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2004/11/02

読む短歌、詠む短歌

 短歌を読むのはわりと好きで、歌人の名前も比較的知っているほうだと思う。もちろん、ごく普通の勤め人としては、という意味だが。
 ただ、それぞれの歌人がどの結社にいるか、ということや、その結社がどういう成立の仕方をしてきたかということはこれまであまり意識してなかった。かならずしも興味がなかったわけではない。
 ということで、いま上田三四二の『戦後短歌史』を読んでいるのだが、いろんな糸が繋がってそれぞれの出所がつぎつぎにわかってくるような面白さがある。
 たとえば、それぞれ「アララギ」に出自をもち、土屋文明の選歌欄に鍛えられた近藤芳美と高安国世が、戦後の新人として頭角を現わしてゆくあたりの経緯について本書ではこんな記述がある。

ここに言う有力な新人とは、近藤芳美を尖端として、その両翼に並ぶ小暮政次と高安国世である。もっとも「アララギ」内部の形としては、明治四十一年(一九○八)生れの小暮政次が巧緻な作風をもって先ずあらわれ、そのあとに、ともに大正二年生れの近藤と高安が、雁行しながら続くというのが一般的な図式であったといっていい。そして近藤芳美を戦後派の中軸として捉えれば、小暮政次は、戦後派と呼ぶには、少しく市井的な感情の襞において老成しすぎているところがあるかもしれない。また高安国世は、その戦後の出発において近藤と乳兄弟同様の相似を示しながら、近藤の人生派的立場に対して、のち次第に芸術派的態度を明らかにしてゆくだろう。(p.120)

 またこの個所からすこしのちに、こんな一節もある。

高安国世の戦後は、彼の歌の出発である戦前昭和十年ごろから引続き、土屋文明への信従によって貫かれていた。そこのことはまた、同門かつ同年で、教養の道筋も似ている近藤芳美との協調と親和の必然性をも意味していた。近藤芳美の初心の歌集『早春歌』に対して、高安国世のそれが『Vorfrühling』であるのも、偶然とは思えないほどだ。そして、のちこの二人によって創られる歌誌「未来」と「塔」が、傘下の若手たちの手で兄弟誌の交りをつづけるようになるところにも、互いの信頼の深さのほどがうかがわれるのである。(p.124)

 別に具体的にそれと思い当たるような知り合いが「未来」にも「塔」にもいるわけではないのだが、なんとなくいまの 歌壇におけるこのふたつの有力な結社の雰囲気がわかるような気がする。「玲瓏」や「山繭」という最近、にわかに親近の情を抱いている短歌結社にしても、この上田三四二の本で塚本邦雄や前登志夫が新人として登場してくるあたりを読み、また岡井隆との関係などを知るとますます近しいものに感じられるのが不思議だ。
 短歌は詠むのは無理だが読むのは好きなのである。
 そういえば、先ごろ、50周年を迎えた「塔」のいまの代表である永田和宏さんが、河野裕子、佐佐木幸綱(「心の花」は創刊百年!)との鼎談でこんなことを言われたらしい。
 『塔』の本文は読んでいないので、その内容を伝えた毎日新聞の学芸欄を引く。

そこで永田氏は、歌誌・結社こそが、歌の読み方を鍛え、いい歌を見つけ、そのいい歌を読者に伝え、残していくための装置になり得ると考える。「歌を読んで、いい歌をいいものとして残す。歌は読むのがすごく大事だということですね」と語っている。「詠む」ことはもちろん大切だが、「読み」はまたそれ以上に重要だ。それは短歌だけではなく俳句にも共通する。言葉が短く意味ばかりではなく、韻律やイメージの効果の大きい短歌・俳句について、いい作品を選び出すことの難しさと大切さがもっと認識されてもいい。
9月14日 東京夕刊

 そういうこと。

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