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2005年6月

2005/06/30

歴史学の法王とマチス

「フェルナン・ブローデルの著作を一度も読んだことのない人でも、ブローデルが二十世紀最大の歴史家の一人であることは知っている」(ジャック・ルヴェル)
わたしもまったくこの類いである。図書館で藤原書店の『地中海』を何度か手に取っては、少し考えて棚に戻すという行為を繰り返している気弱な人間だ。
それでも気にはなるので『入門ブローデル』尾川直哉訳(藤原書店/2003)なんて本を読んでみたりする。1991年にメキシコシティで開かれた第一回国際ブローデル学会の基調講演をまとめた論文集である。「ブローデルの資本主義」というタイトルでイマニュエル・ウォーラーステインもスピーカーとして登場しているが、わたしが一番面白いなあと思ったのは、夫人であるポール・ブローデルの「歴史家ブローデル誕生秘話」という講演と、本書の監修をされた浜名優美さんの「ブローデル小伝」である。とくに「ブローデル小伝」にはこの歴史家のさまざまなエピソードが紹介されていて、わたしのような素人にはありがたいガイドだ。
たとえば、1909年にパリ郊外の小学校に入学したときの同級生がジャン・ギャバンだったとか、1926年にアルジェのリセに赴任したときの生徒にアルベール・カミュがいたとか、1935年にブラジルはサン・パウロ大学に赴任したときの同僚にクロード・レヴィ=ストロースがいたとか(しかし、のちにこのふたりは思想的には敵同士になる)、1957年にリュシアン・フェーブルが死去した後「アナール」の編集責任者なるのだが、そのときに登場したのがロラン・バルトであった、などなど。(まあ、単なるミーハーなんだけどさ)

しかし、いちばん気に入った話はこういうものだ。
ブローデルは1939年に動員され砲兵中尉としてマジノ・ラインに赴く。翌年ドイツで捕虜となり、マインツの将校捕虜収容所に収監されたが、ここで資料もなしに博士論文(これがのちに『地中海』となる)を書き始めた。それまでに読み込んでいた膨大な文献資料が頭に入っていたからだという。ルッジエロ・ロマーノの証言——。

さてブローデルはほんとうに出来事の敵だったのでしょうか?事実をまったく、あるいはほとんど区切りもせずにただ積み重ねてゆくだけの歴史にたいしては、たしかに敵でした。でも、それ以外の歴史にたいしてはどうだったのか?ここでフェルナン・ブローデルが信じられないような記憶力の持ち主であったことを忘れてはいけません。テレビのクイズ番組なんかに出場したら毎回優勝していたでしょうね。百万ドルがかかった最後の問題だって答えられたでしょう。みなさんが思い浮かべる国王と法王なら、ひとりのこらず生誕、即位、死去の年月日を知っていましたよ。(76頁)

ちなみにブローデルはコレージュ・ド・フランスの講義の際にはノートやメモ類をいっさい使用しなかったそうな。数字のようなデータはすべて暗記していたらしい。しかし、おどろくのはそれだけではない。この歴史家は収容所から学問的な「父」であるリュシアン・フェーブル(この頃高等研究院第4部門教授で「アナール」を刊行中)にあてて、論文の草稿を送るのだが、第一草稿を送るとさっそく第二草稿に取りかかるのだ。それも推敲や一部の手直しをするというのではなくて、一から書き直しをするのである。フェーブルが受け取った草稿は三つとも四つとも言われるようだが、あきらかではない。
夫人のポールがこう語っている。
そしてあのとき、ほとんど記憶に頼って同じひとつのテクストの新版を次々といくつも書くことによって、悪いところを縮めていったのだと思います。しかも修正するさいには、前の原稿に手を入れることすらせず、頭から最後までまるまる書き直していました。ある日あの人に、あれじゃあ時間と体力の無駄だったんじゃないかしらと言ったら、笑って、ああしかできなかったんだよという返事が返ってきました。そしてこういうのです。「それに、マチスが同じモデルの同じ肖像を毎日毎日新しく描いていた話を教えてくれたのは君自身じゃないか。マチスは毎日毎日デッサンをくずかごに放り込んで、最後にやっと本当に気に入る線が見つかったんだって、批判せずに話してくれただろ。となると、結局、ぼくのやってることとそんなに違わないよ!」

