中村稔と齋藤茂吉
大阪中央図書館蔵の斎藤茂吉『作歌四十年』の巻末、中村稔による解説部分がどこかの馬鹿によって切り取られている話をしたが、(ここ)、図書館はもう一冊持っているので司書の方に事情を説明して調べてもらった。もう一冊の方は幸いにも無事だった。せっかくだから失われた8ページのコピーをとってきた。
わたしの推理は、茂吉の戦中の目を覆いたくなるような歌について中村が解説でふれ、それを茂吉崇拝者が他の人の目にふれないように抹殺しようとしたのではないか、というものだ。まあそんなことをしてもあまり意味がないから、たんにその部分が必要で転記したりコピーするのが面倒で切り取って盗んだということかもしれない。いずれにしても、そいつは薄汚い不潔な人間であります。
しかし考え過ぎかもしれないが、もし犯人の意図が「抹殺」であるならば、ここでそれを「復活」させておくのも無意味ではないだろう。というわけで、中村稔の解説の中で、もしかしたら犯人がこれを消したかったのかもしれないなあという部分をここに転載して、できるだけ多くの人の目にふれるようにしたいと思う。ただしわたしは茂吉の多くの短歌を愛しているし、言うまでもなく(解説を引き受けているのだから)中村稔の解説もまっとうで公正なものであり、これによって茂吉の偉大さがいささかも損なわれるようなものではない。むしろ、薄汚い真似をした人間がその人物なりの「使命感」からそれをしたのであれば、そういう行為こそが茂吉を貶めるものであると断言できる。
おそらく問題なのはやはり戦中の歌集にふれた以下の箇所だろう。
『いきほひ』から、(あるいは『のぼり路』から)、『昭和十九年抄』に至る本書の斎藤茂吉はまことに無残である。これらの作品に接して私はほとんど語るべき言葉を知らない。念のためにことわっておくと、戦争協力とか賛美とかを非難するわけではない。表現のあまりの空虚さ、観照の乏しさをいうのである。(斎藤茂吉には、救いがたい愚昧さともいうべきものがあって、これは『小園』、『白き山』の時期にまで、あるいは彼の生涯をつうじてかわらない類のものであった。これがどんな性質の愚昧さであるか、又この愚昧さがいかに彼の偉大さと不可分に絡みあっていたか、を語るには、この解説は適当な場所ではあるまい)
もう一箇所、結語にいたる文章が見事だ。
しかも意識的な近代詩の作者としての斎藤茂吉を考えるとき、彼はあくまで、何をうたうかについては執拗に盲目であった。このことが、本書でいえば、『のぼり路』以降の無残で悲惨な作品群となってあらわれていた。と同時に、このことは、『霜』、『小園』から『白き山』へ深まりゆく孤独にその叙情を潜めることの妨げともならなかった、と私は思う。
私にとって、わが国の短歌、俳句をふくめた近代詩の歴史のなかで、斎藤茂吉ほどに偉大な詩人を他に知らない。しかも、この偉大さ(その意味は又、別に語らねばならないが、)と同時にあわせもっている悲惨さ、というものが、わが国の近代詩のもつ問題の象徴そのものとしか思われない。そして、そういう意味で又、本書こそが、私にとって詩とは何かの反省をしいる最良の書の一であると信じている。
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