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2005/07/15

理性を信じない人々との共生(その1)

昨年末に読んだ『ヨーロッパとイスラーム──共生は可能か』内藤正典(岩波新書/2004)をざっと再読。本書が取り上げているのはドイツ、オランダ、フランスの三国でイギリスの分析はない。その理由を著者はこのようにあとがきで語っている。

イギリスに暮らすムスリム移民の多数は、インドかパキスタン、バングラデシュなど、旧植民地からの移民である。イギリスの植民政策自体が、大英帝国のアジア・アフリカ支配の歴史と深く関っている。イスラームとの関係よりも、旧植民地(英連邦)出身者としての特殊な地位に焦点を当てる必要があるため、紙幅の関係から割愛せざるを得なかった。
しかし今回のロンドンの事件の背景についての記事をBBCニューズで読むかぎりでは、基本的な構図はイギリスにおいても他のヨーロッパ諸国と同じような印象をうける。そのあたりを以下メモとして。(おそらく何回かにわけて書くことになりそうだ)現地の事情に詳しい方のご教示がいただければ、さらにうれしい。

『ヨーロッパとイスラーム』によれば、西ヨーロッパのムスリムの人口は現在1千5百万人から2千万人と推計されると言う。ずいぶん数に幅がある。それだけ人口統計で拾うことがむつかしい人々なのだろう。
ヨーロッパは第二次大戦後の復興に必要な重労働や危険作業をいとわない労働者としてムスリムを大量に受け入れた。この頃は、ヨーロッパにとってもかれらは単なる出稼ぎ労働者であり、別に目障りな存在ではなかった。不適切なたとえかもしれないが、華やかなホテルのパーティ会場に集う人たちにとって、トイレ掃除のオバサンや重いテーブルを運ぶ会場設営係の男たちは見えても「いない」のと同じような感じだったのではないかと推測する。ムスリムの人々にとっても、それはそれほど問題ではなかった。かれらにとって、ヨーロッパ、上のたとえで言えば「ホテル」は単にカネを稼ぐ場であり、着飾った人々がかれらを無視しようと、あるいはわざとらしく人間として認めているよと言わんばかりに挨拶をしてくれようと、そんなことはどうでもよかっただろうと、わたしは思う。大切なのは、故郷だったはずだ。いずれ本国に帰り同胞の尊敬を得ることができればそれでよかっただろう。

BBCの記事によれば、転機は1970年代だったという。『ヨーロッパとイスラーム』では1973年と特定している。第一次オイルショックで経済の先行きが不透明になり失業がヨーロッパの人々にのしかかると、それまでの外国人労働者の受入れが問題視されこの政策をヨーロッパ各国は停止する。出稼ぎのムスリムには不安がよぎったが、しだいにあきらかになったことは別の事態だった。新たな出稼ぎ労働者の受入れは締め付けるが、すでにヨーロッパにいるムスリムの定住は認める。さらに、それだけでなく、ヨーロッパ人権規約によりかれらに「家族の統合」を基本的人権として認めるということが明らかにされたのである。早い話が、本国から妻子の呼び寄せが可能となったのだ。
出稼ぎから、定住移民への転換である。

移民には多くのムスリムが存在していたので、ヨーロッパ社会はイスラーム社会を内包することになった。ムスリムは、単身で生活するときよりも、家族で暮らすときの方が、はるかにイスラーム的規範や価値に敏感になる。イスラームでは、信徒共同体の統一性をたいへん重んじるのだが、その共同体の基礎は家族にあると意識しているからである。
ヨーロッパには、イスラームが禁じる酒や売春、そして麻薬にいたるまで、あらゆる欲望が渦巻いている。労働者たちは、自分たちだけならいざしらず、配偶者や子どもがイスラームの道を踏み外すことに恐怖を覚えた。そこで、イスラームの信仰実践に熱心になっていき、同じ思いを抱く信徒同士の結合が促進されたのである。
『ヨーロッパとイスラーム』p.14

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