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2005/08/24

河村瑞賢と鈴木清風

『川の名前で読み解く日本史』岡村直樹・監修(青春出版社/2002)から。

江戸時代、淀川の治水に功績のあった河村瑞賢という人物がいる。洪水がおこるたびに天下の台所が水浸しでは困るということで、幕府が調査にあたらせた。瑞賢は洪水がおこる原因が淀川と大和川の河口出口をふさぐかたちになっていた九条島にあると原因をつきとめ、この九条島を貫くかたちの新しい水路をひらく工事を行った。こうしてできたのが幅90メートル、長さ1.5キロの安治川である。当時の地形は、いまの地図からは想像することがむつかしいが、中之島から弁天埠頭あたりまでの運河をひらいて水はけをよくしたという感じだろうか。安治川の安治とは瑞賢の名前だとか。
この河村瑞賢(1618 - 1699)という人は面白い人のようで、もともとは三重の貧農の息子だったが、江戸で人夫から身を起こし、材木で財をなした。明暦の大火のときに木曽の山林を買い占め、復興需要で莫大な資産を築いたという。その後、土木や治水の大事業を幕府から請け負うような豪商となったのでありますね。

この人は酒田の繁栄にもたいへん重要な役割を果たしている。
江戸時代の日本の物流は、阿武隈川河口から江戸へと向かう東廻り航路と、酒田から下関を経て、大阪さらに紀州を経て江戸へと向かう西廻り航路のふたつのルートがあり、これが物資の大動脈となっていたのですが、このふたつの海運ルートをつくったのも河村瑞賢であった。酒田からは米ももちろん輸送されたのですが、この地方に莫大な富をもたらしたものはじつは特産品の紅花であった。

紅花は主産地である村山盆地から大石田に運ばれ、船積みされて最上川を酒田まで下り、廻船で京、大阪へと向かった。紅花を扱う商人として名を馳せたのが鈴木清風である。京都、大阪での紅花の需要はひきもきらず、まさに金のなる植物だった。当時は一反歩の紅花の利益は三反歩の田の稼ぎに匹敵するといわれたと伝わっている。
その紅花を商う商人たちは「紅花大尽」と称され、大きな財を積み上げていったのだが、なかでも清風は豪商の名を欲しいままにしていた。
ここでぴんときた人はえらい。「おくのほそ道」で芭蕉が「 尾花沢にて清風と云ものを尋ぬ。かれハ富るものなれども心ざしいやしからず。都にも折々かよひてさすがに旅の情をも知たれバ、日比とヾめて長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る」とあるのがこの鈴木清風。
この人は、あんまり大儲けがすぎると、江戸の商人に紅花の買いつけボイコットをされたことがある。買い手がつかなければ、大損をするはめになる。しかし清風はあわてなかった。品川の浜にうずたかく積まれた荷を焼いて灰にした。紅花の値が急騰した。最高値とみるや、清風は焼いた筈の紅花を一気に売りまくって莫大な利益をあげた。じつは焼いたとみせた紅花はカンナ屑で本物の紅花は隠していたいうから抜け目がないや。

この本に出てくる川は、淀川、九頭竜川、球磨川、利根川、筑後川、多々良川、千曲川、姉川、手取川、長良川、四万十川、信濃川、吉野川、富士川、天竜川、最上川、北上川、石狩川、その他。コンパクトにまとまってなかなか面白い本であります。

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コメント

お邪魔します。酒田つながりでトラバさせていただきました。

投稿: 福島のこやなぎ | 2005/08/25 04:53

TBどうもです。酒田駅の写真拝見しました。屋上の時計がいいですね。

投稿: かわうそ亭 | 2005/08/25 21:58

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