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2005/03/12

鬼畜ルメイの叙勲について

昨日のエントリーで、ルメイの叙勲が1962年12月としたが、これは1964年12月の間違いでした。
この件については、公式の記録(官報など)のコピーを取っておこうと思っているのですが、(あまり熱心に調べてもいないけれど)まだ発見できていません。
国会の議事録にはこの件の質疑が残っているようですが(ここ)、読むには長くてどこにルメイの叙勲の質問があるかわかりにくいので、該当箇所をここに再録しておこうと思います。

第071回国会 社会労働委員会 第16号
昭和四十八年七月三日(火曜日)
   午前十一時十五分開会
(中略)
  出席者は左のとおり。
    委員長         大橋 和孝君
    理 事
                玉置 和郎君
                丸茂 重貞君
                須原 昭二君
                小平 芳平君
    委 員
                石本  茂君
                上原 正吉君
                川野辺 静君
                君  健男君
                斎藤 十朗君
                高橋文五郎君
                寺下 岩蔵君
                橋本 繁蔵君
                山下 春江君
                田中寿美子君
                藤原 道子君
                矢山 有作君
                中沢伊登子君
                小笠原貞子君
       発  議  者  須原 昭二君
   国務大臣
       厚 生 大 臣  齋藤 邦吉君
   政府委員
       総理府統計局長  加藤 泰守君
       厚生省公衆衛生
       局長       加倉井駿一君
       厚生省援護局長  高木  玄君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        中原 武夫君
   説明員
       外務省アメリカ
       局外務参事官   角谷  清君
       文化庁文化部長  鹿海 信也君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○職傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す
 る法律案(内閣提出、衆議院送付)
○戦時災害援護法案(須原昭二君発議)

(中略)

○須原昭二君 カーチス・ルメイという人は有名な人ですよ。アメリカの空軍大将です。日本にとっては重大なかかわりのある人です。大臣が御存じないから私は御説明を申し上げなければならないはめに入りましたけれども、戦時中の日本人にとってはニミッツ、マッカーサーに並ぶ「鬼畜ルメイ」といわれた男です。当時は米空軍の第二十一爆撃隊司令官だった。この東京空襲の皆殺し戦略爆撃のみならず、全日本本土の爆撃はもちろん、広島、長崎に投下した原爆の直接的な責任者です。――わかりましたか。(笑声)
○国務大臣(齋藤邦吉君) わかりました。
○須原昭二君 このルメイ大将に日本政府は、前佐藤総理の時代ですね、これ。昭和三十九年十二月七日の日に勲一等旭日大綬章を授章さしたという、大綬章を与えた、授章の目的は何でした、授章の理由は何ですか。日本人たくさん殺したから。
○国務大臣(齋藤邦吉君) 私はその勲章のほうの所管でございませんので、存じておりません。
○須原昭二君 総理府、見えるだろう。
○政府委員(加藤泰守君) 私も統計局長でございますので、存じません。
○須原昭二君 ルメイ大将は戦後日本の航空自衛隊の育成に協力したというのがその授章の目的だと、授章の理由だと私は聞いています。太平洋戦争末期の日本の爆撃に大きな役割りを果たし、何百万人の人に被害を与えた人に、しかもあの地球上に二回しかない原爆の投下にも深い関係があった人に勲一等旭日大綬章を与えたということは国民的感情としてもいまなお私は納得ができません。このような政府だから人間としての節操と尊厳を忘れたことができるのですよ。生活に困ったら生活保護でお情けにすがりなさい。原爆被災者も、民間の戦災障害者も社会保障の体制でお粗末ですけれどもその中で取り扱えばいいと、こういうきわめて冷淡な、おそろしくけちなことで放任している無神経が私はここにうかがわれると思う、ルメイ大将の一件から見てもですね。このような矛盾を私たちは納得ができません。これは与えたのは総理大臣ですから、佐藤榮作さんですから、所管も総理府の所管でありますから、厚生大臣の所管ではないけれども、この一つの事実を見てもおかしいなと思われませんか、厚生大臣。
○国務大臣(齋藤邦吉君) その件について私は答弁する資料も持ち合わしておりませんし、資格もございませんが、私はやはり日本国民全体がしあわせになるように、ほんとうにいろいろな障害を受けておられる方々に対しましてもあたたかい援護の手を差し伸べてしあわせな生活を送っていただくようにということだけを念願して努力をいたしておるつもりでございます。
○須原昭二君 そのルメイ大将が勲一等旭日大綬章を受けたその昭和三十九年十二月の七日の午後には防衛庁を訪れて、当時の三輪事務次官にあいさつをしております。そして、昭和四十年の三月十日付の朝日新聞の「天声人語」にこう書いてこの問題に触れております。「歴史の変転と皮肉を思わずにはいられぬ」、こういっております。日にちがたてばたつほど世の中、変わっていくもんだ、皮肉なもんだということですよ。だから二十八年も民間の戦災犠牲者はほかっておかれておるのですよ。これまた皮肉と言わざるを得ません。厚生大臣は、きょうはぼつぼつ前向きのような御答弁がありますから、あまり攻撃はしたくはございませんけれども、この事実からきても早急にこの問題を解決しなくてはなりませんが、その点の御所見をもう一ぺんくどいようですが、お尋ねをしておきたいと思います。
(以下略)

