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2004年11月

2004/11/29

歌人文体模写「山寺」

中井英夫の『増補 黒衣の短歌史』(潮出版社/1975)を読んでいる。
中井は昭和24年から昭和35年にかけての12年間、日本短歌社の「短歌研究」と「日本短歌」、角川書店の「短歌」の編集長であった。この間に匿名で、あるいは記者として書いたルポやら歌壇瞥見等の雑文は「相当の量にのぼる」。それを整理し、それらの雑文によって戦後短歌の一側面を語らせようとしたのが本書。やたら、面白い。
たかが雑誌の穴埋め記事にすぎないのに、たとえば次の歌人の文体模写などを読むと、この人物のことを三島由紀夫はじめ多くの文学者が、なぜ絶賛していたのかがわかるような気がするのだ。
「歌人文体模写」なる戯文には斎藤茂吉・窪田空穂・斎藤史・阿部静枝・近藤芳美・宮柊ニの六人が登場する。そのうちの二人分を紹介しよう。

斎藤茂吉  山寺の和尚は鞠が蹴りたいのである。しかるに鞠は見当らぬ。即ち鞠は蹴りたいけれども鞠はないといふことゝなつた。余としても不本意に堪へぬのであるが、今の状態では諦むるより仕様がない。さうではあるまいか。

斎藤史  和尚は鞠が蹴りたかつたのでございます。山寺では無理もなからうつて?ごじょうだん。山寺と申すところは、それほど味気なくはございません。猫もをります。紙袋もあります。猫を紙袋につめれば、そのまま鞠の代り――とんでもございません。猫は生きて、をります。生命の火を燃やしてをります。ぽんと蹴ればにやんと鳴くのでございます。

(『増補 黒衣の短歌史』「昭和二十六年~二十七年」p.147)

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2004/11/28

せいとふせいは がんぽんち


池内紀さんの随筆を読んでいると、どこかにかならず愉快な話があって、思わず人に教えたくなる。だが、わたしの引用だけ読んで、ああそういう話かとわかったつもりになられると困る。これはごく一部で、ほんとうの可笑しみは一話を通して読まないとわからない。少し笑ったら、今度はぜひ本を手にとって全部を読んでいただきたい。
今読んでいる『遊園地の木馬』池内紀(みすず書房/1998)から──

遠国からやってきた侍がいた。ちょうどそのころ、お江戸ではこんな小唄がはやっていた。「成ると成らぬは眼もとで知れる。けさの眼もとは成る眼もと」 小唄を覚えたいのだが、微妙な節まわしまでは手がとどかない。文句のほうもあやしい。侍は手帳のはしに漢字ばかりで書きとめた。つまり、「成与不成眼本知、今朝眼本成眼本」 国もとへ帰って土産ばなしをするうちに、いま江戸ではこんな唄がはやっているといって手帳をくった。さて唄おうとしたところ、もとの文句も節まわしも覚えていない。そこでやおら、高らかに読みあげた。「せいとふせいは がんぽんち、こんちょう がんぽん せいがんぽん」 (「がんぽんち」p.38)

あはは、こういうの、あります、あります。
やたら偉そうな文章のなかに、シニフィエとシニフィアンだの、ラングとパロールなんて言葉が出てきたら、ああ、この著者は田舎侍なんだなぁ、と思いつつ、唱えるとよさそうだ。「せいとふせいは がんぽんち、こんちょう がんぽん せいがんぽん」(笑)

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2004/11/27

女歌とヨンさま

例の事件のときに、島田紳助は偉いなあ、気に入らなければ相手がおばはんでも殴るんだもんなあ、と感心してたらカミさんに怒られた。いや、冗談ですってば。(笑)
『女歌の百年』道浦母都子(岩波新書/2002)を読みながら、日本の近代化というのは見方を変えれば女が解放されていく歩みのことだったんだな、と思った。女がわがままなくらいの社会の方が、全体的にはいい社会だ。女に教育を与えず、義務で縛り付け、忍従の軛に置く社会は邪悪な社会である。ヨンさまに殺到して思わず怪我するくらい好きなことができる社会の方がタリバンよりはましだろう。多少、滑稽で馬鹿馬鹿しいのは仕方ない。ものごとにはコストはつきものだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。

 髪ながき少女とうまれしろ百合に(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ
                            山川登美子
  
 しら梅の(きぬ)にかをると見しまでよ君とは云はじ春の夜の夢
                            茅野雅子

与謝野晶子との共著で登美子、雅子が明星から『恋衣』(1905)を出すことを知った日本女子大は、もし歌集を刊行すれば同校に在学中だったこの二人を停学処分にすると通告した。まあ、この背景には、晶子の「君しに死にたまふこと勿れ」への圧力もあったらしいが、女子大にしてこの程度の意識である。世間の常識は女に教育はいらない、というものだった。女三界に家なし。老いては子に従え。
それから百年――
ヨンさまに殺到するおばはんたちの傍若無人。屈託のないこと。伸びやかなこと。自由謳歌。文句ある?ありません、あっても恐くて云えません。慶賀、大賀に存じます。
まあ、そういうおばはんには、復帰した紳助がまたパンチでも食らわしてくれることを祈っておくとして――
『女歌の百年』のなかでこんな歌に出会ってふいをつかれ、思わず目頭がうるんでしまった。やはりこのくらいの表現の美しさがなければいけません。

 半世紀靴に鈍感なる足は靴なき戦後の乙女なりしより
            馬場あき子『青い夜の言葉』

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2004/11/25

弾丸込めて撃ち倒せ

 見渡せば、寄せてくる、敵の大軍面白や。
 スハヤ戦闘始まるぞ、イデヤ人々攻め崩せ。
 弾丸込めて撃ち倒せ、敵の大軍撃ち崩せ。

            戦闘歌  鳥居忱作歌

日清戦争から日露戦争にかけてつくられた軍歌のなかに、こういうのがある。歌詞をつけた鳥居忱というのは当時の東京音楽学校の教授。
それがどうしたの、てなもんだが、このメロディが「むすんでひらいて」だと聞くと少々興味が出てくるではないか。メロディをつけて歌ってみてください。たぶん最後の「弾丸込めて撃ち倒せ、敵の大軍撃ち崩せ」は出だしの旋律のリフレインでしょう。
「むすんでひらいて」のメロディの原型は『社会契約論』のルソーの作曲だが、いろんな国でいろんな歌詞をつけて歌われたらしい。日本に入ってきたのはアメリカ経由、そのときにつけられた歌詞はこんなものだった。

