塚本邦雄はかく語りき
『獨断の榮耀—聖書見ザルハ遺恨ノ事 』塚本邦雄(葉文館出版/2000)は、実質的には安森敏隆さんとの対談から成っているのだけれど、どういうわけか著者としては塚本邦雄の名前しか上がってない。まあ、あの毒舌と連帯責任ではかなわん、ということで遠慮されたのかもしれない。(笑)安森さんは、本書刊行時は同志社女子大学の宗教部長だったようだ。
以下、塚本の毒舌のいくつかを紹介しよう。
笑える。
其の一、堀口大学。
翻訳というのも、まあもちろん外国語の能力はあるんだろうけれど、日本語が下手っていう人、いますね、そして植物音痴も。例えば、堀口大学さんの『カルメン』読んでみてください。セビーリャの衛兵詰所のドン・ホセのところへ、カルメンが「アカシアの花を一輪投げた」というくだりがあるんですが、アカシアの花をどうやって一輪投げるんですか。あれは総状花序ですよ、房になっているんです。一枝なら投げられるけど、一輪では無理です。(p.52)
其の二、教育勅語。
一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ
以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ
というところ。あれ、「一旦緩急アラバ」です。でも原文は「アレバ」になってます。大間違いです。(p.62)
其の三、養命酒。
養命酒の広告にも、ちゃんと「反鼻(はみ)」と出ています。蝮のことを「反鼻」というんですが、あれ、蝮を使ってるんです。(p.138)
其の四、佐藤佐太郎。
塚本 僕、佐藤佐太郎の一首を批判的にいってますでしょ。
キリストの生きをりし世を思はしめ無花果の葉に蠅が群れゐる
蠅は「ゐる」で、キリストは「をる」のかと。蠅よりも、キリストの方が下になってるじゃないかと以前に書いたことがあります。
(中略)
安森 「をり」と「ゐる」の用法の問題ですね。「をる」は、自分の動作についての謙遜や卑下に用いられ、他人については卑しめ、罵る語として多くは用いられています。
塚本 そうです。例えば、謙(へりくだ)る場合、「わたしはここに、をります」っていいます。「います」とはいわないでしょ、人に。だから、はじめに出てくる「をる」の方が、見下げたいい方をしてる。そんなことのわからない佐藤佐太郎じゃないと思うけどね(笑)。よっぽどキリスト教が嫌いだったのかも知れないですね(笑)。(p.58)
| 固定リンク
「c)本の頁から」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
はじめまして! やいっちと申します。
「千夜 一夜 無花果 」というキーワードでネット検索して貴サイトを見つけました。引用や参照には至りませんでしたが、読み応えのある記事が並んでいるので、お気に入りに加えさせていただきました。
子規の涙の話、樋口一様の話など、いずれも興味深かったです。
コメントを挟めるような素養はないので、読み逃げになるかと思いますが、折々覗かせてもらいますね。
投稿: やいっち | 2005/10/09 10:24
やいっちさん こんばんわ。はじめまして、と言いかけて、サイトを訪問させていただきましたら、わたしも何度かおじゃましたことがありました。季語随筆は何編か読ませていただいております。
いたって気楽なブログですのでこれをご縁にどうぞよろしくお願い致します。
投稿: かわうそ亭 | 2005/10/09 22:41