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2005/02/25

豈をめぐって

『俳句空間 豈(あに)』(39-2特別号関西篇)という俳句同人誌をふらんそわ句会の仲間のご好意で恵贈いただき、いまゆっくり読んでいる。
関西の戦後俳句(とくに1960年前後の前衛俳句)に関する力のこもった編集で面白い。現在の『豈』の発行人は筑紫磐井、編集人は大井恒行である。ただし本号は関西の同人の編集による特別号である。
ところで、たまたま今日読んだ正木ゆう子の俳論集『起きて、立って、服を着ること』(深夜叢書社/1999)に摂津幸彦追悼と『豈』のことが出ていた。偶然ながら興味深い内容だったので、以下覚えとして。

摂津幸彦は昭和22年生まれの団塊世代だが他の同世代の俳人と大きく違っているのは、活動の拠点を結社ではなく同人誌においていたことである、と正木さんは紹介している。摂津を俳句に誘ったのは関西学院大学の同期であった伊丹啓子。彼女の父親は〈青玄〉の伊丹三樹彦である。たまたま〈青玄〉には坪内稔典が所属しており、坪内の方は立命館大学の学生俳句会を組織していた。関学にもひとつ学生俳句会をつくれよ、ということだったようだ。伊丹啓子が摂津に目をつけたのはかれが俳人摂津よしこの子息であることを聞いていたからであるらしい。

そうやって俳句を始めていた摂津幸彦らは、昭和四十四年学生運動のさ中、同人誌「日時計」を創刊する。集まったのは、摂津のほか坪内稔典、澤好摩、大本義幸、立岡正幸ら。「日時計」は十三号まで続き、昭和四十九年に「黄金海岸」と「天敵」とに分かれることになる。
坪内、摂津らは「黄金海岸」を四号出した後二つに分かれ、摂津は昭和五十五年に大井恒行らと「豈」を創刊、坪内は「現代俳句」を出したのち昭和六十年に「船団」を創刊して現在に至っている。
ちなみに現在の『豈』の発行人筑紫磐井さんは、その俳句総合誌にときどき出てくる風貌や毒のある(しかし美しい)作風からわたしはひそかに俳句界の澁澤龍彦と呼んで尊敬しているのであります。この人にはこんな句がある。
現在の俳壇に対してどんな意見をお持ちであるかは明白であろう。

おばさんが主宰を名告り笑わせり 
  (俳句年鑑2004年版自選5句)

そういや世襲家元制度の俳句結社もありますな。たしかに笑うしかなかろう。

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