エルギンの論理
『略奪』アーロン・エルキンズ/笹野洋子訳(講談社文庫/2001)は、美術探偵ベン・リヴィア登場の第一作。もっともご承知のように、エルキンズにはシアトル美術館の学芸員クリス・ノーグレンものという美術探偵シリーズがあるので、まあ二番煎じの感は否めない。
ただし、本書、ミステリの出来不出来より途中の蘊蓄が面白いのはいつもどうり。
ナチによって略奪された大量の美術品の一部が終戦の混乱のなかでソ連の手に渡ったことが本作の事件の発端である。
主人公のリヴィアが当時の情報をもとめてサンクトペテルブルクの美術館員のところへ行くと、大祖国戦争のときにドイツから押収した美術品を保有しているのは合法的な措置であり、ドイツによる残虐行為に対する賠償としてロシアはこれを保有する権利があるんだなんて言う。リヴィアはこの分野の専門家なのでこの見解には驚かない。かれの独白。
これはたしかに現政権の方針なのだ。軍隊がソ連に持ちかえったすべての美術品を国有化する法案が、一九九七年に議会を通過している。世界中から非難されるのをおそれたエリツィンが、法案に拒否権を行使したが、他国の意見をそれほど気にしない議会は、すぐさまエリツィンの拒否権を覆して法案を通過させた。ふむふむ、つい最近のことではないか。
そしてこのロシアの美術館員はあの混乱のなかでロシアが美術品を押収したことは、美術品を戦争の破壊行為から守ったことになると考えられはしないか、とリヴィアに問うのですね。これはたしかにいいポイントをついている。同じくリヴィアの独白。
そうは考えない、とがっくりしながらわたしは思った。これはようするに、この業界でエルギンの論理といわれるものだ。もしこの絵(あるいはエッチング、彫刻版、彫像、タピストリー)を盗まなかったら(あるいはもち去らなかったら、没収しなかったら、横領しなかったら、押収しなかったら)、戦争(あるいは天候、不注意、無知、蛮行)によって、荒廃(あるいは破壊、紛失、破損、汚染)の憂き目を見たのではないだろうか、というわけだ。エルギン伯爵が、後世の人のためにトルコの破壊行為から守るのだという理屈をつけて、パルテノンの正面から六〇メートルのみごとな彫刻群をはぎ取りイギリスにもち帰って以来、この理屈は、二百年のあいだ悪党どもや世界に名だたる美術館に、さまざまな形で利用されてきた。
去年、大英博物館展に行ったとき、たまたま隣にいた年配の女性が「さすがにイギリス人はいろんなものを発見してきたのねぇ」とひどく感銘を受けておられるので、心の中でひそかに「いや発見したんじゃなくて盗んで来たのですよ」と言ったことを思い出す。やれやれ。
まあ、それはそれとしてこの有名な(といってもわたしは今回はじめて知ったのですけれど)エルギン・マーブル(大理石)蒐集を大英博物館に売却したエルギン伯爵トマス卿というのは19世紀初頭のやり手のイギリス外交官(パルテノンの彫刻を剥ぎ取ったときは駐トルコ英国大使。当時ギリシャはオスマントルコの支配下にあった)なのですが、しらべてみたら彼の息子は日本とも関わりがあることがわかりました。アロー号事件のときの中国特派使節で、幕末の日英通商条約を結んだ時のイギリス全権公使、サー・エルギン・ジェームスがその息子でありました。
まあ、日本の場合は削って持って帰れるような美術品がなくてよかった。父を見習って、ごっそり持っていかれるところでありました。(笑)
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