『英語クリーシェ辞典』ベティ・カークパトリック/柴田元彦監訳(研究社出版/2000)というたのしい本がある。挿絵が「きたむらさとし」さんで、これがめちゃくちゃたのしいんだなぁ。この人の絵は、線がベン・シャーンを思わせる。
さてクリーシェ(cliche)というのは、もんきりがた表現という意味だ。著者のベティ・カークパトリックの定義を引く。
クリーシェとは、軽蔑的な用語であり、当初の新鮮さを、さらにはその有効性を失った、にもかかわらず広く使われ、時には愛されてもいる表現をさす。
時には愛されてもいる、というあたりがおかしいね。
つまり、アレだ、俳句でいうと手垢にまみれているという表現であります。本人が粋なつもりであればあるほど、周りの失笑を買うという困ったやつ。
だから、こういうもんきりがた表現は本来はすごくカッコ悪いはずなんですが、そのカッコ悪さを踏まえてわざと反対の意味でつかったりすることもあるからややこしい。
たとえば、とてもすてきなものという意味の「a bowl of cherries」 の例文として本書があげているのは・・・
I'm late for work, the car won't start, I've got oil on my shirt. Isn't life just a bowl of cherries?
(仕事には遅れる、エンジンはかからない、シャツにはオイル。ねえ、人生ってステキじゃない?)
Life is just a bowl of cherries. というのはミュージカルの歌詞にもありますが、こういうのは一度ためしてみたいセリフではありますな。
話は急にかわるのだが、井沢元彦さんの『逆説の日本史9 鉄砲伝来と倭冦の謎』(小学館/2001)を読んでいたら、ユダヤ人のことを説明した箇所があって、べつにその事自体はいいのだけれど、いかにユダヤ人が現代のアメリカに食い込んでいるかの証拠としてこんな例をあげている。
たとえば一九九六年に制作された映画『インデペンス・デイ』(ローランド・エメリッヒ監督)の一シーンに、こういうのがある。エイリアンの侵攻により地球の最期がせまる。主人公の父親(ユダヤ教徒)は、子供たちを集めて神にお祈りをする。そこへ軍のスタッフの一人がやってくる。父親は「君も入らないか」というが、スタッフは「いや、私はユダヤ教徒じゃないから」と断る。するとその父親は何と答えたか。「人間、誰にも欠点はあるさ(Nobody is perfect)」と言ったのである。
つまり、こんな台詞をつくれるところがユダヤがアメリカで力を持っている証拠だと、力んでおられる。おもわず苦笑してしまった。先生、そりゃちがうよ。いや、まあ全然ちがうというんでもないのだが、このセリフはごく普通の映画好きならたぶん誰でも知っていますよね。
ビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」のラストシーン。たぶん、アメリカ映画史上でもっとも有名な決め台詞の一つ。
ギャングから逃げるために女装したジャック・レモンに懸想したのが大金持ちのジョー・E・ブラウン。結婚を迫るが、ジャック・レモンは「タバコ吸うわよ」だの「浮気するから」なんて言って逃げようとする。ブラウンは「かまわん」「ゆるす」と意に介さない。たまりかねたレモンがかつらをとって叫ぶ。
I'm a man!
ブラウン、あわてず、
Nobody's perfect.
で幕を閉じるというおしゃれな演出でしたね。
だから、インデペンデンス・デイのシーンはそもそもが軽いくすぐりだし、深読みするとしてもせいぜい、ほらねおれたちユダヤ人ってやっぱりヘンだろという自分たちにむけた諧謔で、まあそれくらい余裕がある、というだけのことですな。こんなどうってことないシーンを鬼の首取ったように言い立てたりしちゃダメですよ。
ということでクリーシェやみんなが知ってる決め台詞って奴は知らないでやたら力んで使うと、やっぱりかなりはずかしい。(笑)
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