井沢元彦の『逆説の日本史2古代怨霊編』(小学館文庫/1998)を読みながら、いま話題の女帝のことを考えた。(このシリーズに対する感想は今回は書かない。あくまで、覚えの範囲として)
国民の素朴な気持ちとしては、いまの天皇ご一家の血筋が続いていれば、それが男系だろうと女系だろうとかまわないというのがおそらく一般的な意見ではないかと思う。ヨーロッパの君主国のように性別に関わらず長子優先の王位継続というのでいいのではないか、ということだ。ただ、これについてはもちろん慎重論も多い。
「ALL ABOUT JAPAN」(ここ)によれば問題は大きくふたつあるようだ。
ひとつは具体的に言えば敬宮愛子内親王が皇位継承者となられた場合、内親王ご自身が皇族以外の男性をその配偶者に選ばれる可能性が大きいわけで、その「皇配」を皇族とすることができるかどうかだ。
ここで日本史上の女性天皇をあげてみる。全部で8人おられる。
( )は第何代であるかを示す。
(33) 推古 (6世紀末から7世紀)
(35) 皇極 (7世紀中盤)
(37) 斉明 (皇極重祚)
(41) 持統 (7世紀末)
(43) 元明 (8世紀初)
(44) 元正 (8世紀初)
(45) 孝謙 (8世紀中盤)
(46) 称徳 (孝謙重祚)
(109) 明正 (17世紀中盤)
(117) 後櫻町 (18世紀後半)
まず109代の明正、117代の後櫻町は独身で生涯を送られた方であるので皇配の問題は存在しない。45代・46代の孝謙(稱徳)も独身を通した方であるが、この天皇についてはあとでもう一度ふれる。推古、皇極(斉明)、持統はもともと皇后であった方だからその配偶者は当然天皇である。元明の配偶者は皇太子草壁皇子(持統と天武の子)だから当然皇族。44代元正は43代元明の娘だが別に女系相続というわけではない。元明の孫、元正にとっては甥にあたる聖武天皇に皇位を継がせるための天皇であるため、独身を強制された方である。ここらはややこしいので系図を参照。
つまり問題は、もし皇室典範を改正し愛子内親王を東宮とした場合には、日本史上ではじめて皇族以外の皇配が登場する可能性が非常に高いということになり、これは同時に万世一系を建前とした天皇家のなかではじめて皇族以外の人間を父親とする天皇が即位する可能性を意味する。だれが口を切るにせよ、なかなか言い出しにくいことだろう。
第二の問題は、もし愛子内親王が皇族のまま結婚できるように皇室典範を改正するならば、皇族の女子が結婚した場合は皇族の身分を離れるという皇室典範第12条の規定をあらためる必要があり、もしこれを認めるならば、将来的に皇族たる宮家がやたらたくさんできる可能性があるということだ。それをすべて国民負担としていけば、国民の皇室に対する見方も大きく変わる可能性があるだろう。
ただ、世論的な流れはおそらく皇室をヨーロッパの王室のようなかたちにということだろうし、わたし自身もそれでいいのかなと思っている。
最後になったが井沢元彦を読みながら思ったことは、45代・46代の孝謙(称徳)天皇のことだ。これはじつは『逆説の日本史3 古代言霊編』にかかることなのだが、この女帝は、歴史好きなら誰でも知っている例の弓削道鏡に天皇の位を譲ろうとしたとされる人物なのである。
女帝論議における慎重論には、暗黙にこの孝謙(称徳)と道鏡の関係についての連想があるように思う。ただしこれには、だれもいささか口ごもらざるをえないだろう。事実がどうであったかどうかは別として、わたしもべらべらしゃべりたいとは思わない。
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