« ブクログが速くなった | トップページ | 新教皇と『ダ・ヴィンチ・コード』 »

2005/04/19

マーラー、シェーンベルク、ツェムリンスキー

グスタフ・マーラーとアルノルト・シェーンベルクの年の差は14歳あるが、世紀末ウィーンの同時代の人である。
池内紀の『世紀末の肖像』(みすず書房/2004)から。

マーラーの完全主義は、他方では、彼が開拓者ではなく、完成者であったこと、ワーグナーやブルックナーやブラームスの遺産を受け継いだ最後の相続人であったことを告げている。この遺産相続人にはシェーンベルクとともに始まった新しい時代の音楽は、不可解であった。にもかかわらず、自分に不可解な新音楽を、おしみなく擁護した。それは、むろん、マーラーの偉大さを示すものにちがいない。アルマの回想によると、シェーンベルクの『室内交響曲』作品九が、初めて音楽協会で演奏されたとき、口笛が鳴り、これ見よがしに椅子が引かれるなかで、マーラーは立ちあがり、端然として拍手を送りつづけたというのだ。帰路、マーラーは妻にいったという。
「私にはシェーンベルクの音楽がわからない。しかし、彼は若い。おそらく、彼が正しいのだろう」
ところで、ここにもうひとりアレキサンダー・フォン・ツェムリンスキーという男がいる。音楽ファンにはよく知られたエピソードらしいのだが、わたしははじめて知ったことなので、以下メモとして。

上の引用にも出てくるマーラーの妻は、アルマ・シントラーといって、マーラーと結婚する前は、ウィーン社交界の花であった。「抱擁」で有名なクリムトもその頃の男友達であったが、一番の恋人とされたのは、音楽家のアレキサンダー・フォン・ツェムリンスキーだった。詩人のホフマンスタールが若き天才音楽家としてツェムリンスキーを讃えた手紙もあるという。アルマは一流の芸術家にしか興味のない女であるから、さっそくこのツェムリンスキーを自分の音楽家庭教師にして唾をつけた。やがてウィーンの音楽界で特等席をしめるにちがいない一級の才能の青田買いであります。
ところが、ここにマーラーが現れた。彼はこのときウィーン歌劇場新任の指揮者兼音楽監督であった。池内さんの言葉を借りれば「まだ昇らぬ将来の星よりもすでに空に輝いている星の方が眩しい」というわけで、アルマはさっそくマーラーに乗り換えて妊娠、二人は結婚する。18歳の年の開きがあった。のちにマーラーは彼女の不貞に悩みフロイトの診察も受けるのですが、まあ、それはまた別の物語。
つまりツェムリンスキーはマーラーに恋人を奪われた男である。しかし、マーラーは彼の才能を高く評価していたらしい。もう一人、その才能に惚れた男がいた。

ツェムリンスキーは才気あふれた人物だった。だからこそ剛毅なシェーンベルクが、あれほどまでに私淑したのだろう。作曲のイロハから対位法一切を彼から学んだ。若いシェーンベルクにとってツェムリンスキーは恩義あるマエストロというものだった。
そして、シェーンベルクはツェムリンスキーの妹マチルダを娶ることになる。たまたまマーラーの結婚と同じ年(1901年)のことであった。ところが、やはりこの結婚も、マチルダが年下の画家と駆け落ちするという不幸な成り行きとなる。しかも、友人の奔走でマチルダがシェーンベルクのもとに戻ると、その年下の画家リヒャルト・ゲルストルが自裁するというメロドラマ。シェーンベルクをめぐる本に使われる肖像画はきまってこのゲルストルの手になるものであるそうな。
かくして、輝かしい将来を約束されていた男は、20世紀のふたつの巨星マーラーとシェーンベルクをつなぐ架け橋という使われ方で音楽史に名を残した。もっとも、知らないのはわたしのような素人だけで、のちにニューヨークに渡ったツェムリンスキーはもちろんかなりの業績をあげているのだそうですな。

