興俳句表現史論攷』川名大(桜楓社/1984)
の二冊である。
個人的には、この京大俳句事件、これまでどうも奥歯にものがはさまったようなもどかしさがあった。それは、はっきり言えば、京都府警特高部の中西警部という人物に、新興俳句内部の情報を伝えていたとされる密告者「N」がいったい誰なのか、ということである。このあたりのことについては、西東三鬼の『俳愚伝』でも名前はきっちり伏せてあるのだが、当時から知る人には(つまり俳壇のインサイダーはみんな)公然の秘密であるとされているわけだ。こちらはフィクションだが、俳壇の内部の聴き取りもかなりした上で発表されたという、五木寛之の中篇小説「さかしまに」にもこのあたりのことがかなり思わせぶりに書いてある。で、余計に、これはいったい誰がモデルなんだと、半端な知識を持っているばかりに悩むことになる。
まずちょっと調べればわかることは、この時期に小野撫子(ぶし)という異常な人物がいたということだ。以前、『平畑静塔対談俳句史』(永田書房/1990)のことをこのBLOGでも書いている。あの記事にすこし補足しておけば、小野撫子は小学校卒ながら当時は日本放送協会の要職にあった人物である。いろいろ、面白いネタはあるのだが、いまは小野撫子はおく。
さて丹念に俳句総合誌を読む人間ではないので、まあ、このあたりのことはどこかに書いてあって、俳句に詳しい人には別に珍しい話でもないのかも知れないが、いかに昭和15年の治安維持法下のおそらくは脅迫強制された出来事だったろうとは言え、特高の密告者だったというのは、名指しで書くような(その人が生きていればもちろん、すでに亡くなっていても家族の名誉ということもある)ものではないだろう。それはわかるのだが、すでに64年も前の事件であり、当時の関係者だけでなく、その人たちから直接に証言を聞いていた世代もこの世を去っていく時期に来ているので、このまま公式に記録されないままだと、わたしのような部外者にはわからないことなんだろうか、と思っていたのだ。
そこで、上記の二冊にその「N」の名前が書いてあるかと思って該当すると思われるあたりを読んでみたが、残念ながらはっきり名前は書いておられない。しかし、わかる人にはわかるように書いてある。たとえば、川名氏の論考にはイニシャルが「N」で、昭和十年代に「火星」、「旗艦」に韻律問題についての俳論を多く書いていた俳人だと念押ししてある。こういえば、あとは調べればわかるだろう、てな感じの書き方。
結論的にいうと、この俳人の名前は分った。
と書いたところで、夜も遅くなったので、つづきは明日、書くことにしよう。
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