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2005/01/22

カンブリア紀の怪物くん

炭坑と石灰鉱山がふたつながらにある田舎町に生まれ育った。
化石がたくさん出る地帯である。太古の羊歯類や海洋生物の化石などはありふれたものなので、学校の理科室にごろごろしていた。指で触れると、そこに何十億年という時間がつまっているようで不思議な気がした。
だからスティーヴン・J・グールドの『ワンダフル・ライフ - バージェス頁岩と生物進化の物語』(早川書房/1993)が日本語版で出たときはうれしかった。

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あの本に登場したハルゲニアやアノマロカリスには胸がおどった。なかでもお気に入りはオパビニアという動物だ。なにせ、こいつには眼が五つもあるのである。
グールドによれば、生命の進化はカンブリア紀に「爆発」した。この時代に生命はもっとも多様化し、(そしてここがグールド説の肝心なところだが)どの種が進化の主流として生き残るかはまったくの偶然によるものだった。だから、もしもういちど進化のテープを巻き戻し、プレイボタンを押したら進化はまったく別の分岐を繰り返し、おそらく生物はいまとはまったく異なる姿になったことだろうというのだな。動物の眼が五つあるような世界になっていても別におかしくはなかったということか。
ところが昨日読み終えた『カンブリア紀の怪物たち - 進化はなぜ大爆発したか』サイモン・コンウェイ・モリス(講談社現代新書/1997)では、このグールドの説がふたつのことで真っ向から否定されている。
ひとつはバージェス頁岩の生物群が、かならずしも分類された既知の生物の系統とまったく異なるものではないと考えられるようになったこと。
もうひとつは、進化によってしだいにきまっていく生物のデザインというのは、かならずしも予測不能のものではなく、無限の選択肢があるわけでもないということだ。これを収斂進化と呼ぶらしい。有袋類と哺乳類でまったく異なる種の系統から進化しながら、剣歯ネコとサーベルタイガーはほとんど同じ形、同じ機能の犬歯を発達させているのがその好例だ。
なるほど、そういうものかと思いながら、それでも、五つ目の生物が進化した地球を想像するのは楽しい。人間も五つ目だったら、どんなスポーツをしているかしら。

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