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2005/06/25

『教養主義の没落』竹内洋

『教養主義の没落』竹内洋(中公新書/2003)は、たいへん興味深い本だった。6月7日に書いた「誰が教養を殺したか(承前)」の記事に対して、我善坊さんとおっしゃる方からコメントをいただき、あわせて本書をご紹介いただいた。あらためてお礼を申し上げます。なるほどなあ、と納得する内容でした。

「ここで教養主義というのは哲学・歴史・文学など人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度である。」(P.40)
こういう定義で語られる教養主義は帝国大学文学部をその「奥の院」としていたが、その特徴をまとめると「農村的」、「貧困」、「スポーツ嫌い」、「不健康」であった、という指摘は面白い。言われてみればまさにそのとおりだと思うし、そこがいかにも日本的な教養主義の特徴かもしれないと思い当たる。
たとえば、そのことを逆方向から浮かび上がらせるために著者が選んだ人物が石原慎太郎氏だ。
昭和38年に分派した「日本共産党(日本のこえ)」という組織があった。石原はこの下部組織の民学同(民主主義学生同盟)の一員で、湘南高校に社会研究部をつくったという。(へえ、とびっくり。ナベツネこと渡辺恒雄氏が東大時代は日本共産党に入党していたのと同じようなものかしら)
そういう左翼少年が、一橋大学に入り小説家となるや、一転して激しい反左翼(そしてこれには多少補足がほんとうは必要ではあるが、めんどくさいので端折って言えば)反教養の感情を小説の中でむき出しにする。
たとえば本書に引用してある『亀裂』(1957)のなかのこんな一節——
大学院の玄関で高村教授にすれ違った。眼疾で殆ど盲にちかい教授は挨拶する明に気づかなかった。(中略)学部のひと頃、明は彼の講義に痛く感動したことがある。今から思えば講義の内容と言うよりは教授の演技にであったかも知れない。社会科学者にとっての現代的社会的関心を説きながら、青白く半盲の教授は絶叫に近い声を上げた。(中略)が、その講義も結局は、所謂危機意識過剰の抽象的な方法論の展開でしかなかった。現状分析を伴わぬ彼の理論の抽象性に明はやがてある危うさを感じだした。(中略)貧弱な肉体で黒い眼鏡の下の青白い頬に奇妙なひきつりを浮かべ杖を頼りに帰っていく彼の後ろ姿を見て明はふと、日本と言う厖大で複雑な現状を背負った社会科学と言う「学問」の絶望的な姿を見せつけられたような気がしてならない。
胸の悪くなるような悪罵と侮蔑的な表現で克明に描かれた身体的特徴から、当時の一橋大学の人はもちろん、かなり多くの人にはこれが高島善哉(1904 - 1990)教授であることは歴然としていただろうし、かなりショックを受けたのではないだろうか。
(まあ、わたしもほんとうならこれが高島善哉がモデルといわれてもあまりピンとこなかったと思う。たまたま『自ら墓標を建つ—私の人生論ノート』高島善哉(秋山書房/1984)をある方に教えていただいて去年読んでいたからなんとなく想像できるだけなのだが)
ただ、ここで石原の「憎しみ」は思想的な反発であるというより、あきらかに生理的なものをうかがわせる。そしてそれはたぶん、石原が上に述べた日本の教養主義の「農村・貧困・スポーツ嫌い・不健康」というセットに対してもった侮蔑と嫌悪に根ざしているようにわたしには思える。
『処刑の部屋』(1956)から——
厭な奴、厭な奴。小賢しい奴。こ奴には張って行く肉体がない。頭でっかちの、裸にすれば痩せっぽちのインテリ野郎。こ奴等は何も持ってやしない。何も出来やしない。喋るだけ、喋くって、喋くって何も出て来ない言葉だけの紙屑だけだ。
東京都知事としてのこの政治家にはいまでもこれとまったく同じ心性が色濃く透けて見えるような気がする。農村的で貧乏臭くて病弱なAに対する嫌悪感・侮蔑感と自分の属するBはそうではないという優越感。Aにはたとえば、地方、地方政治家、地方出身の優等生官僚、中国、韓国、北朝鮮などを代入し、Bには東京、湘南カルチャー、日本、先進諸国などをとりあえず代入する。
しかし、こういう過度の嫌悪感・侮蔑感と言うのは言うまでもなく自分自身の出自とそこへの転落の恐怖を示唆している。

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b)書評」カテゴリの記事

コメント

拝読させていただきました。「貧すれば鈍す」といいます。徳を保つためには一定の豊かさが必要だということでしょうが,竹内氏によれば「富すれば鈍す」ということのようですね。
石原慎太郎が「富でかつ鈍」の代表として扱われているようで,たしかにそうかもしれません。「富でかつ鋭」の人も古来多いとおもいます。まあ,富鈍人でも,ベターなものを建設してくれるならばよいとおもいますが,そういう建設の話は寡聞にしてついぞきいたことがありません。耳にするのは日勤教育のたぐいのものです。ー乱文を失礼いたします。きちんとした日本人がほしいなあ,と日頃感じているもので。