 見わたせば、あをやなぎ。花桜。
 こきまぜて。みやこには。
 みちもせに。春の錦をぞ。
 さほひめの。おりなして。
 ふるあめに。そめにける。

それにしても、弾丸込めて撃ち倒せ、ですか。誰に歌わせたのかしら。幼稚園児?う~ん。

以上のネタは今日読んだ『「むすんでひらいて」とジャン・ジャック・ルソー』西川久子(かもがわ出版/2004)から。

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2004/11/24

国語力の低下をよろこぶ

Sankei Webより

「日本語力」低下 4年制私大、国立さえ… 「留学生以下」お寒い大学生 「憂える」=「喜ぶ」!?/短大生35%中学生レベル
あはは、笑った。 憂えるというのは喜ぶという意味だと思っている大学生がたくさんいるって。これって、調査対象にされた大学生が冗談やっていて、真面目な独立行政法人の調査機関がおちょくられているんだと思うなあ。いや、テレビのバラエティでは無知であればあるほど笑いがとれてカッコいいということになっているから、案外、これが実態か。 このネタ勝谷誠彦さんのさるさるではこう書かれている。こっちもおかしい。(勝谷誠彦の××な日々。
「中国の露骨な内政干渉を憂える。小泉首相は安易な懐柔をするべきではない」と書いたところで白痴どもは「中国のおおげさな内政干渉を喜ぶ。小泉は安易に賄賂をもらうべきではない」と読むんだもんなあ。

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2004/11/23

今日の京都

a book

ふらんそわ霜月句会の席で岡井隆さんの800部限定出版の新しい歌集『馴鹿(トナカイ)時代今か来向ふ』(砂子屋書房/2004)を見る機会を得た。本文は囲み罫、むかし懐かしい天金仕上げ、貼り奥付の装幀、挿絵には倉本修さんの美しい版画、見返しに著者の墨書サイン(達筆!)、箱のデザインも見事なまるで工芸品のような一冊。まさに眼福でありました。

sign

句会の会場に向う途中のブティックの立体看板。このあたり、古い町家を改造したお店が増えた。この看板よくみるとわかるけど透明の箱ではない。目の錯覚を誘うのが愉快でしょ。

wall

同じく、句会に向う途中のコンクリート打ち放しの家、店(?)の壁。冬日を一杯にあびて、壁に描く影の効果が面白い。しかし、なんなんだろうね、これは。

句会に出した句は「時々一句」に載せています。素晴らしく晴れ渡った冬空に心を奪われて、それを詠ったのはいいが、うっかり季重なりというお粗末も。まあ例によって楽しい句会でした。

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2004/11/22

『僕の叔父さん 網野善彦』

 かねたくさんの「新・読前読後」の紹介で、『僕の叔父さん 網野善彦』中沢新一(集英社新書/2004)をさっそく読んだ。わたしは中沢新一さんにはほとんど関心がなく、もっぱら網野善彦の評伝であるという点にひかれたのだが、その実、網野善彦の著作をきちんと読んでいるというわけでもない。ありがちな話だが、わたしが網野史学の存在を知ったのはもっぱら隆慶一郎の時代小説を介してである。たしか一番最初に読んだのは『吉原御免状』だったと思う。そのあとは、『かくれさと苦界行』『一夢庵風流記』『鬼麿斬人剣』『影武者 徳川家康』『捨て童子 松平忠輝』と夢中で読んだ。たいていは文庫本だったので、「解説」があり、そこには隆慶一郎のエンターテインメントの背骨のような歴史観が網野善彦の強い影響を受けていることが書かれていた。
 もちろん、隆慶一郎の小説はエンタテインメントだから、これと網野善彦の著作を単純に結び付けてそこに娯楽としての「面白さ」を期待すると失敗する。というか、それがわたしの経験だ。『異形の王権』も結局、最後まで読みとおすことができなかったのはそのせいだと今ではわかる。
 中沢さんの『僕の叔父さん 網野善彦』を読むと、この歴史学者の問題意識がなんであったのか、その思想の根っこになにがあったのかがよくわかるような気がする。そのうちに『蒙古襲来』『無縁・公界・楽』『異形の王権』は読んでみようと思う。
 中沢さんはあとがきにこう記している。

古代人が「オルフェウスの技術」と呼んだものをとおして、人は亡くなった人々や忘れ去られようとしている歴史を、現在の時間の中に、生き生きと呼び戻そうとしてきた。墓石や記念碑を建てても、死んでしまった人たちは戻ってこない。それではかえって死んだ人たちを遠くに追いやってしまうだけだ。リルケの詩が歌っているように、記念の石などは建てないほうがよい。それよりも、生きている者たちが歌ったり、踊ったり、語ったり、書いたりする行為をとおして、試しに彼らをよみがえらせようと努力してみることだ。
 本書の美しさは、そういう中沢さんの鎮魂の思いに貫かれているからだろう。そして、中沢さんはこれにつづけてこう語る。
網野さんの歴史学が、まさにそういう行為をめざしていたのではないだろうか。
 ああ、と深く納得した。

