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2005/03/17

切り取られた8ページの謎

『作歌四十年』齋藤茂吉(筑摩叢書/1971)を読んでいる。
本書は茂吉が作歌をはじめた明治三十八年から昭和十九年まで、まる四十年になるのを記念して本にしようとしたものであったが、前半がなかなかまとまらず発行がおくれているうちに書肆に変動があったために発行のめどが立たなくなった。

然らば執筆も止めた方が好かろうと、おもったのであるが、本書は必ずしも世に公にする必要がないとせば、自らのおぼえのために書いておいても何かのたしになろうかとおもい、一気呵成に書いてしまった。そして参考書が座右にないため、事柄は書かぬことにして、簡単な感想を書くにとどめたのであった。私の歌集全部は大体次のごとくでである。
赤光(七六〇首)。あらたま(七五〇首)。つゆじも(六九五首)。遠遊(六二五首)。遍歴(八二八首)。ともしび(八九五首)。たかはら(四五〇首)。連山(七〇五首)。石泉(一〇一三首)。白桃(一〇一七首)。暁紅(九六九首)寒雲(一一一五首)。のぼり路(七三六首)。いきほひ(六二三首)。とどろき(一〇二九首)。くろがね(六二五首)。昭和十九年集。
「作歌四十年」はその一部を抄して、その大体を示したものである。それでも分厚なものになってしまった。そして原稿は、推敲を経ぬまま、数冊の製本となり、東京を離れることになるであろう。どうか無事であれ。昭和十九年七月二十九日箱根強羅。茂吉山人識。

このあとがきからもわかるように、「敵空襲必至」の情勢を茂吉は認識していた。本書の脱稿は、もし「あとがき」の日付だとすれば「昭和十九年八月五日夕、強羅山荘にて」となっていいるので、八日ほどで書き上げたことになるのだろうか。後半の草稿はすでに完成していたとしても、この集中力には恐れ入る。このとき茂吉は六十三歳である。

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本書は例によって大阪中央図書館から借りたものだが、誰か最後の8ページ(茂吉のあとがきの次のページから)をカッターで切り取った者がいる。目次で確かめると中村稔の解説に該当することがわかる。この解説部分は先日読んだ『私の詩歌逍遥』に収録されていたかどうか、いま記憶があいまいなのだが、下手人(まったく酷いことをする人間がいるもんだな)の動機は、盲目的な茂吉崇拝者で、批判的な解説をこの世から抹殺したかったのではないかなんて想像する。大阪中央図書館の図書検索によれば、この本は書庫に二冊収蔵されている。一冊はいまわたしが借りている瑕をつけられたものだが、もう一冊はどうだろう。今度、返却のときにたしかめてみよう。

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