余談ながら、マーラーの死後、アルマはあいかわらず一流の芸術家を渡り歩き、画家オスカル・ココシュカ、建築家のヴァンター・グロピウス、詩人のフランツ・ヴェルフェルを伴侶とした。「四芸術の未亡人」という少々意地の悪い称号が捧げられた。芸術家未亡人のグランド・スラムでありますね。(笑)

|

« ブクログが速くなった | トップページ | 新教皇と『ダ・ヴィンチ・コード』 »

c)本の頁から」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
かわうそさん(? お名前はなんとおっしゃるんでしょうか?)の記事は面白いですね~。
もしや、本をお書きになったことがあるのでは?
ところで、「本棚」に『四ッ谷龍集』がありましたね。
その作者の四ッ谷龍は、実は私の参加させていただいている連句結社「草門会」の仲間なんですよ。
龍さんは今年の初めに、親友だった俳人田中裕明さんが亡くなってとても落ち込んでましたが、先日会った時は、幾分元気になったようでした。

投稿: Keiten | 2005/04/19 23:28

ハンドルは一応「かわうそ亭」ですが、「かわうそ」でも一向にかまいません。(笑)まったくの素人ですが、自分の書いたものを褒めていただくとうれしいものですね。どうもありがとうございます。
そうですか四ッ谷龍さんと連句のお仲間ですか。「インターネットむしめがね」はだいぶ前から知っていて(フランス語は読めないので)英語の方を読んで参考にさせてもらったことがあります。このたびは、また藤田湘子さんが亡くなられましたので四ツ谷さんもお力を落とされたことでしょう。ご冥福をお祈りします。

投稿: かわうそ亭 | 2005/04/20 21:17

 こんばんは。アルマ・シントラーって美人ですねー。写真みてハッとしてしまいました。顔立ちが整った美人じゃないかもしれないけど、雰囲気のある美女だなあと。まさに運命の女ってやつなんでしょうね。女もこんなひと、憧れてしまいます。男性から見ても、危険だってわかっていてもついていっちゃうんじゃないでしょうか?

投稿: ぎんこ | 2005/04/20 23:32

ぎんこさん、こんばんわ。
アルマというのはなかなか興味深い人物のようです。運命の女というのは、出会えた方が幸せなのか、出会えない方が幸せなのか、それこそ運命なんでしょうねえ。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2005/04/21 22:29

拙日記にツェムリンスキーのこと少し書かせてもらいましたが(報告遅くなりました)、聞いてみたいと思って注文したクラリネット三重奏曲のCD来るのを待っています。

投稿: かぐら川 | 2005/04/24 00:23

かぐら川さん こんばんわ。
ほぼ毎日、かぐら川さんところも巡回してますので、読ませていただきました。クラシック音楽の話題は、本来わたしの出る幕では当然ないのですが、今回はたまたま世紀末ウィーンのゴシップだったので、ということで、どうぞお見逃しを。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2005/04/24 19:21

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23898/3770249

この記事へのトラックバック一覧です: マーラー、シェーンベルク、ツェムリンスキー:

» コインの裏 [雲の中の散歩~marcher en nuage~]
天と地を再び一に帰すように瀑布の如く降れる白雪 この海の果てに夕陽が溶けるならコ [続きを読む]

受信: 2005/04/19 23:29

» 否定の中で-モーゼとアロン(1)  [Wein, Weib und Gesang]
旧約聖書を題材とする芸術作品は数知れずある。キリスト教から見た旧約聖書の世界の方が、ユダヤ教の扱うその聖書の風景と較べて寧ろ一般的であろう。ユダヤ教の聖書の芸術化で、その困難を示しながら且つ解決している例としてシェーンベルクのオペラ・オラトリオ「モーゼとアロン」が挙げられる。 この作品で扱われる世界は、旧約聖書の出エジプト記(モーゼの書第二巻)3−4章と32章である。一幕一場で、民の指導者モーゼは唯一の全能の神を呼び、二場で兄弟ア�... [続きを読む]

受信: 2005/05/16 04:09

« ブクログが速くなった | トップページ | 新教皇と『ダ・ヴィンチ・コード』 »