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2005/05/24

転送された一枚の葉書

冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか  中城ふみ子

『詩歌の待ち伏せ(下)』北村薫(文藝春秋/2003)のなかに、中井英夫と中城ふみ子の往復書簡のことがでている。東京創元社の『中井英夫全集10』に収録されたふたりの往復書簡は、昭和29年3月22日、中城ふみ子宛中井英夫葉書から始まる。「短歌研究」第一回五十首募集で、編集長であった中井英夫自身が、選者三人がそろってBの評価に過ぎなかった「冬の花火—ある乳癌患者のうた—」をあえて一位と独断で決定し、そのことを中城に伝える葉書である。この時点では、中井は中城の歌をフィクションとしてとらえていた。

これは「冬の花火」の一位決定を伝え、あわせて題名を作中の語からとって「乳房喪失」とさせて貰えないか、また写真も送ってほしいと頼む事務的な通信です。(194頁)
このあたりの経緯については、中井の『黒衣の短歌史』で、すでになじみのある事柄であったが、つぎのことは北村さんの本で初めて知った。おもわず目頭がかっと熱くなった。
中井はこの葉書を連絡先としてあった帯広に送った。中城ふみ子はもうひとつ札幌医大の病室名も一時的な連絡先として知らせていたが、中井はその意味するところがわかっていなかったのである。葉書は実家の呉服店から札幌医大の中城へと転送された。
ところが、この葉書には、書簡集には活字となっていない部分があると北村さんは、証言するのですね。東京創元社で担当の編集者に葉書を見せてもらったのだそうです。
葉書の左隅には一行、こう墨書されているのです。
◎大イニ感心ス(父ヨリ)
中井の激賞は。もとより中城に身の浮くような喜びを与えたことでしょう。それに加えて、波乱に満ちた人生を送って来た娘にとって、父の書き添えたこの言葉が、どれほど嬉しかったでしょう。筆をとり、この一行を贈った父にも、無量の思いがあった筈です。中井の葉書は、帯広と札幌の親子を結んだのです。

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