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2005/05/08

ウィーンのベネツィア

ベーツァ・カネッティの『黄色い街』(池内紀訳/法政大学出版局)を読んだ。一九三〇年代のウィーンのユダヤ人街の群像を描いたじつに印象深い作品だ。池内さんの解説によればモデルとなったのはレオポルド町といってドナウ河とドナウ運河にはさまれた界隈とのこと。一九三八年十一月、ナチによる「水晶の夜」でこの町は焼き打ちにあい壊滅状態となった。だがベーツァが本書のもとになる作品を発表したのは一九三二年の「アルバイター・ツァイトゥング(労働者新聞)」の懸賞募集だったから(一等なし、二等がベーツァ)、本書には直接にはホロコーストにいたるユダヤ人の迫害が描かれているわけではない。しかし、ここに登場する大半がユダヤ人と思われる人々の肖像のなんと因業なこと、池内さんの言葉をそのまま引けば、

まるで死滅する世界を予告する仮装舞踏会さながらである。
ベーツァ・カネッティはその名前からわかるように一九八一年のノーベル文学賞受賞者エリアス・カネッティの妻である。本名はベネツィアーナ・タウブナー=カルデロン。一八九七年のウィーン生まれ。幼いときからベネツィアーナを略してベネツィアと称した。高校卒業後、独学で英語を習得、人知れず創作をはじめた。エリアスと出会ったのが二十八歳のとき、エリアスはそのとき二十歳だった。ベーツァは一九三二年と一九三三年の二年間のみ作品を発表したが、それ以降は筆を折った。一九三四年にエリアスと結婚、一九三九年にエリアスとともにイギリスに亡命してからは、主婦として家事に勤しみエリアスを支えた。文壇的にはまったくの無名で終わったのである。一九六三年、ロンドンで死去。
彼女の死後、エリアスが刊行した本は一冊を除いて、すべてがベーツァに捧げられた。「彼女に負っている山のように大きな感謝の気持ちを表したいから」だとエリアスが書いている。エリアスの前書き「ベーツァのこと」から。
人生の重荷をせおいつつベーツァがつねに信じていた二つの指針があった。一つは詩人への信頼である。それは世界をたえず新しく創造する人であって、詩人がいなくなれば、すぐさま世界はひからびてゆく。もう一つは、女が自己存在をかけて想像するところに対する深い敬愛だった。そのときこそ女は美しく、魅力をもち、誇らかで、そして聡明だった。通常の男の英知ではない。この世の支配者となりはてた男とはまるで異質の聡明さをそなえている。おそらく今日の女性たちが、当然のようにとしてもつものと、ほぼひとしい信条にちがいない。だが彼女は、あの当時にすでにそれをもっていた。これみよがしに権利を主張する攻撃的なものではない。ベーツァはつねに美しさと無私と献身への眼差しを失わなかった。

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コメント

「それは世界をたえず新しく創造する人であって、詩人がいなくなれば、すぐさま世界はひからびてゆく。」という部分、仮にも詩を書く者として、感じるものがあります。S・I・ハヤカワは著書『思考と行動における言語』(岩波書店)という本の中で、「詩人は感覚と知覚の新しい方法を創造することによって、変わりゆく世界にわれわれを適応させてくれる新しい思考方法の創造に寄与する。」といっています。
詩人は常に時代の最先端を見据えていかなければならないのでしょうね。

投稿: Keiten | 2005/05/11 01:36

エリアス・カネッティの『群衆と権力』をちびちび読んでいますが、日本語版の序文にこの人はこう書いています。
「一九二四年に、わたしはヴィーンの大学に入学した。わたしは詩人・哲学者になろうと決心し、夜はいつもものを書いて過ごした。」
まず詩人、それから哲学者。そういうものらしいですね。

投稿: かわうそ亭 | 2005/05/11 12:30

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