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2004/11/21

ミスター・グッド・カフェを探して

books
本を読むのはもっぱら通勤電車だが、分厚いハードカバーはラッシュ時には向かない。せいぜい文庫や新書をわずかなつり革の隙間に広げて読むという仕儀になる。というわけでときどき、夕刻にゆっくり本をひろげることができる気の利いたカフェが欲しいなあと思ったりする。ところが、これがなかなかむつかしい。ホテルのラウンジは高すぎる。スターバックスやシアトルコーヒーもいいのだが、心地のいい場所はまず空いてない。帰り道からあまり外れるのは不便だ。といってあんまり近すぎて同僚に見止められたりするのも気がすすまない。喧しい二人連れがぺちゃくちゃ喋っているような店は閉口だ。とかくにこの世は住みにくい。(笑)
わが理想とするカフェは、客がまばらで、広々としていて、座り心地のいいソファがあり、低く50年代のジャズが流れ、外が見えることなんだが、残念ながら、これといった店はなかなか見つからない。
いや、見つかったら人には教えない。(笑)

photo by intutum on flickr

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2004/11/20

俳壇の組織

どちらかと言えば以下、個人的な覚えとして。現在の俳壇の組織。

■新俳句人連盟

1946年設立
戦前のプロレタリア俳句、新興俳句運動メンバーなどを中心に結成。
現在会員数 不明

■現代俳句協会
1947年9月1日設立
創立会員38名
石田波郷・神田秀夫・西東三鬼が設立の中心。実質的に新俳句人連盟の分裂(1947年)による。
設立当時の有力俳人は、上記の他、中村草田男、秋元不死男、三谷昭、孝橋謙二など
歴代会長/三谷昭(66)横山白虹(73)金子兜太(83)松澤昭(00)
現在会員数 9,886名

■俳人協会
1961年設立
創立会員30名
現代俳句協会賞受賞作をめぐり世代間の紛糾、波郷・三鬼・不死男らが現代俳句協会より脱退。
設立当時の有力俳人は石田波郷、西東三鬼、中村草田男、水原秋櫻子など
歴代会長/中村草田男(61)、水原秋櫻子、大野林火(78)、安住敦、沢木欣一(87)、松崎鐵之介、鷹羽狩行(93)
現在会員数 14,000名

■日本伝統俳句協会
1987年設立
会長/稲畑汀子
現在会員数 6,500名

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2004/11/19

草田男の犬、腐った党の犬

 『戦後俳句論争史』赤城さかえ(青磁社/1990)を読んでいるのだが、これがなかなか面白い。
 もっとも、60年もむかしの俳句論争のいったい何が面白いのかと正面切って聞かれると、答えに窮する。そもそも「面白い」「面白くない」などという観点で自分たちの論争が半世紀後に読まれているのを知ったら、あの世で当事者も憮然としているだろう。それでもあえて言うけれども、これらの論争が当時、大真面目であればあっただけに、滑稽さや思わず「あちゃあ」と言いたくなるような恥ずかしさがあって、「面白い」のである。別に興味のない人にオススメはしないけれど。
 もちろんこれは、現在の人間の方がむかしの人より賢いとか、ものがよく見えているといったことではまったくない。ここのところの機微を池内紀さんがたくみに言っている。要は、10年前の、あるいは20年前の自分のアルバムなんである。いま見てごらん、変な髪型、変な服、変なポーズ、まともに正視できず、「あちゃあ」と叫ばずにはいられない、あの感覚である
 しかしながら、そういう恥ずかしさを少しこらえて、じっくり読むとその「面白さ」の下にごつごつした手応えのようなものがあり、いまのわたしたちの俳句(あるいは詩歌全般)に対する考え方、感じ方の最大公約数のようなものがつくられて行った過程が見えるような気がするのである。
 たとえば「草田男の犬論争」。

  壮行や深雪に犬のみ腰をおとし  中村草田男

 この句の評価をめぐって昭和22年に激しい応酬があった。「草田男の犬論争」については俳句好きの人なら名前くらいは知っているだろうが、具体的になにが争われたのかまでは知らないのではないか。じつはわたし自身が本書を読むまでそうだった。books

 ここで、論争の要約をしてもあまり意味がないのだが、もしかして興味を持つ人がいるかも知れないので簡単にふれておく。

 まずこの句をすぐれたものだとして挑発的な(という意味はあとで説明する)エッセイを書いたのが赤城さかえ。「壮行」はいうまでもなく、出征兵士を見送る壮行で、浮ついた街頭の喧騒、これみよがしの熱狂のかたわらで一匹の犬だけが低く腰を落としているという光景に、愚かしい戦時の世相に対する冷めた眼、批判精神を認めよとした。
 これに噛み付いたのが芝子丁種という人物で、この句は草田男が戦争を賛美したものであり、このような反動的な俳人の句を賞揚するとは何事であるか、という論陣を張った。

 このように同じ俳句の解釈が正反対になるという点が、そもそも俳句形式の弱さではないかという見方も出るわけだが、まあ、解釈が分かれるのは俳句に限ったことではないから、そのことはいまは論じない。

 じつは解釈が正反対になったのはこの論争が行なわれた「場所」に関係がある。さきに「挑発的な」と書いたのはここのことで、この「草田男の犬」というエッセイが発表されたのは新俳句人連盟の機関紙「俳句人」である。この新俳句人連盟(変な名前(笑))がどういう組織であったのかは、論争当事者の芝子丁種の書いた文章を読むとおおよそ理解できる。こういうのだ。

「すでに連盟は、俳壇における著名なファッショ的作家をしばしば糾弾し、(中略)世界労働連合の戦犯調査にも資料を提供しているが、もちろんその名簿の中の一人に中村草田男も挙げてあるし、彼の戦犯的所説や作品資料は・・・」

 いままでのところ具体的に『戦後俳句論争史』の中に名指しでは出てこないのだが、当然、敗戦からわずか2年ばかりのこの時点は、革命という言葉が具体性を十分に帯びていたわけで、あらゆる組識でその主導権をめぐって共産党の指令が出ていたことは想像に難くない。つまり、この新俳句人連盟の一部は、最初から草田男たちに戦犯というレッテルを貼りこれをスケープゴートにして、自分たちの勢力を確立させようとしていたと思われる。だから、あえてここに「草田男の犬」というエッセイで「戦犯」と名指し批判されている草田男を賞揚するというのは、まあ、あきらかに喧嘩を売ったことになるわけだ。

