知らなかった歌人・大吾法利雄
先日、素人にしては歌人の名前はよく知っている方だろう、などと偉そうなことを書いてしまった。(ここ)撤回する。身のほど知らず、夜郎自大、井の中の蛙。ああ、はずかしい。(笑)
『しおり草』大岡信(世界文化社/1998)に、『折々のうた』を底本にして「昭和の名句百選」と「昭和短歌『折々のうた』百首選」という項があった。俳句の方は、一応、少なくとも名前だけは知った俳人ばかりだったが、短歌の方はもう目も当てられない。『折々のうた』は目を通しているはずなのに、三分の一ほどは知らない歌人なのだった。いかにうたはわれわれの目を通過して、ほとんどは残らないということなのか。いや、単にこっちの頭脳がざるで、ぼろぼろもれてしまうということなのか・・・。
知らなかった歌人のなかで、いまのわたしの気分にぴたりと合った人。
老醜はありて老美は辞書になしあはれなるかなや
この一首遺さば死ぬも悔なしと思ふ歌などわれは望まず
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コメント
ふたつ目のうた、いいですねぇ。
このうたと選んだかわうそ亭さんに激しく共感・笑
共感と言えば「勝手に書影をつかうこと」のエントリーにも強く共感しているのです。著作権、というものに対する過剰なやり取りについて常日頃、考えていることがあって、これを期に近々思いをまとめてエントリーしなくちゃと思っています。
投稿: たまき | 2004/11/13 23:42
たまきさん どうもありがとう。
こういう平かな考え方が最近はいいなと思うんですよね。おれが、おれが、おれの独自の表現が、おれの先取権が、みたいなことばかり聞くのはもううんざりする。
それはそうと、たまきは「環」さんでしたよね。この大岡信さんの「昭和短歌『折々のうた』百首選」のなかに「環」がありましたよ。こんな歌。ご存知でしたか?
わがこころ環の如くめぐりては君をおもひし初めに帰る
川田順
恋歌ですが、きれいですね。古代の女性が手に巻いた腕輪のように円環だから始めも終わりもなく、繰り返し繰り返し、わたしの心はあなたを恋いそめたそもそもの初めに帰るのです、ト。
川田順は「老いらくの恋」を世に広めた方であります。(笑)
投稿: かわうそ亭 | 2004/11/14 19:52
かわうそ亭さん、ありがとうございます。
僕は学校で習った俳句短歌のレベルしか知りません。
鈴木真砂女さんの詩で何点か素敵なものがあったことは覚えていますが、もうその詩さえ思い出せません。
でも、川田順という方の生き方は参考にしたいな、と・笑
投稿: たまき | 2004/11/16 22:23