東京大空襲から60年
昨日3月10日は1945年の東京大空襲から60年の日であった。
BBCのサイトもこれにふれていた。(ここ)
People in Tokyo have been marking the 60th anniversary of a massive US night-time bombing raid which destroyed much of the city in 1945.
Several memorial services have been held across the city to remember the more than 100,000 people who died.
The raid was part of an American strategy to try to wear down Japanese morale ahead of a possible invasion.
It has remained controversial because of the death toll, but a ceremony expressed little anger towards the US.
この作戦が老人や病人や子供などの非戦闘員を無差別に殺戮することを目的としていたことは明らかだが、戦争に勝った国は戦争犯罪で裁かれることはない。
以下の文章は、昨年の9月29日に旧サイトの掲示板に書き込んだものである。しつこいようだが、ここに再録しておきたい。日本人としてこれはきちんと知っておくべきことだと思うからだ。
(引用開始)
エロール・モリスの撮った「フォグ・オブ・ウォー」を観てきました。
ロバート・マクナマラというと、ハルバースタムの『ベスト・アンド・ブライテスト』できびしい批判を浴びた国防長官ですが、いまのラムズフェルドなんかに比べると、いかにも冷戦時代の重厚さがあった。
いろいろ思うことの多い映画ですが、ひとつだけ。
マクナマラが太平洋戦争従軍中に上官だったのがカーティス・ルメイで、この名前と映像がこの映画には何度も何度も登場します。よく覚えておくべき名前ですね。
このカーティス・ルメイ、のちにキューバ危機の時、戦略空軍最高司令官で、もっともキューバ爆撃にこだわったタカ派の将軍のひとりですが、日米戦のときは南方からのB29による爆撃の指揮官でした。映画のなかでは、マクナマラが1945年3月の東京大空襲にふれて、われわれは統計的な分析から低空からの焼夷弾の絨毯爆撃という戦法を考案し、たった一夜で10万人の市民を焼き殺したんだ、と率直に語っています。東京大空襲だけではない。日本中の主要な都市を焼き尽くし、原爆の投下もかれらの指揮であります。ルメイは、「おれたちゃ戦争犯罪人だぜ——もし負けてたらな」とマクナマラに言ったと証言しています。
日本人の一人としては、たとえ勝ってもお前らは間違いなく戦争犯罪人だと思いますが、それはいい。それはいいが、映画のなかではこのルメイがほかならぬ日本政府によって勲章を授けられたことは全然ふれられていませんでした。
19621964年12月、日本国内閣総理大臣佐藤栄作はルメイに勲一等旭日大綬章を授与しました。こういうのを売国奴というのではなかったか。中国や韓国から日本人の「歴史認識」云々を言われるたびに、うざいなぁ、と率直に思うが、しかし当っている気もしますね。
(引用終わり)
今日は加藤楸邨の『達谷往来』(花神社/1978)を読んでいた。
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ (『火の記憶』)
アメリカ軍の空襲によって燃え上がった家から、加藤楸邨は病気の弟を背負い、妻とかろうじて脱出した刹那、「庭が真昼のように明るくなって、その中に牡丹が一輪みごとにひらいていた」。
この句、牡丹という季語から俳句に親しんでいる方ならば、ああ夏だったんだなとわかるはずだが、たしかに被災したのは5月23日の夜のことである。この日もアメリカ空軍の大編隊が侵攻し無辜の人々を虐殺してまわったのである。10万人を一晩で殺した3月の大空襲以後も、連中は虫けらのように日本人の非戦闘員を殺しつづけたことがこれからもわかる。
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コメント
かわうそ亭さんはCurtis LeMayが勲一等旭日大綬章を授与されたのは1962年12月と述べておられますが、『日本の空襲 全10巻 復刻版』の取扱店のページ(http://www.sanseido.co.jp/publ/nihonno_kusyu.html)には「一九六四(昭和三九)年、日本政府は無差別爆撃の直接的な指揮者カーチス・ルメイ将軍(当時米空軍参謀総長)に対し、日本の航空自衛隊建設に貢献したとの理由で、勲一等旭日大綬章を贈った。翌六五年、政府は日韓条約を締結した。同年、アメリカは北ベトナム爆撃を開始し、佐藤内閣は“北爆”を支持した。日韓条約は韓国にたいする再侵略に途を開くもの、“北爆”は沖縄基地から行われているとして、日本の民主勢カは、まなじり上げて反対運動にたちあがった。 」と書いてあるのですが...
「1962年説」、「1964年説」どちらが正しい?
投稿: Kiyoshi | 2005/03/12 12:43
投稿した文の中のリンクにマウスのカーソルを合わせたら、アドレス以降の文が赤く表示されてしまってびっくり。
今度は大丈夫かな。
『日本の空襲 全10巻 復刻版』のページのアドレスは、
http://www.sanseido.co.jp/publ/nihonno_kusyu.html
投稿: Kiyoshi(追伸) | 2005/03/12 13:15
kiyoshiさん こんばんわ。
貴重なご指摘どうもありがとうございました。
1962年はわたしの誤りです。おっしゃるように1964年(昭和39年)の12月が正しいです。この件については、どうも公式の記録がなかなか見つかりません。じつは昨年この文章をアップした直後に国会図書館関西館で司書の方に検索してもらったこともあるのですが、見つけることができませんでした。官報も繰ってみたのですが、発見できませんでした。ただし、それほど熱心に調べたというわけでもないので見落としの可能性の方が高いでしょう。
ネットでは、こちらに記述があります。昭和47年の第71回国会社会労働委員会の議事録です。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/071/1200/07107031200016c.html
ネットの記録ですから消えてしまうかもしれないので、今日のエントリーとして再録しておきたいと思います。
投稿: かわうそ亭 | 2005/03/12 19:35
「戦争に勝った国は戦争犯罪で裁かれることはない」
そうなんですよね。
だからやったもん勝ち、勝ったもん勝ち。
歴史って本当にある一面だけだから気をつけないと、と思います。
投稿: たまき | 2005/03/12 22:18
たまきさん こんばんわ。
3月13日は大阪大空襲からやはり60年です。300機のB29がこの夜降らせた焼夷弾は1700トン。戦略拠点を叩くのではなく、幼い子供も暮らしているとわかっている民家の密集地帯を低空から狙う虐殺でした。
最近はなかったかも知れませんが、ほんの数年前まで毎年のように大阪の環状線は工事現場から出る不発弾の撤去作業で一時的にマヒしたもんです。
この世では連中は裁きを受けずむしろ栄誉を授けられました。わたしは連中は大量虐殺者という意味ではアイヒマンとなんら変わらないと思いますので、これをわたしに出来る範囲できちんと書いて残しておきたいと思います。誰かが忘れないことでかれらは裁かれ続けるでしょう。
投稿: かわうそ亭 | 2005/03/12 23:21