 ところで、面白いのは赤城にこのエッセイを書かせたのが、「俳句人」の編集委員長、石橋辰之助であったことだ。石橋辰之助といえば、昭和俳句史のなかでは戦前は、ホトトギスから馬酔木を経て西東三鬼たちと京大俳句に合流した新興俳句運動の有力メンバーだ。忖度するに、石橋自身が草田男を血祭りにしようとする連盟のなかの一派に好意を抱いていなかったと思われる。(論争の間は、編集委員長であるという理由で中立をかれは保った。昭和22年の新俳句人連盟分裂──三鬼、三谷昭、富沢赤黄男が緊急動議否決により脱退──のときは、しかし石橋辰之助は組織に残った)

 まあ、いまあらためてこんな論争を追っかける物好きはあまりいないだろうが、この芝子丁種の言い草なんかは、まるで北朝鮮である。そもそも芝子丁種ってなんてよむのだ。(笑)俳号でよかった、60年もたって、あれあれ、あんたは「腐った党の犬」だよ、と嘲われるのだから。

(補足)
読み返してみて、なるほど赤城さかえというのは当時、コミュニストの政治的な策謀と果敢に戦った自由主義者だったんだなと勘違いする人がでるかも知れないと気付いたので以下補足する。端的にいうと、この人もコミュニストである。昭和22年の新俳句人連盟分裂について上に書いているが(これについても面白いネタがあるのだが、いまは長くなるのでやめておく)このとき問題になったのは、要は共産党との関係である。脱退した人たちは、これを嫌い、残った人はこれを認めた。赤城さかえは、この新俳句人連盟の分裂ののちにこれに加入している。これまた、忖度するに、芝子丁種みたいなのが主流派をしめては左翼俳人に未来はないと危惧したのではないかなぁ。だから、自分が入る、ト。まあ、その後の歴史はまさにその危惧どおりになったわけだが。

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2004/11/17

うそ乳にご用心

「ちくま」(11月号)の連載、群ようこ「違和感のひび」16を読んで思わず笑ってしまった。

らくで肌にやさしい下着に限ると、もっぱらスポーツ・ブラを愛用していた群さんが、さすがに何年も使った一枚がだめになったので、補充のために十年ぶりくらいの「ちゃんとした」ブラジャーを通販で買ったというのだな。

届いたブラジャーを試しにつけてみた私は、我が目を疑った。
「どこをどうすればこんなに」
といいたくなるほど、胸が大きく上がっていたからである。ふだんは腹がDカップで胸はBカップなのに、立場は見事逆転している。
あまりの変わり様にうろたえるばかりである。
「ただつけるだけで、あのやる気のないゆるんだ乳が、こんなに張り切った状態に」
世の中の進歩に驚嘆した。
もっとも、ご本人には違和感ありありで、
「こんなうそ乳では、外を歩けない」と気分が落ちこんできた。
ははは、街でおもわず見とれてしまう胸の大半は「うそ乳」であったか。って、まあ、これは正直に言えばいまさら驚くようなことではない。男だって知ってはいるのだが、そこが本能の浅ましさで、やはり見とれてしまうのでありますね、あれは。

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2004/11/16

新しい国務長官にタメ口たたける人々

新しい米国の国務長官と同い年の人達
昭和29年(1954年)生まれの有名人■より
一部を抜粋させていただきました。大半はわたしの同級生世代であります。人生五十愧無功(笑)
(誕生日順)
中畑清(1.6)
田尾安志(1.8)
松任谷由実(1.19)
井沢元彦(2.1)
ジョン・トラヴォルタ(2.18)
長谷川櫂(2.20)
カルロス・ゴーン(3.9)
ジャッキー・チェン(4.7)
大友克洋(4.14)
マイケル・ムーア(4.23)
デーブ・スペクター(5.5)
檀ふみ(6.5)
キャスリーン・ターナー(6.19)
南沙織(7.2)
秋吉久美子(7.29)
志位和夫(7.29)
隈研吾(8.8)
ジェームズ・キャメロン(8.14)
安倍晋三(9.21)
栗木京子(10.29)
カズオ・イシグロ(11.8)
コンドリーザ・ライス(11.14)
金原瑞人(11.29)
水沢アキ(12.5)
デンゼル・ワシントン(12.28)

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2004/11/13

知らなかった歌人・大吾法利雄

先日、素人にしては歌人の名前はよく知っている方だろう、などと偉そうなことを書いてしまった。(ここ)撤回する。身のほど知らず、夜郎自大、井の中の蛙。ああ、はずかしい。(笑)
『しおり草』大岡信(世界文化社/1998)に、『折々のうた』を底本にして「昭和の名句百選」と「昭和短歌『折々のうた』百首選」という項があった。俳句の方は、一応、少なくとも名前だけは知った俳人ばかりだったが、短歌の方はもう目も当てられない。『折々のうた』は目を通しているはずなのに、三分の一ほどは知らない歌人なのだった。いかにうたはわれわれの目を通過して、ほとんどは残らないということなのか。いや、単にこっちの頭脳がざるで、ぼろぼろもれてしまうということなのか・・・。
知らなかった歌人のなかで、いまのわたしの気分にぴたりと合った人。大吾法利雄(だいごぼう・としお)。二首を抜く。

