塚本邦雄にとって短歌とは
もともと短歌といふ定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があらう。現実社会が瞬間に変質し、新たな世界が生まれでる予兆を、直感によって言葉に書きしるす、その、それ自体幻想的な行為をあへてする自覚なしに、歌人の営為は存在しない。幻想世界を分析し再組織するには、散文詩の時間的連続ないし非連続性が有効であらう。その世界の葛藤と劇を創り、詳述するには小説、戯曲にまつべきであらう。短歌は、幻想の核を刹那に把握してこれを人々に暗示し、その全体像を再幻想させるための詩型である。
塚本邦雄
「短歌考幻学」
『定本 夕暮の諧調』(本阿弥書店/1988)
偶然ながら昨日から塚本邦雄を読んでいた。今朝の新聞で訃報を知る。ご冥福をお祈りいたします。
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コメント
自分の記事に補足。
「短歌考幻学」の初出は、本書の巻末資料によれば「短歌」昭和39年4月号。
塚本邦雄は1920年生まれだから44歳の頃の文章ということになる。
投稿: かわうそ亭 | 2005/06/11 23:29
僕は最近短歌を作り始めたばかりで、まるっきり無教養で、塚本邦雄氏のことも知らないのですが(笑)、ここに書いてあることは共感できると思います。それは連句に通じるものがあると思います。現代短歌の主なテーマは(塚本氏の主張は違い)「日常」だと思うのですが、それに対して連句は、日常からの「逸脱」がテーマなんです。つまり、「幻を見る」ということですね。最近僕は短歌を作るようになったのですが、「日常」ということにこだわらず、そこから「逸脱」したものもよく作ってます。
投稿: Keiten | 2005/06/12 01:21
上の文章、訂正したいところがあります。
×「塚本氏の主張は違い」→○「塚本氏の主張とは違い」
しかも、「最近短歌を作り始めた」と重複して言ってますね。もっと推敲してから送信しないと……。
投稿: Keiten | 2005/06/12 01:24
こんにちわ。40年前に塚本邦雄がこのような宣言をあえてしなければならなかった歌壇やら社会の背景を、わたし自身も実感することがむつかしいのですが、右にはリゴリスティックな「写生」派がおり、左には勤労大衆の「現実」を詠めと叫ぶ馬鹿がおり、真のアヴァンギャルドはつらいよ、というようなことではなかったと勝手に想像しています。しかし、おっしゃるように、このマニフェストはいまでも古びてはいないですね。
P.S.
掲示板と違ってブログのコメントは管理者しか修正できないのが不便ですよね。もし、訂正をした方がよければ、遠慮なくおっしゃってください。
投稿: かわうそ亭 | 2005/06/12 21:35