オーストラリア人なら誰でも知ってるケリー・ギャング

書誌データ(私の読んだ版)
ケリー・ギャングの真実の歴史
(原題: TRUE HISTORY OF THE KELLY GANG)
ピーター・ケアリー著
宮木陽子訳
早川書房 (2003)
オーストラリアのブッシュ・レンジャーであるエドワード・ケリーのことは、日本人はもちろん英米の人間でも知っている人は少ないが(ぼくはもちろん知らなかった)、オーストラリア人でかれを知らない人はいないらしい。たまたま、オーストラリア人に英語を教わっているので、「そいつはホントかね」と訊いてみたら、「当たり前だ、ネッド・ケリーを知らない奴なんて考えられんね」という。どうやら本当らしい。
エドワード・ケリー、通称ネッド・ケリーは1854年にヴィクトリア植民地(現在は州)に生まれた。
オーストラリアは、いまにいたるまで実質的には移民によって成り立っている国だが、この当時はごく大雑把に言えば、植民地の統治機構と組んだ大規模農場の金持ちが一方におり、他方には流刑囚を先祖にもつ植民地人の貧乏人がいた。そして、金持ちは法律を後ろ盾によい土地をどんどん手に入れてますます金持ちになり、貧乏人は法律によっていつも不利な条件を課されて荒れた土地に追いやられ、そして食い詰めて、せっかく開墾してなんとかまともにした土地ややっと育て上げた家畜をいつも金持ちに取り上げられるのだった。まあ、基本的にはいまだって世の中の仕組みは同じなのだが、当時はこれがむき出しの露骨さであったから、貧乏人の境遇たるやいまでは信じがたいほどの惨めさであった。
そこでネッド・ケリーである。
彼の父親はアイルランドの流刑囚。母親の一族も同様で、なにをやろうとしても警官がやってきて嫌がらせをする。貧窮家庭のネッドは学校でも教師の差別に堪えるしかない。次々に生まれる幼い子供たちを抱え、餓えて極貧生活にあえぐ両親。なんとか母ちゃんを喜ばせようと、よその子牛をこっそり屠殺したネッドだが、結局それが父親の犯行とされて父は監獄へ。長男として一家を支えるために必死で働くネッド、このときわずか十二歳。まったく涙がでるようなけなげさ。
だが、もちろん、世の中そんなに甘くはない。結局、ネッドは愛する母ちゃんに、まるで売られるように(もちろん母ちゃんだってネッドを愛しているのだが)ブッシュ・レンジャーのハリー・パワーの手下にさせられてしまうのである。
ここでブッシュ・レンジャーという言葉が出てきた。「自然環境パトロール」なんかと勘違いしてはいけない。レンジャー戦隊は正義の味方が日本のよい子の常識だが、残念ながらオーストラリアのブッシュ・レンジャーは、大草原の山賊である。これを要するにアウトローと称する。
さて少年時代に山賊の弟子となったものの、なんとか懲役を終えて青年となったネッドの望みはささやかなものである。母ちゃんと妹弟たちが真っ当な暮らしができるようにすること。わずかにこれだけ。ところが、いろいろあって、そんなささやかな望みさえかなわない。それどころか、官憲の嫌がらせやらなにやらで、とるにたらないような事件からネッドは逃亡者となり、みせしめのように母親が刑務所にぶち込まれてしまう。貧乏人には、法も味方してくれない。ならば、正しいのはどっちか、どちらが本当に公正なのか、とことん争ってやろうとネッドは決意する。
こうして、ネッドはオーストラリア植民政府で最大のお尋ね者になっていくのであります。
いやあ、面白い小説だ。 ほとんど、全編がネッド自身が、生まれてきた娘にあてて逃亡中に書いている手紙(いろいろな紙をつかって書いた)という仕掛けになっており、訳者によれば、学校にろくに行けなかったネッドが一所懸命書いた文章なので文法も綴りもかなり破格な文体らしい。ところが、この文章がまた泣かせるのである。
たとえば、後半で恋人が自分の子をみごもったことを知ったときの一節。
「おまえが生まれるとわかったそのしゅんかんからおまえはおれの未来になった。おまえはおれの生きがいになったのだ。」(395頁)
なんてところを読むと、どんな男だって、ネッドの背中を黙って叩いてやりたくなるんじゃないだろうか。
もちろん、この娘にあてて書いた手紙という仕掛け自体が虚構なわけだが、こういう手紙がいまに伝わった経緯が最後の方に出てきて、このあたりのストーリーは巧いなあと感心する。とくに、最後の方で出てくるシェイクスピア(『ヘンリー五世』)は、英語圏の文学の伝統をきちんと物語に流し込むはたらきをはたしていて、うならされたなあ。
本書は、2001年のブッカー賞、コモンウェルス賞のダブル受賞作。
追記
本書は感想で述べたようにたいへん素晴らしい小説で、読後に大きな感動を与えてくれるということでいえば、その翻訳は(上記のように変った文体の雰囲気も伝えるかなりむつかしいものだったことから考えても)上出来のものだと思う。
そういう評価をした上で、しかし、二点だけ疑問が残った。(文体の問題ではではなく、単純に単語の問題なのだが)
ひとつは、371頁、ネッドの仲間のジョー・バーンに対して、ベシーという娘が逃げ出すように説得する場面。もう手遅れだよというジョーの言葉を受けて──
そんなことないよ。あたしの父さんは警官よ。
ずっとむかしアイルランドでだろう。
だけどいまも英語だもん。
ここの「英語」というのがよく意味が分からない。あるいは「英国人(english)」だろうか。*1
もうひとつは、「炭坑夫」という言葉。具体的には、112頁「シナ人が炭坑夫であることはまちがいなかった」、374頁「炭坑夫が鉱脈にそっていくように」、403頁「炭坑夫の小屋が見つかった」などのようにわりと頻繁に出てくるのだが、ここでいう「炭坑夫」は石炭を掘る人夫のことではなくて、ちょうどこの時代(のちょっと前)におこったオーストラリアのゴールドラッシュのminer「砂金堀り人夫」のことではないかなと思うがどうだろうか。
2003年12月20日記す
補注*1
その後、371項の原文について、英語で読まれた方にご教示いただいた。
Isn't it true but my own da's a policeman?
That were in Ireland long ago.
Its still the English language he read me out the warrant it says
DAN KELLY AND NED KELLY it says OTHER MEN UNKNOWN.
ポイントは逮捕状が「ちんぷんかんぷん」(It's Greek to me)じゃなくて、ちゃんとわかるフツーの言葉(The English language)だったということのようだ。
2004年1月13日記す
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