 老醜はありて老美は辞書になしあはれなるかなや(おい)といふもの

 この一首遺さば死ぬも悔なしと思ふ歌などわれは望まず

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2004/11/12

英国の執事のこと

たまには洋書も読んでおかないと勘がにぶる。カズオ・イシグロの『The Remais of the Day』にとりかかったものの、まったくはかどらない。別に急ぐ必要もないので、一日1ページか2ページずつ読み進める。(もっとももうじき、ネルソン・デミルの新作『Night Fall』が到着するはずなので、それがくるとまた後回しにすることにはなるのだが)
ところで本書の第二章に、英国の執事とはどういうものであるかについて、主人公が延々と考えを述べる箇所があった。本物の執事は控え目でどんなときにも沈着で品位を失わない。こういう使用人は世界広しといえど英国以外にはいない、とかいうのだな。おもわずにやりとした。
というのにはわけがある。
じつは二三日前にピーター・ウィムジイ卿ものを読んだばかりだった。気散じの探偵業が三度の飯より好きだという主人に仕えるのが執事のバンター氏。

「バンター!」
「はい、御前」
「先代公妃がおっしゃるには、例の実直なるバターシーの建築家が、風呂桶の中に死体を見つけたそうなんだ」
「それはそれは、御前。何よりでございます」
「全くだよ、バンター。いつもながら的確な言葉を遣うね。僕もイートン校やベイリオルでそういうこつを教えてほしかった」

『誰の死体?』
ドロシー・L・セイヤーズ
浅羽莢子訳
(創元推理文庫)

なるほど、こういう探偵の相棒はさすがに英国にしか存在しない。(笑)

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2004/11/11

勝手に書影をつかうこと

ネット書友のかぐら川さんが紹介しておられる「旅と現代文学」に本の表紙画像の著作権の取扱いの現状がまとめてあって興味深い。
「2004-09-12表紙画像を使わせてください。PartIII」のくだり。(ここ

(1)書影を勝手につかうのは著作権法上疑義がある
(2)だから問題を回避しようと思えば著作権所有者に直接使用許可を得ればよい
(3)書影の著作権は出版社にある(と推定できる)
(4)ただし現状では出版社によって対応は違います

という風に理解した。細かいニュアンスは直接お読み下さい。

さて、わたしのブログにも本の表紙画像を使うことがある。一言あってしかるべきかと思うので以下に考えを書いておきます。
といっても、たいした考えがあるわけではない。本は世に出れば世の中のものであるというだけのことだ。どうしても誰かが、「あれはオレのものだ、外さなければ法的手段に訴えるぞ」とでも脅しつけてくるなら面倒くさいから外すけれども、こちらからわざわざ、使ってもよろしいですか、とお伺いをたてる気はない。
これだから、知的所有権に無知な素人がインターネットなんかやるのは問題だと言われるなら、ああそうですか、と言うだけだ。
ちなみに、わたしがインターネットで使う写真(大半は粘土工房)は基本的にクリエイティヴ・コモンズのAttribution-NonCommercial-NoDerivs 2.0 である。これは「帰属表示(Attribution)」、「非商用利用(Non-commercial)」、「改変の禁止(No Derivative Works)」という条件を意味する。そんなにむつかしい話ではない。これが誰の写真かをどこかに明示してくれれば、商売につかうのでなければどうぞご自由に、でも手を入れるのはだめよ、というだけのことだ。いたってあたりまえの条件で、書影などは当然こういうあつかいにするのが本当である。
クリエイティヴ・コモンズについてはこちら

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2004/11/10

上田三四二、良寛、意気のあがらない話

上田二四三の『この世 この生』(新潮社/1984)を読み終える。
病癒えて再発を恐れながら生きた十五年、良寛はつねに上田の関心のうちにあった。それは、良寛が世間の側に立って世間の側から自分の生き方を「無能」とし「此身を誤る」と見ていたそのうしろめたさに深く共感していたからだ。良寛は自分のなかに充実した満足すべき時間と宇宙を持っていたが、「世間よりも高みに自分を置くことをしないばかりか、かえって出世間の身の耕さず紡がぬ徒食を恥じて」いた。
多少の才能を元手に、おれがおれが、と世間の中で場所を確保していく生きかたを、夢の実現ともてはやす。あほくさ、と思いながらも、「成功者」への人並みの憧れもあるというのが正直なところだ。結局、成功できなかったから良寛に帰る、というのは二重に卑怯なことかもしれないと、今日はいささか意気があがらない。

  生涯懶立身    生涯身を立つるにものうく
  謄々任天真    謄々天真にまかす
  嚢中三升米    嚢中 三升の米
  炉辺一束薪    炉辺 一束の薪
  誰問迷悟跡    誰か問はん迷悟の跡
  何知名利塵    いづくんぞ知らん名利の塵
  夜雨草庵裡    夜雨草庵のうち
  双脚等間伸    双脚等間に伸す   

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2004/11/09

池内紀さんと製図の話

このことははじめて知ったことだったので、書いておく。池内紀さんの『無口な友人』(みすず書房/2003)を読んでいたら、こんな話があった。

兄が大学の建築科にいたので、よく墨をすらされた。製図を引くには、大量の墨汁がいる。歳のはなれた弟を、ていのいい小使にしたらしい。(「夢の建物」)
池内さんの弟さんは、宇宙物理学者の池内了さんであることはよく知られているし、最近では息子さんの池内恵さんが気鋭のイスラーム研究者として注目を浴びている。いろんな分野に関心がむく家系なのだろう。 ただし、残念ながら、このお兄さんは早くに亡くなられたようだ。敬愛した兄を偲んだいい文章だと思うので、すこし長いが引用する。
計算尺で、しきりに何やら数字を出していた。兄によると、建築をやるには四次方程式や球面三角法をマスターしなくてはならない。とりわけ球面の計算が難しい。そのほか、いろいろ難しいことをいっていばっていた。江戸川乱歩に熱中している弟を気づかってのことらしかった。いずれ、一級建築士の資格をとって池内建築事務所を開く。そのはずだったが、大手の建設会社に就職して五年目に、現場の事故で、あっけなく死んでしまった。 弟は数学が苦手で四次方程式はおろか二次方程式もおぼつかないのだった。球面三角法など、とんでもない。家を建てるかわりに、もっぱら空想するだけの方面にすすんだ。それでも今なお製図や設計図にひとしおの思いがある。美しい図面を見ると、鼻の奥に、ほのかな墨汁の匂いがよみがえってくる。

