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2005/04/01

梁塵秘抄と山椒大夫

『梁塵秘抄』西郷信綱(ちくま学芸文庫/2004)から。

我が子は十余に成りぬらん 巫(かうなぎ)してこそ歩くなれ
田子の浦に汐汲むと いかに海人(あまびと)集ふらん
まだしとて 問ひみ問はずみなぶるらん いとおしや
(三六四)

幼い歩き巫女にして別れた我が子、もう十余歳になったはず、まだ巫女としては幼稚で未熟だと汐汲みの海人たちが寄ってたかってなぶっているのではないか、かなしいいとおしい、といういうほどの意。
ここの「汐汲む」は原本「汐ふむ」となっているらしい。これに対して西郷のコメントがなかなか痛快。

それを古典体系本は「汐踏む」とし、田子の浦で「世間の艱難をなめ苦労していると聞くが」と我が子のことに解そうとしているけれど、そういういいかたは、どだい成りたつまい。日本語の表現をぶちこわしてまで原本に忠勤をはげむ義理はさらさらないわけで、梁塵秘抄のように誤写のかなり多い原本が一つきりしかない場合は、とくにそうだといえる。

が、これを紹介するのは、じつはここが眼目ではない。
あっと驚いたのは「汐汲み」という言葉に対する以下の考察である。
真煮法による製塩の仕事は、多大の人力を要する重労働であった。山椒大夫のもとで厨子王は柴刈り、安寿は汐汲みをやらされたが、どちらも塩作りのための労役に他ならない。

そうか、「山椒大夫」興産は塩作りも行う多角経営であったのか。そう言われてみると、たしかにあの姉弟がなんであの仕事をさせられていたのか腑に落ちる。
鴎外は「奉公初めは男が柴苅り、女が汐汲みときまっている。」と記しているが、なぜそうなのかは説明していない。むかしはそんなこと、説明するまでもなかったのだろう。

(註)西郷信綱の本は「真煮法」としているが、もしかしたらこれは「直煮法」の誤写かもしれぬ。あるいは「真煮法」というのもあるのか。ここは不明。

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コメント

お久しぶりです。これは、どう考えても「直煮法」ですね。
ただし、「汐汲み」を事業とまで考える必要はないとも考えますが、問題は次に列記されていることがらを、どう考えるかですね。「田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、海では漁をさせ、蚕飼いをさせ、機織をさせ、(略)何から何まで、それぞれの職人を使って作らせるという山椒大夫という分限者」。彼を社会経済史的に考察した論文がありそうですし、山椒大夫を素材に「日本海の交易ルート考」書けそうだと思います。

投稿: かぐら川 | 2005/04/03 11:04

こんばんわ。
山椒大夫は丹後の由良ですね。土地柄からすると海運、交易も当然ありそうですが、どうなんでしょう。
ところで製塩と言えば、沢木欣一の有名な句に

 塩田に百日筋目つけ通し
 塩田夫日焼け極まり青ざめぬ

があります。これは能登の塩田を詠んだものだったと思います。やはり塩作りは過酷な労働ではあったのでしょう。

投稿: かわうそ亭 | 2005/04/03 22:21

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