ちょっと変なんだけど、内田樹さんの『レヴィナスと愛の現象学』(せりか書房/2001)を読みながら俳句のことをしきりに考えている。
この本には(もちろん)俳句のことはまったく出てこない。しかし「これって俳句のことだよな」と思うことがあまりに多いのであります。
そんな感想を言ったら、内田先生はびっくりされるだろうか。いや、たぶんそんなことはなさそうだ。
たとえば、こういうくだりが本書にある。
テクストを読むという行為は、テクストの究極的意味を空虚な仕方で現前させることではない。そうではなくて、読むということの固有の本質に属しているのは、「おのれに固有の読み方」をするということであり、かつ、どのような「おのれに固有の読み方」を通じても、テクストの意味の統一は揺らぐことがない、ということなのである。(107頁)
これは内田さんが、現象学についてのフッサールの言葉を、レヴィナス的に言い直したものだ。「レヴィナスに俳句のことが書いてあるって?それがなにか」。(笑)
そういえば、今日の朝日新聞(関西版だけ?)は、ほぼ全面を使って神戸女学院大学教授内田樹を紹介していた。「ウチダが読み解く現代俳句の歴史と発展」なんて絶対面白そうなんだが、ここまで売れちゃうと、そんなマイナーな仕事までしてもらえる可能性はもうないだろうなあ、残念。
さてレヴィナスの思想(として内田さんが祖述しているもの)と俳句の相似については、とりあえずつぎの決定的な一点をあげておきたい。
わたしの言葉でぐだぐだ書いても分かりにくいだろうから、たとえば、ということで二箇所引用する。
師とは私たちが成長の過程で最初に出会う「他者」のことである。師弟関係とは何らかの定量可能な学知や技術を伝承する関係ではなく、「私の理解も共感も絶した知的境地がある」という「物語」を受け容れる、という決断のことである。言い換えれば、師事するとは、「他者がいる」という事実それ自体を学習する経験なのである。(18頁)
「弟子である」ということは、師の全知の前にうなだれて黙することでも、師の言葉をそのままおうむ返しにすることでもない。そうではなくて、師との「対話的運動」を通じて、これまでも。そしてこれから先も「彼以外の誰によっても語られることのない」言葉を発するために呼びもとめられることである。(119頁)
俳句をやろうとするときに、われわれがひとつ態度を決めないといけないのは、俳句結社に入るか入らないかということですよね。普通、俳句の入門書(たいていは有力な結社の主宰と言われる俳人が書いています)では、自分の尊敬できそうな俳人が主宰する結社にぜひともお入りなさい、もしそこが自分に合わないと感じたら、別の結社に移ればいいけれど、もしほんとうに俳句が上手くなりたいなら一人でやってても駄目ですよ、なんて書いてあることが多い。その理由は、もともと俳句は座の文芸である俳諧に根をもつものだから、とか、結社で競い合う俳友ができるのはいいものだとか、そういうプラスアルファーみたいなことも付け足しで書いてあるけれど、突き詰めて言うと、たったひとつのことに極まるとわたしは見ています。
すなわち、俳句をつくっていれば誰でも一定のレベルには達する。しかし「真のブレークスルーは師に仕えることによってしか果たせない」((C)内田樹)
で、ここで多くの人がつまづくのね。(現にわたしもそうであります)
われわれが仕えるべきなのは「詩」であって「師」ではない、というのはまさに正論でありまして、いやしくも知的で自由な精神の持ち主であるワタクシが、なんで「稲畑汀子」なんかに「仕え」なきゃならんのだというのは、もっともな考えであります。そうだよね。
(ここで「稲畑汀子」というのはあくまでわたしの場合ですので、俳句愛好者各位におかれましては、お好みで「藤田湘子」でも「金子兜太」でも「長谷川櫂」でも「中原道夫」でも代入していただきたい)
しかし、ここでどうしても考え込まねばならないことがある。
それは、わたしたちの心をとらえてはなさないすぐれた俳句を、まぐれあたりではなく、コンスタントにつくれる俳人が過去から現在にいたるまで厳然として存在するが、この人たちはほぼ例外なく、卓越した師を得てこれに仕えたことをなにより幸運なことであったと、一様に語っていることであります。この場合この方たちの師事というのは、カルチャースクールで習ったのなんてレベルの話ではないのは言うまでもない。師がカラスは白いと言えばカラスは白いのである、てなレベルの師事でありますね。
どうも俳句が素人のレベルからもう一段上の境地に離陸する仕掛けとして、結社なかんずく「師に仕える」という経験が有効だと言うことは疑うことが難しいような気がする。そしてそのあたりのヒントが、(もしかしたら)レヴィナスにある、なあんてことはないものかしら、と思いながら読書をしている今日この頃であります。
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