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2004/11/08

小千谷と佐々木六戈

『セレクション俳人 佐々木六戈(ろっか)集』(邑書林/2003)を読んでいたら、昨日に引き続いて今日も小千谷が登場した。本を読んでいるとこういう偶然は珍しくない。
「於・小千谷市錦鯉センター」の詞書とともに――

 三島由紀夫の鉢巻や錦鯉
 錦鯉跳ねて赤赤響きけり
 昭和の色大正の色錦鯉
 日の丸の飛び火を背に錦鯉

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2004/11/07

小千谷と青木玉

ojiya

東京から僅か二時間あまり、初めて訪ねる土地だが、私には懐かしいところである。何で懐かしいかと云えば、子供の時に長唄を習い、とくに「越後獅子」は気に入っていた。
「小千谷ちぢみのどこやらが、みえ透く国の習ひにや」と声を細く張ってうたいながら、目の前に、蝉の羽根のような薄いしぼのある布をうっとりと思い浮かべていた。そこへ行く折があろうとは、なんとも心ときめくものがある。(p.157)

『こぼれ種』青木玉(新潮社/2000)を読んでいたら、青木さんが小千谷ちぢみの原料となる麻の畑を見にゆく話があった。写真のページは、苧麻(ちよま)畑。
一日も早い暮らしの建て直しができるようにお祈りします。

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2004/11/06

美しい嘘「初恋の来た道」

「初恋の来た道」は素晴らしい映画で多くの人々の支持を集めたのも当然だと思う。美しい自然を情感豊かに描写するカメラワーク。奇をてらわずシンプルで力強いストーリー。主演女優の観客を虜にせずにはおかない可憐さ。そしていうまでもなくこれらをまとめあげた監督のゆるぎない力量。

だから以下に述べることは批判ではない。映画にかぎらず、表現というものは虚であり、虚であることによって、われわれに夢をあたえ、力をあたえ、わずかなひとときでも人生を生きる価値のある場所にしてくれるものだ、というのがわたしの立場である。貧血の写生論をわたしはとろうとは思わない。

そうではあるが、この映画の時代背景は偽りである。偽りという言葉が不適切なら、こうであってほしかったという張芸謀(チャン・イーモウ)監督の願望がつくりあげた夢である。
こういうことだ。
物語が何年のどの地方のものであるかは、映画はあえて直接には語らない。しかし、冒頭の現在のシーンで壁にかかったカレンダーは1999年のものであり、死んだ夫は40年も村の子供たちのために、ただ一人の教師として尽くしてきたんだと母親が息子に語るわけだから、多少のゆとりをみて、この父親と母親(本編の中国の題名は「我的父親、母親」である)がはじめて出会ったのは、おそらく1958年から1959年あたりの時代であろうと推測できる。
ところが、中国の現代史に多少なじんだ人ならば、この時代の農村がなかなかどうして映画のような牧歌的なものではなかったことを知っている。たとえば『神樹』鄭義/藤井省三訳(朝日新聞社/1999)などを読むとそのことが如実にわかるはずだ。
おさらいとして年表を確かめると──

1958年 5月 毛沢東「社会主義建設の総路線」大躍進運動開始
       8月 農村の人民公社設立、鉄鋼大増産の号令
1959年 4月 劉少奇国家主席就任
       8月 反右傾闘争開始
       9月 林彪国防部長就任

この時代を一言であらわす「三面紅旗」という言葉がある。
三つの赤旗「総路線」「大躍進」「人民公社」。
1958年の鉄鋼大増産というのはどういうものかというと、中国人民7億人が人海戦術で年間に一人1トンの鉄を生産すれば、年間7億トンの鉄鋼生産量となり、イギリスをも凌駕できるという毛沢東の号令で、農民が耕作そっちのけで製鉄をやらされたのだ。(ちなみに当時の中華人民共和国の鉄鋼生産量は540万トンばかり。毛沢東は倍増を命じた)ところが、その製法が古代の「土法高炉」(泥の坩堝ですな)だったから、当然、鉄鋼にはならず、しかも農民は党員と称するなり上がりの共産党チンピラ幹部に徴用されて耕作ができていないので凄まじい飢饉が発生した。
ユン・チアンの『ワイルド・スワン』(土屋京子訳/講談社/1993)でもこのばかばかしい土法高炉の描写があったはずだ。終日この泥るつぼに薪を焚き続け(当然山や林はあっというまに荒廃した)子供は家々から鍋や鍬を徴発してはこのるつぼに投げ込んで熔かした。できあがった「鉄鋼」は牛の糞のようなぼろぼろの塊だった。
この大躍進で餓死あるいは栄養不良で死んだ数は2千万人とも3千万人とも言われている。

映画では、村にやってきたはじめてのインテリである先生は、各家庭を回ってそこで賄いをしてもらえるというオハナシだ。校舎を建てる村人(と憧れの先生)にはたっぷりとしたマントウや餃子を入れた陶器の弁当が配られる。盲目の母親は「先生にたっぷりたべてもらいな」とご馳走作りに励む少女に声をかける。湯気をあげるふかふかしたマントウ、きのこ餃子──
『神樹』では壁の土を食べて餓えを凌ぐ農民たちの凄まじい描写がある。
張芸謀(1950年生)の出自は国民党の父親だという。この大躍進の時代にかれは8歳から10歳くらいの子供時代を過ごした。反革命分子の子弟であるかれが、ふつうの農民よりましな栄養状態だったかどうか。
だから、この映画は張芸謀自身の子供時代へむけた慰藉であり夢なのだとわたしは思う。映画のなかの1959年、おそらくは河北省の農村では、貧しくとも美しい少女がいて、そこではあたたかくふんだんな食べ物がたしかにあったのである。それはリアリズムではないけれど、リアリズムを越えた真実なのだ。

