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2005/02/23

美術館の一日

京都の国立博物館で西住寺蔵の宝誌和尚立像を拝した。
お顔がちょうど鼻梁のところからふたつに割れてその下からもうひとつのお顔がのぞきはじめた瞬間といった不思議な像である。housi


博物館が美しい写真を公開してくれている。(リンク先がなくなったようなので、写真を貼っておく)
ちなみに日本語解説では平安時代だが英語版では Kamakura Periodとなっている。平安後期から鎌倉初期にかけての制作ということかもしれない。
仏像はあくまで拝むものだから、これを礼拝のためにつくらせた願主があり、これを祈りの対象に彫った仏師があるわけだが、考えれば考えるほど、こういう造形をどこから得たのか不思議な気持ちがする。たとえば蝉が幼虫から成虫に脱皮する自然の姿などがモチーフの源にはあるのだろうか。
しかし、わたしが実際にこの仏像を見て感じたのは、これは脱皮ではないな、というものだった。なぜなら、真ん中から縦に割けているお顔が空蝉のようなただの抜け殻には全然見えないからだ。むしろこの人物の内面が文字通り顔をのぞかせているのであり、それが見える人にだけ見えるのだというような、まさに幻視というものの具体化のように思えるのだった。正直なところ俗人にはかなり不気味なものだが信仰とはもともと常識を超えるところにあるものなのだろう。
京都国立博物館の新春特集陳列「仏像と写真」は3月27日まで。伊藤若冲の特集陳列も同時にやっている。

お天気がよかったので、そのまま北にむかって歩き、京都市美術館でやっていた「フィレンツェ—芸術都市の誕生展」も見てくる。ボッティチェッリ、フラ・アンジェリコ、ミケランジェロ、ジョットなどを目の当たりするとさすがに圧倒される。しかし、そんな展覧会でも、結局一番熱心に見ていたのは、羊皮紙の中世の写本だったりするのは我ながらおかしい。

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コメント

「フィレンツェ 芸術都市の誕生展」予定していますが、伊藤若冲の特集陳列があるなら、国立博物館へも行きたいですね。2006年には「プライスコレクション」の里帰り展覧会が予定されているらしい若冲。ブームを知らずに、昨年は金刀比羅宮まで花丸図を観に出かけた勢いもまだ少し残ってもいますので・・うれしい情報をえることができました。
2月26日さざんかホール(大和高田市)で講談と室内楽で綴る「義経の七つ石」に中野振一郎氏が出演とあり、メモしていたのですが、27日には京都国立博物館で演奏されるそうですね。どちらの日も野暮用があり残念!!

投稿: ミラー | 2005/02/24 00:18

 自分の興味関心のあるところを見る事にこそ「鑑賞」の意味があると思うのでかわうそ亭さんの鑑賞姿勢には多いに共感。だから、なかなか他人と見に行くのは難しいのですよね。興味関心が違って当たり前だから。
 それにしても「宝誌和尚立像」つくづく不思議な像ですね。自分でやってみるとわかるのですが人の形に手を加えるのはなかなか勇気のいる事です。例えば目を3つにしてみるとか。でも、これは顔の中にまた顔。変わってはいるけれど見られなくはない「形」に仕上げているのがすごい。そして何より僕はここに時間を感じます。彫刻は一瞬を形にするしかないから顔が裂けた瞬間を形にするしかない。なのに裂けつつある、一瞬ではない幅のある時間が感じられるのです。
 作者と一晩、酒飲みたい・笑

投稿: たまき | 2005/02/24 01:18

ミラーさん
この時期は日一日とあたたかくなってきますので外出が楽しくなりますね。ぼくは伊藤若冲については恥ずかしながら、没後200年展さえ知らなかったような人間ですけれど、そうですか、また規模の大きな展覧会をやってもらいたいですね。いちどきにたくさん見てみたような気がします。

たまきさん
たまきさんはご自身も彫刻家だからさすがに目の付けどころが違いますね。そうか「時間」か。なるほど・・・

投稿: かわうそ亭 | 2005/02/24 22:52

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