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2005/06/29

イモリは見ずや君が袖振る

退屈男さんの昨日の記事に、イモリの金玉は六個あるという説。ネット検索しても真偽不明とのこと。それはタイヘンだと(笑)わたしも調べてみました。今日は休みだかららどうせヒマだ。
調べてみてわかったことは、そもそもイモリくんたちの性生活はニンゲンとはかなり違うらしいということである。
どういうことかというと、連中はそもそも雌雄の生殖器を交接するというかたちのセックスはしないようなのだな。おおざっぱに言うと、オスは精子の入った袋をメスに受け取ってもらい、メスはとりあえずその精包という袋を体内に貯蓄しておき、自分の都合のいいときに受精するという繁殖戦略である。

なかなか清らかで合理的な性生活でニンゲンも見習いたいが、あんまり楽しくなさそうでもある。

残念ながらオスの金玉が何個あるかはわたしもいまのところわからない。たぶんこの「金玉」で精包を製造加工しているのでありましょう。
くわしい説明はこちらに図説してありましたので、どうぞご覧になってくださいませ。(ここ)
面白いのは、オスが求愛行動をとるときに出すフェロモンで、これ「ソデフリン」というらしいのね。命名の由来は、額田王の「あかねさす紫野行き標野行き」なんだって。おもわず笑ってしまった。

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2005/06/25

『教養主義の没落』竹内洋

『教養主義の没落』竹内洋(中公新書/2003)は、たいへん興味深い本だった。6月7日に書いた「誰が教養を殺したか(承前)」の記事に対して、我善坊さんとおっしゃる方からコメントをいただき、あわせて本書をご紹介いただいた。あらためてお礼を申し上げます。なるほどなあ、と納得する内容でした。

「ここで教養主義というのは哲学・歴史・文学など人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度である。」(P.40)
こういう定義で語られる教養主義は帝国大学文学部をその「奥の院」としていたが、その特徴をまとめると「農村的」、「貧困」、「スポーツ嫌い」、「不健康」であった、という指摘は面白い。言われてみればまさにそのとおりだと思うし、そこがいかにも日本的な教養主義の特徴かもしれないと思い当たる。
たとえば、そのことを逆方向から浮かび上がらせるために著者が選んだ人物が石原慎太郎氏だ。
昭和38年に分派した「日本共産党(日本のこえ)」という組織があった。石原はこの下部組織の民学同(民主主義学生同盟)の一員で、湘南高校に社会研究部をつくったという。(へえ、とびっくり。ナベツネこと渡辺恒雄氏が東大時代は日本共産党に入党していたのと同じようなものかしら)
そういう左翼少年が、一橋大学に入り小説家となるや、一転して激しい反左翼(そしてこれには多少補足がほんとうは必要ではあるが、めんどくさいので端折って言えば)反教養の感情を小説の中でむき出しにする。
たとえば本書に引用してある『亀裂』(1957)のなかのこんな一節——
大学院の玄関で高村教授にすれ違った。眼疾で殆ど盲にちかい教授は挨拶する明に気づかなかった。(中略)学部のひと頃、明は彼の講義に痛く感動したことがある。今から思えば講義の内容と言うよりは教授の演技にであったかも知れない。社会科学者にとっての現代的社会的関心を説きながら、青白く半盲の教授は絶叫に近い声を上げた。(中略)が、その講義も結局は、所謂危機意識過剰の抽象的な方法論の展開でしかなかった。現状分析を伴わぬ彼の理論の抽象性に明はやがてある危うさを感じだした。(中略)貧弱な肉体で黒い眼鏡の下の青白い頬に奇妙なひきつりを浮かべ杖を頼りに帰っていく彼の後ろ姿を見て明はふと、日本と言う厖大で複雑な現状を背負った社会科学と言う「学問」の絶望的な姿を見せつけられたような気がしてならない。
胸の悪くなるような悪罵と侮蔑的な表現で克明に描かれた身体的特徴から、当時の一橋大学の人はもちろん、かなり多くの人にはこれが高島善哉(1904 - 1990)教授であることは歴然としていただろうし、かなりショックを受けたのではないだろうか。
(まあ、わたしもほんとうならこれが高島善哉がモデルといわれてもあまりピンとこなかったと思う。たまたま『自ら墓標を建つ—私の人生論ノート』高島善哉(秋山書房/1984)をある方に教えていただいて去年読んでいたからなんとなく想像できるだけなのだが)
ただ、ここで石原の「憎しみ」は思想的な反発であるというより、あきらかに生理的なものをうかがわせる。そしてそれはたぶん、石原が上に述べた日本の教養主義の「農村・貧困・スポーツ嫌い・不健康」というセットに対してもった侮蔑と嫌悪に根ざしているようにわたしには思える。
『処刑の部屋』(1956)から——
厭な奴、厭な奴。小賢しい奴。こ奴には張って行く肉体がない。頭でっかちの、裸にすれば痩せっぽちのインテリ野郎。こ奴等は何も持ってやしない。何も出来やしない。喋るだけ、喋くって、喋くって何も出て来ない言葉だけの紙屑だけだ。
東京都知事としてのこの政治家にはいまでもこれとまったく同じ心性が色濃く透けて見えるような気がする。農村的で貧乏臭くて病弱なAに対する嫌悪感・侮蔑感と自分の属するBはそうではないという優越感。Aにはたとえば、地方、地方政治家、地方出身の優等生官僚、中国、韓国、北朝鮮などを代入し、Bには東京、湘南カルチャー、日本、先進諸国などをとりあえず代入する。
しかし、こういう過度の嫌悪感・侮蔑感と言うのは言うまでもなく自分自身の出自とそこへの転落の恐怖を示唆している。

