« 国語力の低下をよろこぶ | トップページ | 女歌とヨンさま »

2004/11/25

弾丸込めて撃ち倒せ

 見渡せば、寄せてくる、敵の大軍面白や。
 スハヤ戦闘始まるぞ、イデヤ人々攻め崩せ。
 弾丸込めて撃ち倒せ、敵の大軍撃ち崩せ。

            戦闘歌  鳥居忱作歌

日清戦争から日露戦争にかけてつくられた軍歌のなかに、こういうのがある。歌詞をつけた鳥居忱というのは当時の東京音楽学校の教授。
それがどうしたの、てなもんだが、このメロディが「むすんでひらいて」だと聞くと少々興味が出てくるではないか。メロディをつけて歌ってみてください。たぶん最後の「弾丸込めて撃ち倒せ、敵の大軍撃ち崩せ」は出だしの旋律のリフレインでしょう。
「むすんでひらいて」のメロディの原型は『社会契約論』のルソーの作曲だが、いろんな国でいろんな歌詞をつけて歌われたらしい。日本に入ってきたのはアメリカ経由、そのときにつけられた歌詞はこんなものだった。

 見わたせば、あをやなぎ。花桜。
 こきまぜて。みやこには。
 みちもせに。春の錦をぞ。
 さほひめの。おりなして。
 ふるあめに。そめにける。

それにしても、弾丸込めて撃ち倒せ、ですか。誰に歌わせたのかしら。幼稚園児?う~ん。

以上のネタは今日読んだ『「むすんでひらいて」とジャン・ジャック・ルソー』西川久子(かもがわ出版/2004)から。

|

« 国語力の低下をよろこぶ | トップページ | 女歌とヨンさま »

c)本の頁から」カテゴリの記事

コメント

『「むすんでひらいて」とジャン・ジャック・ルソー』、という本が出ているのですね、知りませんでした。
(正確にはルソーのメロディにもとづく曲が日本に移入されたのは、『小学校唱歌初編』の『第十三 見わたせば』が最初ではなく、賛美歌としてです。)

西川さんの本は、海老沢敏『むすんでひらいて考―ルソーの夢』(1986.10)を読みやすくした本ではないかと思うのですが、同氏の近著『瀧廉太郎』にも、この歌の日本での受容について、音楽家瀧の形成史と平行してとり上げられています。(61p~、85p~、107p~。なお同書中、111p最終行の「第三章」は、「第二章」の誤植であろう。)
そして、おもしろいエピソードが紹介されています。

“日清戦争勃発の明治27年9月中旬、明治天皇は東京を発ち、広島の第五師団を大本営に定めてた。「陸海軍軍楽隊が交互に御座所に間近い中庭で軍楽や軍歌を演奏し、天皇はそれに聞き入ったとされる。
堀内敬三はその著『定本・日本の軍歌』の中で次のように書いている。「海軍側でも種々の軍歌を奉唱したが田中穂積学長の率いる呉海兵団軍楽隊編曲の『戦闘歌』を十月十一日夜奉唱したときには『作歌はなんびとの手で行われたか』『この歌はいつから軍楽に用いたか』との御下問を蒙った」。
その軍歌『戦闘歌』の作詞を作歌したのは鳥居忱で、彼は当時、高等師範学校附属音楽学校教授の職にあった、(中略)この年から溯ること15年前に「見渡せばあを柳/花ざくらこきまぜて/都にハ路もせに/春の錦をぞ」と詠んだのは、この鳥居忱の同僚の柴田清煕であったが、この『戦闘歌』のメロディーは、ほかならぬその『見渡せば』と同一、すなわちあの『むすんでひらいて』なのであった。”
(『瀧廉太郎』85/86p)

投稿: かぐら川 | 2004/12/05 01:15

かぐら川さん、どうも。くわしい解説ありがとうございました。
この本、たしかに著者の西川さんも海老沢敏氏の研究に教えられたと断っておられます。そうかあくまでホンモノの軍楽で、別に子供向けの軍歌というわけではなかったのですね。

投稿: かわうそ亭 | 2004/12/05 21:09

 この「戦闘歌」「見わたせば」も含め、原曲の歌劇「村の占い師」中の器楽部分から民謡、賛美歌などその姿態を変えていくルソーのメロディを追ったCD――《むすんでひらいての謎》(キングレコード/2003.03)――が出ていました。歴史に埋もれたルソー断片の変遷を掘り起こした海老沢さんの労苦が、私たちの耳で確認できる形で、しかもすばらしい演奏の数々で聞くことができます。
 それにしても音楽家ルソーの至福感あふれる音楽表現にはあらためて感動しました。決して、音楽家としての才能には恵まれていたとはいえないルソーですが、贋物ではない音楽がたしかにあり、それが細々とではあれクラシック音楽の世界とは別のところで生きながらえてきているといえるのではないかと思います。
 ルソー生誕300年には、純朴といっていい歌曲などルソーの音楽が多く演奏されてささやかな幸福感に満たされるのではないかと思います。あと5年、そこまでは生きていたいものだと、大げさではなくほんとに、思っています。

投稿: かぐら川 | 2007/10/08 10:00

ルソー生誕300年ですか。
1712年に生まれ1778年に亡くなった。
ちょっと興味が出たので、ルソーが『社会契約論』を著したのが50歳頃の1762年だとして、その時点で、江戸時代の著名人がいくつであったか表をつくってみました。
ただし年齢は、厳密なものではありませんので、だいたい何歳ぐらいじゃなかったかなあ、という目安程度のものに過ぎませんけれど。
 
 与謝蕪村  46歳くらい
 田沼意次  43歳くらい
 本居宣長  32歳くらい
 上田秋成  28歳くらい
 鶴屋南北   7歳くらい
 良寛     4歳くらい

投稿: かわうそ亭 | 2007/10/08 21:33

この記事へのコメントは終了しました。

« 国語力の低下をよろこぶ | トップページ | 女歌とヨンさま »