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2004/10/19

推理小説仕立ての名誉回復劇


花衣ぬぐやまつわる・・・・・・・ わが愛の杉田久女 田辺聖子 集英社 1987初版 1988第10刷
花衣ぬぐやまつはるひもいろいろ
谺して山時鳥ほしいまま
足袋つぐやノラともならず教師妻

 多少なりとも俳句に親しんだほどの人で、これらの句を知らないということはまず考えられない。それほど杉田久女という俳人は何十年に一人という逸材には違いないのだが、しかし、俳句愛好者の間での久女のイメージはどんなものだろう。
 ホトトギスを舞台に素晴らしく印象的な句を詠みながら、その奇矯な振舞いから虚子に同人を除名され、晩年は不遇のうちに死んだ女流俳人、といったところか。いや、もう少し突っ込んで調べると、いつもどこか底意地の悪いゴシップの種にされ、蔑まれ、嗤われているようなところがありはしないか。
 たとえば、本書に紹介されている戸板康二氏の記述を引いてみる。

「ライバルに対する意識は旺盛でつねに相手の俳句を注視し、思いつめてかな女の句が久女より多く誌上にのると怒り狂い、『虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯』という句をわざわざ書いて送ったりするが、かな女のほうは『呪ふ人は好きな人なり花芙蓉』と返句する。軽くいなされて久女はカッとなった」(泣きどころ人物誌──高浜虚子の女弟子)

 どうだろう、みるからに厭うべき芸術的虚栄心と己惚れのかたまり、エキセントリックな行動で周囲を困惑させる困り者という久女の姿がここにはある。じつは田辺聖子さんも、編集者から久女の評伝の打診を受けたときに、あまり好きになれそうな人ではないから、という理由で最初は断ろうとしている。それはそうだろう。
 ところが、すこし調べて行くうちに、多くの久女「伝説」がじつはまったくの作り話であることに田辺さんは気づくのだ。(このことは本書でもくり返し述べられているが、久女がその生涯の大半を送った小倉の久女研究家、増田連氏の功績である)

 たとえば、この長谷川かな女との確執のエピソードだが、久女が『虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯』を雑誌「俳句研究」に発表した(直にかな女に送ったのではない)のは昭和十三年、虚子がなんの予告もなくホトトギス誌上で同人除名を申し渡したあとのこと。ところが、かな女の『呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉』(戸板さんの「花芙蓉」は引用誤り)はなんと大正九年の作品なのだ。まあ、このかな女の句が夫の零余子を念頭に置いたものかどうかはともかく、少なくとも久女を軽くいなした句で「ない」ことだけは明白だろう。
 もちろん、そういう前後の事実関係というものは些末なもので、仮にフィクションだとしても、これによって久女とかな女の確執という「真実」がわかりやすく読者に伝わればいいのでは、という反論もあるかも知れない。だが、果たしてそうだろうか。必死な振舞いをする人間に対して、どこか困り者、もてあまし者というレッテルをぼくらはいまでも貼るきらいがある。俗世間のことなかれ主義と権威におもねる卑しさが偏見を助長し、こういうゴシップを生んでいるのではないか、という「恐れ」をもしかしたら人は持つべきではないだろうか。

 本書が驚くほどスリリングなのは、たとえばこうした作り話がなぜ流布し、いつのまにか定着したのかということを、明解にしかも遠慮なく書いているからだろう。誰が久女を追込みその精神をずたずたにしたのか、本書は一種の推理小説仕立ての名誉回復劇でもあるかのようだ。
 松本清張の『菊枕』、吉屋信子の『底のぬけた柄杓』(いずれもぼくは未見だが)という久女をモデルにした作品もここで登場してくるが、(おそらく薄々と気づかれるように)最後に大きくくっきりと立ち現れてくるのは虚子という人物の像の不気味さである。
 第十五章における田辺さんの、静かで澄明だが、しかし揺るぎ無い「瞋恚」にぼくはこころをゆさぶられた。

本書は、1986年の女流文学賞受賞作品である。

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