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2005/05/24

俳句の構造分析

『映画の構造分析』内田樹(晶文社/2003)に、こんな一節あり。

私たちがあるテクストを読んでいるときに、「意味のつながらないところ」「意味の亀裂」のようなものに遭遇することがあります。「意味の亀裂」を私たちはそのままにしておくことができません。私たちはそこに「橋」を架けます。「意味のつながらないところ」に「架橋する」ことで、私たちは話の前後のつじつまを合わせようとします。
この「意味の架橋」こそ、実は私たちの知性と想像力を激しくかきたて、私たちを暴力的なほど奔放な空想と思索へと誘う「物語発生装置」なのです。
私たちが意味の亀裂を弥縫するためにその裂け目に架ける「橋」のことを、私たちは通常「解釈」と呼んでいます。(52頁)
うーん、これって、「意味の亀裂」という表現にすこし難があるが、ほぼこのまま、俳句の「切れ」の説明に応用できそうな気がするなあ。この本を内田さんは「誰でも知ってる映画を素材に使った、現代思想の入門書」と定義している。誰でも知ってる名句を素材に使った現代思想の入門書なんてものがあったら、わたしは読みたいが、これはまず売れないような気がするなあ。現代思想サイドでも、俳句サイドでもパスとなりそうな。(笑)

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コメント

こんにちは。この方法で俳句の「切れ」の説明すると言うのは、どなたも試みていらっしゃらないのでしょうか?

考えただけで興奮してしまいました。俳句素人向けに如何ですか?

しかし、こうして切って面白いのは断然俳句ですね。俳句サイドとしては迷惑なのかも知れませんが。これは売れますよ。

投稿: pfaelzerwein | 2005/05/30 00:26

こんばんわ。いま同じく内田樹さんのレヴィナスを読んでいますが、ここでも連想が俳句に傾いてなんか変な感じです。こんなことはこれまでになかったのですが。

投稿: かわうそ亭 | 2005/05/30 23:01

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