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コメント

はじめまして。
以前からときどき拝見しておりました、陰陽師と申します。

この二日間のかわうそ亭さんのお書きになったものを拝読して、小学生のころ読んだ87分署シリーズの『10プラス1』という作品を思い出しました。

なにぶん昔読んだ記憶だけで書いているので、細かいところがちがっているかもしれませんが。

ドイツ系アメリカ人の参考人に事情聴取した、ユダヤ系の刑事マイヤー・マイヤーの態度がおかしい。そこで同僚のキャレラが聞くんです。そしたらマイヤー・マイヤーは、こう答える。あいつの親戚が、ユダヤ人の頭蓋骨をブルドーザーで轢いているところが浮かんでくるんだ、と。

確か、舞台は60年代ぐらいのはずなんです。
小学生だったわたしは、ひっくり返りそうになってしまった。
直接には関係のない、アメリカにいるドイツ人まで、そんなふうに見るなんて!
戦争が終わって二十年以上経っているのに!
たとえば、自分たちは原爆を落としたアメリカ人を、そんなふうに見たりしない。
それはなんでだろう。
このことの疑問は、長く心に残りました(だから未だに覚えているのですが)。

それから歳月が過ぎ、片岡義男の『日本語の外へ』(筑摩書房)という本を読んだんです。

そこには、日本語ということばの持つ、責任所在を曖昧化しやすい、因果関係を不問にしやすい性質が指摘してありました。

ほんとうにそうなのだろうか。
加害責任を曖昧にしやすい、ということは、よく言われますが、同時に、相手がこちらに加えた加害責任をも曖昧にしているのではないだろうか。こういうことの原因は、日本語ということばが構造的に抱えているのだろうか。

このこともまた、何年も、折に触れて考えていたんです。
それを、非常にまとまらない形で書いたのが
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/subject.html
です。

ルメイに叙勲したような歴史的事実を、風化させず、ひとつひとつ明らかにしていくことはすごく大切なことだと思います。
その一方で、風化させてしまう根拠が、わたしたちが現に使っている日本語の構造にあったとしたら。
自分たちが使っていることばに対して、もっと自覚的である必要があるのではないか。
わたしはそんなふうに考えています。
もしよろしければ、わたしのサイトにも遊びにいらっしゃってください。

投稿: 陰陽師 | 2005/03/13 08:31

陰陽師さま こんばんわ。
「「私」と「I」の狭間で」読ませていただきました。わたしは日本語で考えるしかないのですが、やはり日本語の構造の枠にとらわれているように思います。英語の本を読んだり、たまに片言で話すときは、いつもとは別の言語の回路をつかっているのか、そうでないのか自分でもよくわかりません。少なくとも英語で考えるというのとは違っているように思います。このあたりはバイリンガルではないので、道具として英語を操作しているような感覚ですね。
しかし、それでも多少は陰陽師さんのおっしゃっていることが分かるような気がします。

責任の所在が曖昧ということでは、ヒロシマの「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから。」を思い出したりします。この英訳の案は
Let all the souls here in peace ; For we shall not repeat the evil.
だそうですが、さすがに碑文には記載されていないそうですね。

  あやまちはくりかへします秋の暮  三橋敏雄

俳句にはどのような解もあっていいと思いますが、地獄のような殺戮を生きのびた人が死者に対して負い目を感じるのはなぜでしょうか。人間はあやまちをくりかえす。そういう存在であるからこそ、とりかえしのつかないことに対して、赦しを乞う必要があるのかなと思います。

へんな方向に考えが進んでしまいました。
ともあれ、丁寧なコメントをありがとうございました。
わたしもときどき陰陽師さんのHPやブログを訪問させていただきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

投稿: かわうそ亭 | 2005/03/13 21:08

この記事へのコメントは終了しました。

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