投稿: azumando | 2005/06/26 09:23

竹内洋『教養主義の没落』をお読みいただき、しかも私よりはるかに的確な書評を頂き、有り難うございました。

こういう過度の嫌悪感・侮蔑感と言うのは言うまでもなく自分自身の出自とそこへの転落の恐怖を示唆している。

という点は、実は石原の一番痛いところなのではないかと思います。石原はBこそが薄っぺらで脆いものであることを知っているからこそ、Aを躍起となって攻撃するのでしょう。(「恐怖」そのものは、戦中戦後を知るほとんどの日本人に共通のもので、なにも石原に限られないはずですが)
石原の左翼経験は、ナベツネや氏家(NTV会長?)の左翼経験とはかなり違うものとは思いますが、それでもこの人たちは心の底に「教養に対する劣等感」だけは刷り込まれているようで、論争で負けると巧みにかわす術は知っていても、何処かに「怯え」を見ることができます。しかし小泉首相など、若い日に太陽族そのものをやってきた人たちには(50代後半から60代の2,3世政治家に多い)この劣等感が感じられず、その分ずっと恐ろしい気がします。これこそが「教養主義の没落」そのものではないかと思います。
私はたまたま石原や小泉とは同じ地域で育ち、竹内洋とは、京都と東京の違いはあっても同じ世代で、竹内の危惧(と言ってもよいでしょう)は共感できます。

竹内の『学歴貴族の栄光と挫折』(「日本の近代」第12巻、中央公論新社)は、明治以来のこのテーマを実証的に検証して面白い。
また日本の教養主義の没落とアメリカの現状とは本質は少し違いますが、リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』(みすず書房)は、ブッシュを大統領にしたアメリカの反知性主義の伝統の解説として、読み応えがありました。(原作は‘63年で、ブッシュとは関係ありませんが)
読書計画のお邪魔をしては、と思いつつ、少し図に乗ってご紹介します。(敬称略)

我善坊


投稿: 我善坊 | 2005/06/26 12:04

azumandoさん こんばんわ。「boston滞在記」の記事や写真など拝見しておりますと、おそらくazumandoさんご自身が「きちんとした」日本人代表として暮らしていらしたのかなと思いました。それにしても、素敵な写真ですね。MITのstata centerの写真にはまいりました。(笑)

我善坊さん どうもありがとうございます。かつての太陽族が権力を相続したわけですね。なるほど、それはかなり危ういかもしれないなあ。わたしは安倍晋三、コンディ・ライスと同世代ですから、ひとまわり年下になるようです。さらに危ういかもしれません。(笑)
『学歴貴族の栄光と挫折』もそのうちに読んでみようと思います。『アメリカの反知性主義』はいちど図書館でぱらぱらとめくって、「うん、もうちょっと馬力のあるときにね」と棚に戻しました。これもある場所はわかっていますので、近いうちに。

投稿: かわうそ亭 | 2005/06/26 22:17

かわうそ亭御主人さま、TB&コメントありがとうございまた。
ワタクシとは違ってなんとしっかりとした読書をされていることか。
お恥ずかしいかぎりです。
ワタクシも貴殿のブログを相互リンクに加えさせていただきますが、よろしいでしょうか。
いろいろ勉強させて下さいませ。
では、今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 蘊恥庵庵主 | 2005/06/27 11:12

蘊恥庵庵主 さん こんばんわ。リンクはぜひよろしくお願いいたします。こちらこそ、いろいろ教えていただければ幸いです。

投稿: かわうそ亭 | 2005/06/27 22:52

すいません。一つ質問があります。

石原慎太郎の左翼体験として、

>昭和38年に分派した「日本共産党(日本のこえ)」という組織があっ
>た。石原はこの下部組織の民学同(民主主義学生同盟)の一員で、湘
>南高校に社会研究部をつくったという。

という記述があります。しかしながら石原慎太郎は1932年生まれ、昭和38年(1963)には31歳で、5年後には参議院議員です。

 辻褄が合わないのですが?

投稿: 名乗るほどの質問ではないので | 2006/03/23 10:53

このエントリーを書いたときに参照した『教養主義の没落』の記述を確認致しました。
おそらく75ページの次の記述をもとに書いたようです。
「年譜(『石原慎太郎集 新潮日本文学62』)によれば、一九四八年、一級下の江藤淳の紹介で、湘南中学校の先輩で当時の第一高等学校教授江口朴郎(歴史学者、1911-89)のもとに唯物史観などについて聞きにいっている。民学同(民主主義学生同盟)に入り、校内に社会研究部をつくったりしていたのである。」
いやあ、どこにも日本共産党(日本のこえ)」なんて出ていないぞ。ということは、民学同(民主主義学生同盟)をネット検索して、これが、分派した日本共産党(日本のこえ)の下部組織だという説明を見つけ、このように書いたのだと思います。
おっしゃるとおり、まったく辻褄があいませんので、この「民学同」と「日本共産党(日本のこえ)」はまったく別のものですね。知ったかぶりをして、「かわうそ」ならぬ「嘘の皮」を並べてしまっていたようです。慚じ入るばかりです。
ご指摘ありがとうございました。さっそく、訂正をいたします。

投稿: かわうそ亭 | 2006/03/23 21:37

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