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2005/06/30

歴史学の法王とマチス

「フェルナン・ブローデルの著作を一度も読んだことのない人でも、ブローデルが二十世紀最大の歴史家の一人であることは知っている」(ジャック・ルヴェル)
わたしもまったくこの類いである。図書館で藤原書店の『地中海』を何度か手に取っては、少し考えて棚に戻すという行為を繰り返している気弱な人間だ。
それでも気にはなるので『入門ブローデル』尾川直哉訳(藤原書店/2003)なんて本を読んでみたりする。1991年にメキシコシティで開かれた第一回国際ブローデル学会の基調講演をまとめた論文集である。「ブローデルの資本主義」というタイトルでイマニュエル・ウォーラーステインもスピーカーとして登場しているが、わたしが一番面白いなあと思ったのは、夫人であるポール・ブローデルの「歴史家ブローデル誕生秘話」という講演と、本書の監修をされた浜名優美さんの「ブローデル小伝」である。とくに「ブローデル小伝」にはこの歴史家のさまざまなエピソードが紹介されていて、わたしのような素人にはありがたいガイドだ。
たとえば、1909年にパリ郊外の小学校に入学したときの同級生がジャン・ギャバンだったとか、1926年にアルジェのリセに赴任したときの生徒にアルベール・カミュがいたとか、1935年にブラジルはサン・パウロ大学に赴任したときの同僚にクロード・レヴィ=ストロースがいたとか(しかし、のちにこのふたりは思想的には敵同士になる)、1957年にリュシアン・フェーブルが死去した後「アナール」の編集責任者なるのだが、そのときに登場したのがロラン・バルトであった、などなど。(まあ、単なるミーハーなんだけどさ)

しかし、いちばん気に入った話はこういうものだ。
ブローデルは1939年に動員され砲兵中尉としてマジノ・ラインに赴く。翌年ドイツで捕虜となり、マインツの将校捕虜収容所に収監されたが、ここで資料もなしに博士論文(これがのちに『地中海』となる)を書き始めた。それまでに読み込んでいた膨大な文献資料が頭に入っていたからだという。ルッジエロ・ロマーノの証言——。

さてブローデルはほんとうに出来事の敵だったのでしょうか?事実をまったく、あるいはほとんど区切りもせずにただ積み重ねてゆくだけの歴史にたいしては、たしかに敵でした。でも、それ以外の歴史にたいしてはどうだったのか?ここでフェルナン・ブローデルが信じられないような記憶力の持ち主であったことを忘れてはいけません。テレビのクイズ番組なんかに出場したら毎回優勝していたでしょうね。百万ドルがかかった最後の問題だって答えられたでしょう。みなさんが思い浮かべる国王と法王なら、ひとりのこらず生誕、即位、死去の年月日を知っていましたよ。(76頁)

ちなみにブローデルはコレージュ・ド・フランスの講義の際にはノートやメモ類をいっさい使用しなかったそうな。数字のようなデータはすべて暗記していたらしい。しかし、おどろくのはそれだけではない。この歴史家は収容所から学問的な「父」であるリュシアン・フェーブル(この頃高等研究院第4部門教授で「アナール」を刊行中)にあてて、論文の草稿を送るのだが、第一草稿を送るとさっそく第二草稿に取りかかるのだ。それも推敲や一部の手直しをするというのではなくて、一から書き直しをするのである。フェーブルが受け取った草稿は三つとも四つとも言われるようだが、あきらかではない。
夫人のポールがこう語っている。
そしてあのとき、ほとんど記憶に頼って同じひとつのテクストの新版を次々といくつも書くことによって、悪いところを縮めていったのだと思います。しかも修正するさいには、前の原稿に手を入れることすらせず、頭から最後までまるまる書き直していました。ある日あの人に、あれじゃあ時間と体力の無駄だったんじゃないかしらと言ったら、笑って、ああしかできなかったんだよという返事が返ってきました。そしてこういうのです。「それに、マチスが同じモデルの同じ肖像を毎日毎日新しく描いていた話を教えてくれたのは君自身じゃないか。マチスは毎日毎日デッサンをくずかごに放り込んで、最後にやっと本当に気に入る線が見つかったんだって、批判せずに話してくれただろ。となると、結局、ぼくのやってることとそんなに違わないよ!」

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コメント

「事実をまったく、あるいはほとんど区切りもせずにただ積み重ねてゆくだけの歴史」がアナール派ではないか、という思い込みがあって、ブローデルは未だでした。面白い挿話に、私も読んでみようかと気持ちがそそられました。有難うございました。
実は私もミーハー的な話に一番惹かれました。
エドワード・サイードがカイロからアメリカへ転校するきっかけを作った「いじめっ子」とは、あのオマー・シャリフ(俳優)だという話をどこかで聞いて(「かわうそ亭」さんのこのホームページで教えられたのでしたっけ?)、調べてみたのですが、サイード本人の書いたものには見つからなかったような記憶があります。
これも好きな話です。

投稿: 我善坊 | 2005/06/30 06:47

へえ、面白い話ですね。『戦争とプロパガンダ』(みすず書房)を昨年の7月に読んだときに、サイードの略歴を読書日記にメモしましたが、そこには「カイロのヴィクトリア・カレッジで教育を受けて米国に渡る」としか記していません。その逸話は覚えがありません。ヴィクトリア・カレッジではヨルダンのフセイン国王ともクラスメイトだったみたいですね。

投稿: かわうそ亭 | 2005/06/30 21:56

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