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2005/06/21

加守田章二に感動

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私は陶器は大変好きです。
しかし私の仕事は陶器の本道から完全にはずれています。
私の仕事は陶器を作るのではなく陶器を利用しているのです。
私の作品は外見は陶器の形をしていますが中身は別のものです。
これが私の仕事の方向であり 又私の陶芸個人作家観です。

「私の陶芸観」
加守田章二(Kamoda Shoji)

京都国立近代美術館で開催中の「20世紀陶芸界の鬼才・加守田章二展」に行く。
陶芸というかたちを「使って」、これでもか、とばかりに様々な表現の可能性を追求した作品群に驚嘆。たしかな造形。目を楽しませるマチエール。斬新なのになぜか懐かしい意匠。百年前の紬や木綿などの古着のテキスタイルを思わせるような心落ち着く色合い。縄文人にも通じるような土と火の生命感や日本人の精神性。
門外漢のわたしには未知の作家でしたが、思いもかけず素晴らしい出会いでした。

加守田章二(1933年−1983年)
岸和田市生まれ。
京都市立美術大学工芸科で富本憲吉氏に師事、1956年卒業。
日立市の大甕陶苑を経て益子に移る。
1967年に高村光太郎賞を受賞。
1969年より岩手県遠野にて作陶。
白血病にて50歳を前に逝去。

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2005/06/19

ミュージカル・バトン

ぼんぼりきんぎょさんから、ミュージカル・バトン。どうもありがとうございます。これ、いろんな方のを見ていくのは結構面白いですね。ぼんぼりきんぎょさんと共通するのはグールドの「平均律」。いいですよね。リヒテルのももちろんすばらしいけれど。
というわけで以下は、ナツメロ・ボックスと化しているわたしのiPodの中身から。

●コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
2.68GB

●今聞いている曲
"Jemima Surrender"   The Band

●最後に買った CD
ハイドン「チェロ協奏曲第1番/第2番」 ジャクリーヌ・デュプレ

●よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲
"Helpless"
  Crosby, Stills, Nash & Young
"I'll Remember April"
  Bud Powell
"Layla"
  Derek & The Dominos
"My Funny Vallentine"
  Chet Baker
"Bewitched"
  Art Pepper

●Five people to whom I'm passing the baton
これはパスで。

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川島先生、本当ですか?

言うまでもなく、明治憲法下の法典編纂事業は、まず第一次には、安政の開国条約において日本が列強に対して承認した屈辱的な治外法権の制度を撤廃することを、列強に承認させるための政治上の手段であった。
(中略)日本の裁判権の自主性を回復するためには、まず日本の裁判制度および裁判の基準となる法律を、列強の承認するようなものにすることが、前提条件として列強から要求されていた。
(中略)
すなわち、これらの法典が西洋的なものとなったのは、当時の日本の国民生活の大部分において、法律を西洋的なものにするような現実的な或いは思想的な地盤が普遍的にあったからではなくて、不平等条約を撤廃するという政治的な目的のために、これらの法典を日本の飾りにするという一面があったことは否定できない。
『日本人の法意識』川島武宜(岩波新書)は初版1967年。事例が戦時中の疎開や買い出しの話だったり、きだみのるの「きちがい部落」の一描写だったりと、さすがに時代を感じさせはするが、岩波新書でも屈指の名著の定評にまったく偽りはない。こんなに明晰で構成の見事な日本語が書ける人はそうはいないだろう。 本書は、日本人の法意識が前近代的なものであることを、所有権、契約、裁判といった切り口から、鮮やかに浮かび上がらせる。いまでも全くと言っていいほど、わたしたちの法意識は変化していないような気がする。すくなくとも、ここで描かれる「前近代的」な法意識は、他ならぬわたし自身のなかに歴然としてあり、そのあまりの固陋さに我ながら辟易したことを白状せねばならない。

