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2005/06/06

誰が教養を殺したか

かねたくさんの「読前読後」6月5日の条は出久根達郎さんの『かわうその祭り』(朝日新聞/2005)の紹介である。かねたくさんと同様、わたしも新聞小説をリアルタイムで読む習慣はないのだが、題名が題名だけに、連載中はすこし気になっていた。単行本になったら読もうかと思いつつそのまま失念していたので、この紹介はありがたかった。
とくに単行本にするに際して加筆されたという最終章を、かねたくさんが共感をこめて紹介しておられる箇所が強く印象に残った。「教養主義をせせら笑う輩の横行だ」という部分である。

やはりバブルの頃に、日本人は決定的に傷んでしまったのではないかという気がしてならない。しかし教養主義を殺した犯人探しはなかなか単純にはいかないだろう。

もっとも単純な物語はこうだ。
バブル期に教養主義を貶め、せせら笑い、殺した犯人はテレビである。より具体的には、ビートたけしであり、石橋貴明であり、所ジョージであり、明石家さんまである。お前ら、学校のセンコーの言うとおり、ちまちまオベンキョーしても、せいぜいなれるのはオヤジみてえなサラリーマンじゃねえか。安物の背広、すり切れた靴、貧乏臭い家、おおいやだ。俺たちをみろ、カネ、オンナ、クルマ、豪邸、コネ・・・教養だと、けっ、うざいんだよ、だせえんだよ、暗いんだよ。——およそこういうメッセージ「だけ」をテレビは流すことが社会的な役割だった。いやそんなことはない、たけしさんだって教養番組やってるじゃん、とおっしゃるかもしれない。しかしテレビの「教養」はすべて消費につながっている。海外旅行、高級ワイン、グルメ、観劇、ブランドのグッズなどなど。
テレビの教養は、また教養とは知識の量のことであるという嘘をばらまいている。教養とは、ものごとの意味を考える力のことであって、トリヴィアルな情報やら、英語がペラペラなんてこととは本質的な関係はない。しかし考えることが重要だというメッセージは危険である。テレビの役割は欲望をひたすら煽ることだ。人々の欲望を駆り立て、消費行為こそが生き甲斐と思い込ませることがテレビの使命である。テレビはカネのない人間にだって消費させる。プロミスだのアコムだの武富士だのといった高利貸しのCMがなんであれほど社会に必要なのか。カネのない人間に消費に参加させるという役割に決まっているじゃないか。そういう社会にとってもっとも都合がいいのは、みんながバカであることだ。ものごとに疑問を抱くという知性の働きや教養主義は、隠しておきたい社会の仕組み暴いてしまうという困ったやつなのである。だからこそ、テレビはバカを木の天辺に上らせ、かれらに執拗にバカでいることが一番かっこいいと語らせる。教養主義をせせら笑うテレビの反知性主義はここに大元があるのである、云々。

だが、こういう「左翼的」な言説もまた物語のひとつにすぎない。
なんなら、もうすこし複雑な別の物語もある。
というところで、眠くなっちゃったので、続きはまた明日。(たぶん)

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コメント

はじめまして、ケノと申します。時々覗いています。
TVが諸悪の根源だとの指摘、同感です。消費を煽ること、これがTVの使命ですネ。
で、タレントを数人上げていらっしゃいますが、その親玉を忘れている。実は4年前の選挙の際に、ケノも同じ事を考えていたのです。
誰でしょう?
突然に現れて失礼をいたしました。では。

投稿: ケノ@モナ丼 | 2005/06/07 06:52

ケノさん はじめまして。コメントどうもありがとうございました。
ええと、私の立場は、このエントリーのおしまいの方に書いていますが、テレビが諸悪の根源であるというのもひとつの見方だ、というものです。かならずしも、私自身がその見方に固執しているわけではありません。同時にこういう見方が間違っているとも思いません。ただ事情はもうすこし複雑かな、と思っています。そのことを今夜にでも書いてみようかと思っていますが、こちらの「物語」の方は、もしかしたらお気に召さないかもしれません。
親玉の芸人とは誰でしょうね。思いつきません。
蛇足ですが、私自身は、かれらの番組をわりとよく見ています。とくにファンというわけでもないけれど、べつに嫌いではありません。

投稿: かわうそ亭 | 2005/06/07 08:00

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