記憶はいまつくられる
池内紀さんの『架空旅行記』(鹿島出版会/1995)は図版がたくさんのっていて楽しい本だった。このなかにカール・シュピッツヴェークという画家のことが出ている。ミュンヘンの薬剤師だったが、父の遺産を相続するやいなや画家になった。認められたのはようやく六十歳ちかくになってからだったという。
その作品のひとつ「ローゼンタールの郵便配達夫」 (1858)を見て、あれ、この構図はどこかで見た覚えがあるぞと思った。しばらくして、ノーマン・ロックウェルだと思いいたった。
たしか戦地からの手紙を届けにきた郵便配達を、アパート中の人が窓から顔を出して迎える絵だったな、そうか、あの絵にはこういう下敷きがあったのかと、そのときは得心がいったような気がしたのだ。
ところがだ、家に帰って、念のためにノーマン・ロックウェルの画集を引っ張りだしてみたら、記憶の中の絵がどこにもない。ただし候補はふたつあって、ひとつは写真の「とんだ交通渋滞」(1949)という称する絵である。もうひとつは「帰ってきたG.I」(1945)という絵で、これは戦地から帰ってきた若者を家中の人が飛び出すように迎えるという絵柄。
どうやら、このふたつを合成して、カール・シュピッツヴェークの絵を見た瞬間に「記憶」をつくりあげてしまったらしい。
自分は憶えている、嘘ではない、ぜったいにこうだったと、いろいろな歴史の証言はあるが、記憶はまた現在によってたえずつくりかえられている、ということも事実だろう。
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コメント
ピアジェが同じようなことを書いています.彼が子供の頃お守り役の女中と公園に遊びに行っていたときのこと、人さらいにさらわれそうになってそれをその女中が勇敢に守ってくれ、その光景をまざまざと記憶していたのが、後年その女中が年老い信心深くなり、昔おぼっちゃまがさらわれそうになりそれを守ったというのは全くの作り話で褒められたい一心からのことだと告白に来たと言うのです.
投稿: B | 2005/01/26 10:57
どうもありがとうございます。
人間の記憶というのはほんとうに不思議ですね。この場合もピアジェは、まざまざと記憶していたというのですから、そんなことがあったと人に話していてもそれは「ウソ」をついていた事にはならない。しかし、女中の告白が事実なら(たぶんそうでしょうが)結果的にかれはウソをついていたことになりますね。
投稿: かわうそ亭 | 2005/01/26 21:44
全く同感です。
きっと自分も良い方に良い方に昔の記憶を作り替えてるんだろうな。
僕以上にプロ野球界の年寄りたちは自分の昔の「記憶」を良い方に良い方に作り変えて「今の奴は(記憶の中の)昔の自分に比べてなっとらん」と「現実」を悪い方に悪い方に作り変えてますね。
いや、野球は見ないからどうでも良いんだけど自分が同じような事やらないように自戒しつつ研究・笑
投稿: たまき | 2005/01/27 10:14
やってます、やってます。いまの奴はなっとらん、ての。(笑)
投稿: かわうそ亭 | 2005/01/27 22:23