ところで、すこし旧聞に属する話題だが、法意識についての国際比較というのがある。名古屋大学大学院法学研究科教授の加藤雅信さんという方が日本代表でプロジェクトを推進されたらしい。たまたま、この加藤さんが、東大時代は川島武宜のゼミにも所属していた。詳しいことは知らないのだが、「東洋人と西洋人の法意識」という短いレポートが国際交流基金日米センターの「NEWSLETTER」(SUMMER 2003 VOL.22)に出ている。(ここ)
リンク先のPDFファイルは16頁あるが、その3頁と4頁が該当箇所だ。まあ、リンク先に飛んで読んでいただければいいが、それもめんどくさいや、という方も多いと思うので、わたしが意外だった点を簡単に。

日本人は訴訟嫌いで、アメリカは訴訟社会というのは、国際的にも広く共有されている見方なんだそうですが、この研究グループが日本、アメリカ、中国の訴訟提起に対する好悪を判定するためにこんな質問をしたんだそうです。
「ある人が友人に給料ひと月分相当の金額を貸したが、期限が来ても返してくれない。いくら交渉しても返さない。その場合に、その人が裁判所に訴えることについてどう思うか」
つまり友人間での貸金返還訴訟にどの国が一番躊躇するか、という調査です。中国がどうかについてはいまひとつ自信が持てないが、日本については川島テーゼから当然、こういう訴訟をもっとも嫌うと思うでしょ。わたしもそう思った。
ところがどっこい、友人間で貸金訴訟を提起することが「望ましくない」という回答は、アメリカ30%、中国20%、日本15%なんだそうです。

しかし、これはよく考えると、理由はすぐわかりますね。
つまり、日本人は、そんなことしたら銭ゲバ扱いされるから現実にはできないけど、本当のことをいえばそうしたいよなぁ、と思っているのである。逆にアメリカ人は、現実にそんなことが日常茶飯事だから、本当はよくないよね、そんなこと、と反省しているのである。(たぶん)
それにしても、この結果を見た外国の研究者が「そうか、アメリカ人は日本人より日本的なんだ」と言ったてのが笑える。案外そうかもね。

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2005/06/15

DANNY DECKCHAIR

「DANNY DECKCHAIR」というオーストラリア映画をみる。英会話の先生がバンコクで買ってきたDVDだ。2003年の作品だが日本での公開はなかった様子。これがなかなかいい映画だった。
こちらにトレーラーがある。(ここ)

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風船おじさんというのが数年前に日本でも話題になったが、こういうかたちで日常を脱出するというのは、どこかわれわれの心を揺さぶるところがあるのかも知れない。途中で嵐に巻き込まれた主人公ダニーが飛ばされていくのが、北部の小さな町クラレンス。ここで交通係の婦人警官グレンダと出逢って恋に落ちる。ダニーはシドニーのセメント工兼コンクリート・ミキサー運転手。長い休暇をとってキャンピングに行くことだけが生き甲斐だ。だが一緒に暮らしていた恋人トゥルーディは、美人で野心的、もっと上のキャリアを狙っている。だから、ダニーが目の前で空高く失踪してしまうと、一躍有名人となり、これをメディア業界のキャリアの足がかりにし始める。地方の小さな町の人々の中にとけ込んでいくダニー、ちゃっかりテレビ業界で顔を売り出すトゥルーディ、やがてテレビがダニーの居場所を発見すると・・・・てなオハナシ。

わがオーストラリア人の先生によれば、"down to earth"というのがこの映画のテーマなんだよね、と言う。なるほどね。そういえば、先日やはりオーストラリア映画で「月のひつじ」(原題は「THE DISH」(ここ))ってのを見たけど、あれもそんな感じのテーマだったな、と言うと、そうそう、オーストラリア人ってのはそういうのが好きなんだとのこと。納得。
(注:down to earth ; A person who is nice to everybody they meet.)

