村上春樹の回答
教養主義はそんなに簡単に死んだりするかしら、と昨日書いた。今日は休日だったのでカウチで寝転んで村上春樹さんの『海辺のカフカ(上下)』(新潮文庫/2005)を読んだ。こんな一節が飛び込んで来た。高校時代はグレて警察の厄介にもなったというホシノ君、長距離トラックの運転手になってからも喧嘩にあけくれ、文化や教養にはまったく縁も興味もなかった男がふとしたきっかけでクラッシク音楽にこころをひかれる。(ちなみにこの小説で一番好きなキャラをあげろと言われれば、わたしはこのホシノ君だな)この青年が、すばらしく頭の切れる教養人である大島さんとこんな会話を交わす。
「じゃあひとつ訊きたいんだけどさ、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?つまり、あるときにある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、がらっと大きく変わっちまう、みたいな」
大島さんはうなずいた。「もちろん」と彼は言った。「そういうことはあります。何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。化学作用のようなものですね。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上にあがっていることを知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。僕にもそういう経験はあります。たまにしかありませんが、たまにはあります。恋と同じです」
これは教養主義は死なせるべきでないという答えになっていないだろうか。
少なくともわたしにはこれで十分だ。
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コメント
なるほど~、とってもお勉強になりました。少しは教養が付いたような(笑)。
>自分の子供を「生まれつきの文化貴族」にしようと必死になって英才教育を施そうとする人々はあらわに「ビンボくさい」。
って、思わず納得するだけに、痛烈に跳ね返ってきますね~。良かった、英才教育できなくて。ははは。
内田樹さんの本、読んでみたくなりました。
なんだろう、教養をつけるためだけの教育は「ビンボくさい」けど、感動が伴った教養は素敵だなあ、って感じでしょうか・・・・
投稿: なぎ | 2005/06/09 10:10
あ、その感動が伴った教養という切り口はいいかもしれないですね。
人間、できれば学び続けた方がよく、学び続けようという姿勢があるかぎり感動のタネには事欠かないのではないでしょうか。
投稿: かわうそ亭 | 2005/06/09 22:23