上田三四二、良寛、意気のあがらない話
上田二四三の『この世 この生』(新潮社/1984)を読み終える。
病癒えて再発を恐れながら生きた十五年、良寛はつねに上田の関心のうちにあった。それは、良寛が世間の側に立って世間の側から自分の生き方を「無能」とし「此身を誤る」と見ていたそのうしろめたさに深く共感していたからだ。良寛は自分のなかに充実した満足すべき時間と宇宙を持っていたが、「世間よりも高みに自分を置くことをしないばかりか、かえって出世間の身の耕さず紡がぬ徒食を恥じて」いた。
多少の才能を元手に、おれがおれが、と世間の中で場所を確保していく生きかたを、夢の実現ともてはやす。あほくさ、と思いながらも、「成功者」への人並みの憧れもあるというのが正直なところだ。結局、成功できなかったから良寛に帰る、というのは二重に卑怯なことかもしれないと、今日はいささか意気があがらない。
生涯懶立身 生涯身を立つるにものうく
謄々任天真 謄々天真にまかす
嚢中三升米 嚢中 三升の米
炉辺一束薪 炉辺 一束の薪
誰問迷悟跡 誰か問はん迷悟の跡
何知名利塵 いづくんぞ知らん名利の塵
夜雨草庵裡 夜雨草庵のうち
双脚等間伸 双脚等間に伸す
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