ところで、映画好きの人はこの作品の俳優にはなじみがあるはずだ。
ダニー役は、Rhys Ifans。発音はリース・アイファンズというあたりが正しいのかもしれないけれど、ネットで検索するとリス・エヴァンズという表記が多いようだ。この俳優は、ジュリア・ロバーツの「ノッティング・ヒルの恋人」で、ヒュー・グラントのルーム・メイトのスパイク役だよ、と言えば、多くの人が「ああ、あのヘンな奴かぁ」と思い出してくれるのではないか。わたしの見るところ、あの映画では完全に主役の二人を食っていたもんね。
田舎町の交通係グレンダ(この映画ではじつにチャーミングで若い頃のメリル・ストリープをわたしは思い出した)は、ミランダ・オットー。この人は、指輪物語のエオウィンです。
"No man can kill me. Die now!" という魔王に、" I am no man. "と答えて剣で撃ち殺すめっちゃ強いお姫様ね。映画・指輪ではなぜかわたしはこの人が一番好きなのです。
というわけで、意外なところでお気に入りの役者に再会できてごきげんな映画なのでありました。

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2005/06/10

塚本邦雄にとって短歌とは

もともと短歌といふ定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があらう。現実社会が瞬間に変質し、新たな世界が生まれでる予兆を、直感によって言葉に書きしるす、その、それ自体幻想的な行為をあへてする自覚なしに、歌人の営為は存在しない。幻想世界を分析し再組織するには、散文詩の時間的連続ないし非連続性が有効であらう。その世界の葛藤と劇を創り、詳述するには小説、戯曲にまつべきであらう。短歌は、幻想の核を刹那に把握してこれを人々に暗示し、その全体像を再幻想させるための詩型である。

塚本邦雄
「短歌考幻学」
『定本 夕暮の諧調』(本阿弥書店/1988)

偶然ながら昨日から塚本邦雄を読んでいた。今朝の新聞で訃報を知る。ご冥福をお祈りいたします。

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2005/06/09

ホシノくんの影響で大公を聴く

『海辺のカフカ』を読んだ人にはニヤニヤされ、筋金入りのクラシック・ファンには「やれやれ」と言われそうだ。
会社帰り、アルトゥール・ルービンシュタイン、ヤシャ・ハイフェツ、エマニュエル・フォイアマンによる「大公トリオ」のCDを探しにでかけた。
わたしの読みとしては、『海辺のカフカ』の初版は2002年だから、その直後からあっと言う間に品切れになり、その原因がわかった音楽レーベルが、これは千載一遇のチャンスとばかり大増産して、いまでは比較的入手しやすいのではなかろうかと見ていた。今週のアマゾンのランキングを見ると、いまでもクラシックCD売上げベスト10に入っている。棚からぼた餅、というか、濡れ手で泡というか。(笑)予想通り、堂島の新星堂で運良く見つかった。同時に、ハイドンのチェロ協奏曲第1番も探したのだが、ピエール・フルニエのものは残念ながらなかったので、とりあえずジャクリーヌ・デュ・プレのCDを買って帰る。

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「大公」はスークトリオのCD(スメタナの「鱒」と一緒になったやつ)を持っていて、ときどき読書のBGMにしているのだが、その理由は読書の邪魔にならないからなんだな。すごくリラックスした演奏で、いつの間にか音楽が鳴っていることを忘れて読書に集中できる。今回聴いた「百万ドル・トリオ」の演奏は、これとはかなり違った印象を受ける。ピンと張りつめた感じ、凛とした感じ、いつか読書から音楽の方に注意が移ってしまって、思わず耳を立てて聴き入ってしまうような気がする。

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2005/06/08

村上春樹の回答

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読書の愉しみ。本を読み続けていると、ときどきセレンディピティのようなことが起こる。探している答えが、次の本の中にさりげなく隠れて、わたしたちを待っていたりする。
教養主義はそんなに簡単に死んだりするかしら、と昨日書いた。今日は休日だったのでカウチで寝転んで村上春樹さんの『海辺のカフカ(上下)』(新潮文庫/2005)を読んだ。こんな一節が飛び込んで来た。高校時代はグレて警察の厄介にもなったというホシノ君、長距離トラックの運転手になってからも喧嘩にあけくれ、文化や教養にはまったく縁も興味もなかった男がふとしたきっかけでクラッシク音楽にこころをひかれる。(ちなみにこの小説で一番好きなキャラをあげろと言われれば、わたしはこのホシノ君だな)この青年が、すばらしく頭の切れる教養人である大島さんとこんな会話を交わす。

「じゃあひとつ訊きたいんだけどさ、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?つまり、あるときにある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、がらっと大きく変わっちまう、みたいな」
大島さんはうなずいた。「もちろん」と彼は言った。「そういうことはあります。何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものですね。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上にあがっていることを知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。僕にもそういう経験はあります。たまにしかありませんが、たまにはあります。恋と同じです」