もうひとつ、この映画は章子怡(チャン・ツィィー)のデビュー作で、たしかに彼女だけでもう十分という評が多いのだが、(それをとくにいけないという理由はないが)初恋の相手であった先生も忘れてほしくないような気がする。
先生が町に連れ戻され、村に帰ってこれなくなる箇所で、村人が「どうも右派だということだ」という場面がある。ちょうどこの時期は、右派闘争とよばれる権力闘争が繰り広げられていた時代だ。右派というレッテルを貼られた何十万人という学生が放逐された。
先生は少女に「赤が似合うね」という。
ほんとうに美しい赤色をチャン・ツィィーに見ている。「三面紅旗」への痛烈な皮肉だと見るのはもちろん深読みにすぎるだろうけれど。

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2004/11/04

カマキリくん、君の瞳に乾杯

朝、ベランダにカマキリがやってきたので、さっそく写真をとってflickrにアップする。まったく家に有るものなんでもかんでも撮って公開するのはやめてよね、と家人には注意されるのだが、中毒なので仕方がない。さすがに冷蔵庫の中身は絶対禁止と釘をさされている。私小説作家の業の深さがわかるような気がするな。(笑)mantis

さて山口誓子の句に「蟷螂の眼の中までも枯れ尽す」というのがあるけれど、あれはたぶん茶色くなったカマキリを詠んだものだろう。まだ若いみどりみどりした奴をつくづく眺めると、なかなか愛嬌がある。同じく誓子に「かりかりと蟷螂蜂の(かお)を食む」というのがあって、まったく人間とは異質な生き物の不気味さを感じさせるが、こうして写真で見ると案外ユーモラスな表情だ。
その理由は、眼がマンガみたいだからだろう。黒い瞳がまるでじっとこっちを見ているような気がするのだな。同じようなことを考える人は多いようで、たとえばこちらの方は、子供の頃つらいことがあると野原にいって カマキリに話しかけていたそうな。ちゃんとこっちの目を見て話を聞いてくれたからって。(笑)ここ

ところがだ、よく考えると昆虫の眼は複眼なんだから、これが瞳孔でここからレンズに光を集めるような仕組みであるはずがない。じつは、上記のサイトにも書いてあるが、この黒い点は偽瞳孔といってこれでカマキリくんがこっちに目を合わせてくれているわけではないのだな。この黒い箇所、昼間は小さな部分だが夜になると、この複眼全体が黒くなって、すべての光を吸収する。夜でも活動できる殺し屋の秘密であります。
人間の眼は色を受ける色素が三つしかない(色の三原色と関係があるのかどうかは調べてないけれど、なんかそんな気がする)のに対して、カマキリの眼はこれが10あるのだそうだ。(ここ)いやあ、カマキリの脳には世界はどんな風に見えているんだろう。

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2004/11/03

土方の俳句

新選組は嫌いなので、悪口を言うことにする。だいたい忠義だの志だのと美辞麗句を並べながら、その実、世の混乱に乗じて一旗あげようとするような質の悪い連中である。その一旗組が失敗したからって敗者の美学と持ち上げる気にはなれない。徳川幕藩体勢が中途半端なかたちで生き残って(慶喜を盟主にしたゆるやかな諸藩連合政権みたなかたちになっていたら、英仏の狙い通り植民地に切り分けやすかっただろう)、近藤だの土方だのが、華族になった図を想像してみればよい。薩長の元勲もいかがわしいが、新選組の方は輪をかけて血に汚れている。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが、子母澤寛の『新選組始末記』を読んでいたら、土方歳三の俳句集が出てきておもわず笑ってしまった。笑ったのは、莫迦にしてという意味ではなくて、下手な俳句にむしろ共感してである。ちなみに、近藤はまったくくだらん人間だと思うが、土方は嫌いながらもそれなりに買っている。

同じ佐藤家*で、「文久三年の春」と書いた歳三の俳句集をこの頃発見した。半紙を十枚ばかりとじたもので、表紙には「豊玉集」とある。豊は、自分の名「義豊」の一字をとったものであろう。

 白牡丹月夜/\に染めてほし
 玉川に鮎つり来るやひがんかな
 公用に出て行く道や春の月
玉川に、の句は「や・かな」になっているのであるいは「ひがんはな」ではないかとも思うが、鮎(夏季)と彼岸花(秋季)がしっくりこない気もする。 いずれにしてもいかにも下手だな、と苦笑い。まあ、お互いさまでありますが。

*土方歳三の縁家、武州日野の佐藤彦五郎方

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2004/11/02

読む短歌、詠む短歌

 短歌を読むのはわりと好きで、歌人の名前も比較的知っているほうだと思う。もちろん、ごく普通の勤め人としては、という意味だが。
 ただ、それぞれの歌人がどの結社にいるか、ということや、その結社がどういう成立の仕方をしてきたかということはこれまであまり意識してなかった。かならずしも興味がなかったわけではない。
 ということで、いま上田三四二の『戦後短歌史』を読んでいるのだが、いろんな糸が繋がってそれぞれの出所がつぎつぎにわかってくるような面白さがある。
 たとえば、それぞれ「アララギ」に出自をもち、土屋文明の選歌欄に鍛えられた近藤芳美と高安国世が、戦後の新人として頭角を現わしてゆくあたりの経緯について本書ではこんな記述がある。

ここに言う有力な新人とは、近藤芳美を尖端として、その両翼に並ぶ小暮政次と高安国世である。もっとも「アララギ」内部の形としては、明治四十一年(一九○八)生れの小暮政次が巧緻な作風をもって先ずあらわれ、そのあとに、ともに大正二年生れの近藤と高安が、雁行しながら続くというのが一般的な図式であったといっていい。そして近藤芳美を戦後派の中軸として捉えれば、小暮政次は、戦後派と呼ぶには、少しく市井的な感情の襞において老成しすぎているところがあるかもしれない。また高安国世は、その戦後の出発において近藤と乳兄弟同様の相似を示しながら、近藤の人生派的立場に対して、のち次第に芸術派的態度を明らかにしてゆくだろう。(p.120)