これは教養主義は死なせるべきでないという答えになっていないだろうか。
少なくともわたしにはこれで十分だ。

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2005/06/07

誰が教養を殺したか(承前)

誰が教養を殺したかについての、もうひとつの物語。
『街場の現代思想』(NTT出版/2004)で内田樹さんが「文化資本」という概念を紹介しておられる。もともとはフランスの社会学者ピエール・ブルデューの社会理論だということだが、とりあえず内田先生の紹介されている内容を自分なりに追ってみたい。(面白い本なのでご一読をおすすめする)

  1. 文化資本(capital culturel)には二種類ある。
  2. ひとつは家庭において獲得された趣味や教養やマナーなどであり
  3. もうひとつは学校などで学習によって獲得された知識、技能、感性などである。
  4. 前者は、気がついたら身についてしまっていたという意味で「身体化された文化資本」とよばれる
  5. 後者は後天的な努力によって獲得された学歴、資格、人脈、信用などであるため「制度化された文化資本」とよばれる
  6. このふたつの間には質的な差があり、後者が前者のレベルに達することはない(理由は後述する)
  7. これによって社会には階層ができる
  8. リアルかつクールに、本人の努力とは無関係に「もう、すでに、そこに存在する」ものとして社会の階層はたち現れる
  9. フランスはそういう社会である
  10. いま日本もそういう社会になりつつあり、すでにかなりの部分はそうなってしまっている

「身体化された文化資本」というのはどういうイメージかといえば——

家の書斎にあった万巻の書物を読破したとか、毎週家族で弦楽四重奏を楽しんだので絶対音感になってしまったとか、家にしょっちゅう外国から友人が来るので英語フランス語中国語スワヒリ語などを幼児期から聞き覚えてしまったとか、家伝の武芸を仕込まれて一〇代で免許皆伝を得てしまったとか、家のギャラリーでセザンヌや池大雅を見なれて育ったので「なんでも鑑定眼」が身についてしまった・・・・・

なんてものだ。もちろん面白おかしく書いてあるわけだが、これに類するヒトって、でも実際いるよなあ、と案外多くの人が身近なところで経験しているのではないか。とくに、ここ最近。

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さてここで、唐突だが向田邦子の話をしたい。
この人は生涯をかけてその見識や趣味を高める努力を惜しまなかったように思える。父親は保険会社のサラリーマンだったが、若い頃は勤めのかたわら夜間の商業学校に通っていた。戦前のことだから、サラリーマンというのはいまとは違って庶民のあこがれの的である。それでも学閥が幅をきかす戦前の大企業で、学歴の低い父親には鬱屈した思いがあっただろう。向田邦子の後年の駆り立てられるような向上心、知識欲、もっと古典を読みたい、映画を見たい、舞台を見たい、音楽を聴きたい、美術品を見たい、外国に行きたい、本物の料理を味わいたい、書画骨董を鑑賞したい、という憑かれたような、ある意味、痛ましいほどの行動はおそらく父親の悔しさが淵源であると見て間違いはないと思う。(病気で余命を限られたという思いも無関係ではないだろうが、それだけならばあのような知的な「見せびらかし」に向かうとはかぎらないだろう)
そして、こういう心性は戦後の高度成長期を支えるもうひとつのエートスではなかったか。
生まれながらに、当たり前のように、気づいたときは獲得していたという「身体的文化資本」は自分にはない。だからこそ、自分の努力でそれを獲得するのだ、自分の趣味は自分で高めることができ、生まれながらの上流に負けることはないはずだ。まさに彼女こそは「制度化された文化資本」獲得の象徴のように思える。スノッブと呼びたければご自由に、でも、わたしはそれを向上心と呼ぶわ、てなもんでありますね。そういうタイプのちょっとまぶしいような女性が一族のなかにはかならずいたもんである。

ところが、バブルの頃が潮の境目であったでしょうか、こういう「制度化された文化資本」と「身体化された文化資本」が不幸にも、同じキャンパスや同じ職場で遭遇するということが頻発するようになりました。そりゃそうですよね、一方は明確な目標として上昇するつもりなんだから、同じ場所を占めるようになるのは避けられない。(社会の階層化が完了してしまえばこういう不幸な同居はなくなるし、いまはすでにそうなっているらしいね、不愉快な話だが)そのときになにが起こったか。いささか長くなるが内田先生の言葉を引きます。

文化資本は先ほど述べたように、「気がついたら、もう身についていた」ものであり、「気がついたら、身についていなかった」人は、すでにほとんど回復不能の遅れをとっている。というのは、芸術の鑑賞眼についても美食についても作法についても、そのようなものを身につけたいという欲望を持つということは、すでに「文化資本が身体化されている人」と、そうでない人との間に、歴然とした社会的な差異が生じていることの効果だからである。
(中略)
つまり「すでに出遅れている」「すでに差をつけられている」という感覚を持つ人間だけが文化資本を欲望するのである。そして、そのような欲望に動機づけられた「成り上がり文化貴族」たちは成り上がれば成り上がるほど「生まれつきの文化貴族」に対する「手の届かなさ」を痛感することになる
(中略)
例えば、自分の子供を「生まれつきの文化貴族」にしようと必死になって英才教育を施そうとする人々はあらわに「ビンボくさい」。
(中略)
つまり、文化資本を手にして社会階層を上昇しようという動機づけそのものが、彼が触れるものすべてを「非文化的なもの」に変質させてしまうということにある。「文化資本を獲得するために努力する」というみぶりそのものが文化資本の偏在によって階層化された社会では、「文化貴族」へのドアを閉じてしまうのである。
ひどい話だ。
「努力したら負け」というのが、このゲームのルールなんだから。

かくして、向田邦子の子供たち(彼女自身には子供はいなかったようだが)の世代のあたりで、このゲームのルールに気づいた若者が「制度化された文化資本」=教養の獲得競争から降り始めたというのが、もうひとつの物語の「あらすじ」である。この場合は教養を殺したのは教養主義だということになり、教養は自殺したという説話になるのだろうか。

さて、では、あんたはどう思うのだ、ということになるのだろうが、よくわからない。
ただ直感的に教養主義はそんなに簡単に死んでしまうものなのかしら、という思いはある。村上春樹だっているし、内田樹だっているし、まあ、だいぶレベルは落ちるとはいえ、及ばずながらここにおいらだっているじゃんか、てなもんであります。みなさんはどうお考えになるだろう。

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2005/06/06

誰が教養を殺したか

かねたくさんの「読前読後」6月5日の条は出久根達郎さんの『かわうその祭り』(朝日新聞/2005)の紹介である。かねたくさんと同様、わたしも新聞小説をリアルタイムで読む習慣はないのだが、題名が題名だけに、連載中はすこし気になっていた。単行本になったら読もうかと思いつつそのまま失念していたので、この紹介はありがたかった。
とくに単行本にするに際して加筆されたという最終章を、かねたくさんが共感をこめて紹介しておられる箇所が強く印象に残った。「教養主義をせせら笑う輩の横行だ」という部分である。

やはりバブルの頃に、日本人は決定的に傷んでしまったのではないかという気がしてならない。しかし教養主義を殺した犯人探しはなかなか単純にはいかないだろう。

もっとも単純な物語はこうだ。
バブル期に教養主義を貶め、せせら笑い、殺した犯人はテレビである。より具体的には、ビートたけしであり、石橋貴明であり、所ジョージであり、明石家さんまである。お前ら、学校のセンコーの言うとおり、ちまちまオベンキョーしても、せいぜいなれるのはオヤジみてえなサラリーマンじゃねえか。安物の背広、すり切れた靴、貧乏臭い家、おおいやだ。俺たちをみろ、カネ、オンナ、クルマ、豪邸、コネ・・・教養だと、けっ、うざいんだよ、だせえんだよ、暗いんだよ。——およそこういうメッセージ「だけ」をテレビは流すことが社会的な役割だった。いやそんなことはない、たけしさんだって教養番組やってるじゃん、とおっしゃるかもしれない。しかしテレビの「教養」はすべて消費につながっている。海外旅行、高級ワイン、グルメ、観劇、ブランドのグッズなどなど。
テレビの教養は、また教養とは知識の量のことであるという嘘をばらまいている。教養とは、ものごとの意味を考える力のことであって、トリヴィアルな情報やら、英語がペラペラなんてこととは本質的な関係はない。しかし考えることが重要だというメッセージは危険である。テレビの役割は欲望をひたすら煽ることだ。人々の欲望を駆り立て、消費行為こそが生き甲斐と思い込ませることがテレビの使命である。テレビはカネのない人間にだって消費させる。プロミスだのアコムだの武富士だのといった高利貸しのCMがなんであれほど社会に必要なのか。カネのない人間に消費に参加させるという役割に決まっているじゃないか。そういう社会にとってもっとも都合がいいのは、みんながバカであることだ。ものごとに疑問を抱くという知性の働きや教養主義は、隠しておきたい社会の仕組み暴いてしまうという困ったやつなのである。だからこそ、テレビはバカを木の天辺に上らせ、かれらに執拗にバカでいることが一番かっこいいと語らせる。教養主義をせせら笑うテレビの反知性主義はここに大元があるのである、云々。