 またこの個所からすこしのちに、こんな一節もある。

高安国世の戦後は、彼の歌の出発である戦前昭和十年ごろから引続き、土屋文明への信従によって貫かれていた。そこのことはまた、同門かつ同年で、教養の道筋も似ている近藤芳美との協調と親和の必然性をも意味していた。近藤芳美の初心の歌集『早春歌』に対して、高安国世のそれが『Vorfrühling』であるのも、偶然とは思えないほどだ。そして、のちこの二人によって創られる歌誌「未来」と「塔」が、傘下の若手たちの手で兄弟誌の交りをつづけるようになるところにも、互いの信頼の深さのほどがうかがわれるのである。(p.124)

 別に具体的にそれと思い当たるような知り合いが「未来」にも「塔」にもいるわけではないのだが、なんとなくいまの 歌壇におけるこのふたつの有力な結社の雰囲気がわかるような気がする。「玲瓏」や「山繭」という最近、にわかに親近の情を抱いている短歌結社にしても、この上田三四二の本で塚本邦雄や前登志夫が新人として登場してくるあたりを読み、また岡井隆との関係などを知るとますます近しいものに感じられるのが不思議だ。
 短歌は詠むのは無理だが読むのは好きなのである。
 そういえば、先ごろ、50周年を迎えた「塔」のいまの代表である永田和宏さんが、河野裕子、佐佐木幸綱(「心の花」は創刊百年!)との鼎談でこんなことを言われたらしい。
 『塔』の本文は読んでいないので、その内容を伝えた毎日新聞の学芸欄を引く。

そこで永田氏は、歌誌・結社こそが、歌の読み方を鍛え、いい歌を見つけ、そのいい歌を読者に伝え、残していくための装置になり得ると考える。「歌を読んで、いい歌をいいものとして残す。歌は読むのがすごく大事だということですね」と語っている。「詠む」ことはもちろん大切だが、「読み」はまたそれ以上に重要だ。それは短歌だけではなく俳句にも共通する。言葉が短く意味ばかりではなく、韻律やイメージの効果の大きい短歌・俳句について、いい作品を選び出すことの難しさと大切さがもっと認識されてもいい。
9月14日 東京夕刊

 そういうこと。

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2004/11/01

2004年10月 観た映画

アンジェラの灰

監督/脚色/製作:アラン・パーカー
主演:エミリー・ワトソン/ロバート・カーライル/マイケル・リッジ
音楽:ジョン・ウィリアムズ

パンチドランク・ラブ

監督/脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:エミリー・ワトソン/アダム・サンドラー
音楽: ジョン・ブライオン

モーターサイクル・ダイアリーズ

監督:ウォルター・サレス
主演:ガエル・ガルシア・ベルナル/ロドリゴ・デ・ラ・セルナ/ミア・マエストロ

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2004年10月 読んだ本

『川の旅』池内紀(青土社/2002)
『猫の息子 眠り猫Ⅱ』花村萬月(新潮文庫/2004)
『アフターダーク』村上春樹(講談社/2004)
『なじみの店』池内紀(みすず書房/2001)
『アンジェラの灰』フランク・マコート/土屋政雄訳(新潮社/1998)
『ジャマイカの烈風』リチャード・ヒューズ/小野寺健訳(晶文社/1977)
『通訳の英語 日本語』小松達也(文春新書/2003)
『鑑賞・現代短歌 八 上田三四二』玉井清弘(本阿弥書店/1993)
『前衛歌人と呼ばれるまで』岡井隆(ながらみ書房/1996)
『昭和俳壇史』(角川書店/1985)
『イラク 戦争と占領』酒井啓子(岩波新書/2004)
『断崖の骨』アーロン・エルキンズ/青木久恵(ハヤカワ文庫/1992)

(内容の一部を読んだ本)
『新興俳句表現史論攷』川名大(桜楓社/1984)
『体験的新興俳句史』古川克巳(オリエンタ社/2000)

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賢いだけで、愚かさを持たない若者になんの魅力がある

モーターサイクル・ダイアリーズ

長い長い冒険の果てに24歳の青年が見つけたものは──

1952年、医学生のエルネスト・ゲバラはアルゼンチンのブエノスアイレスから南米大陸を縦断する旅に出る。ときに23歳。相棒はふとっちょの生化学者アルベルト・グラナード、29歳。険しいアンデスを越えてタンデムのふたりを運んでくれるのはヘインズ社のノートン500というモーターサイクルだ。名づけてポデローサ号。(スペイン語で「強力な」)
cinema
映画のストーリーはそれほど感心しなかったけれど(理由は面倒くさいから書かない)、この映画、音がすばらしくいいのだ。ラテンのギターの音色(大好きである)だけではない。ポデローサ号が牛の群れに突っ込んで駄目になる直前、石ころ道を疾駆するときの咆哮するエンジン音がほとんど生理的な快感を呼び起こす。
バイクの趣味はないので見当違いかもしれないが、むかし、あるバイク好きが「空冷単気筒エンジンの、どうっ、どうっ、と突き上げてくるあの音と言ったらあんた・・・」とうっとり話していたのを思い出す。まるで女をなつかしむような口振りであったな、あれは。この映画で響きわたるエンジン音がその空冷単気筒なのかどうか、定かではないが、もしそうであるなら、あの男は正しかった。

映画は、現在のアルベルトの老いたクローズアップで終わる。別れから8年後、アルベルトは、革命後のキューバに招かれエルネストと再会した。米国のゲバラ謀殺後は、親友に忠誠を捧げ、ハバナ大学の教授に留まったと映画は伝える。(あれは本物のアルベルトなんだろうか)

というわけで、はじめにもどる。
長い長い冒険の果てに24歳の青年が見つけたものは何だったのだろう。エルネスト・ゲバラの場合は明らかだが、もうひとりの24歳の青年のことを考えていたのだ。イラクで囚われ利用され殺された日本人の青年がやはり24歳だった。

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