だが、こういう「左翼的」な言説もまた物語のひとつにすぎない。
なんなら、もうすこし複雑な別の物語もある。
というところで、眠くなっちゃったので、続きはまた明日。(たぶん)

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2005/06/04

徘徊俳人替え歌集 其の七

60年代の前衛俳句運動くずれ(想像(笑))から金子兜太さんへ

投稿砂漠(「東京砂漠」のメロディで)

ボツが哭いている 「朝日俳壇」で
ひとは革命を どこに棄ててきたの
だけどわたしは生きる 前衛俳句の夢
無季に目覚めたとき あなた あなたがいた

あなたの選を ああ 受けれるならば
つらくはないわ この投稿砂漠
あなたがいれば ああ あきらめないで
続けて行ける この投稿砂漠

紙面の谷間の「俳壇」は読まれない
人の目線だけが早く流れてゆく
あなた あなたにめぐり逢うまでは
そうよ俳句を逃げて行きたかった

あなたの選を ああ 受けれるならば
幸せなのよこの投稿砂漠
あなたがいれば ああ あなたがいれば
詩は蘇る この投稿砂漠

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徘徊俳人替え歌集 其の六

ひさしぶりに「徘徊俳人替え歌集」など。(ちなみに其の一から其の五までは、カテゴリー「俳句の話題」の始めの方にございます)これは元歌の題名はいらないわな。

俳句ナンバー1

苦しくたって悲しくたって
結社のなかでは平気なの
主宰が怒鳴ると胸がはずむわ
手垢まみれ にせ 類句あり 
五七 五七 俳句!

だけど涙がでちゃう素人なんだもん

夢と涙の染みた結社誌
巻頭でいつか叫びたい
俳句 俳句 ナンバー1
俳句 俳句 ナンバー1

苦しくたって悲しくたって
結社の仲間がいるんだもん
句会を開くと胸がはずむわ
手垢まみれ にせ 類句あり 
五七 五七 俳句!

だけど涙がでちゃう一句組だもん

俳句 俳句 ナンバー1
俳句 俳句 ナンバー1

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2005/06/01

小泉総理に申し上げます

父より手紙。新聞に投稿したという原稿用紙が入っている。
紙面に載れば本人の希望がかなうが、おそらく膨大な投稿のなかから選ばれる可能性は低いと思うので、息子のつとめとして誠にささやかではあるが、わたしのブログに掲載する。
父は1943年2月1日に応召、中支派遣「槍」部隊の一員として下関を出港、釜山上陸。京城、平壌、新義州、審陽と北上し華北に赴いた。ガダルカナル「転進」の翌年のことである。新聞の「転進」という表現を奇異には感じたが本人によれば「負けたとは思わず新たなる作戦と思っていた」ということだ。以下、息子であるわたしはなんの言葉も加えるつもりはない。ただお読みくださったみなさんに父に代わって深く感謝申し上げる。

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小泉総理に申し上げます。

靖国神社参拝は信念ならやむを得ません。しかし国の安泰と将来を願う国民のことを考えてそっと参拝していただきたい。家の子郎党引き連れて、これ見よがしのポーズとしか見えない参拝はやめてください。
四年に及ぶ戦地での体験を以て、戦争の実態をあまりにも理解されてない。語るもおぞましいことがあまりにも澤山あるのです。
眞実を話せば“名誉の戦死”を遂げたとされる遺族の悲しみも増すばかりとなる、そっとしてあげることこそ死者に対するせめてもの慰めとでも申せましょう。
全く個人的な欲望が制御されず非業の死を遂げた戦友が数多くいた。
遺族は門柱に栄誉を称える標章をつけ靖国神社に詣でている。死者を鞭打つようなことは口が裂けても話せないし、子や孫にも語ることすら躊躇するのは事実です。
小泉さんどうか言動に気を遣い再びあのような戦争の惨禍から国民を護ってください。
どんなにもっともらしい理屈を並べても相手国の国民の気持ちを考えなければ意味をなしません。
国連常任理事国入りなど後回しで結構です。入らなくても名誉ある地位は自ずとわかってくるものです。

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