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2005年9月

2005/09/28

日本の選良

休日の朝、ワイドショーを見ていたら杉村太蔵衆院議員(26)の記者会見をやっていた。
あんまり笑ってばかりもいられないが、コメンテーターの意見も街の声も概ね好意的で、「早く料亭に行きたい」なんて、面白いこと言う子だよねえ、あんまり神妙になっちゃうとつまんないよね、という感じ。人なつこい顔立ちで、得してるんだろうなあ。若者の意見を代弁、というと聞こえはいいが、若ければいいってもんでもなかろう。
たまたま、読んでた『辻まことの世界』矢内原伊作編(みすず書房/1977)のなかに、「建設的発言」という風刺画文がある。巻末の「解題」によれば1966年11月から1967年3月にかけて「サンケイ新聞」の読書欄に掲載された「文明戯評」のひとつ。
引用する。40年前の戯評であっても、いまの戯評であってもかまわない。たぶん40年後も同じことだろう。
PICT0002.JPG
 
「建設的発言」

飼育された
若い意見は叫ぶ。
そとへ出たいわけではない。
別の檻が欲しいんだ。

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2005/09/27

メゾン・ド・ヒミコ

ベント・ハーメル監督の「卵の番人」というノルウェー映画のことが、前からなんかひかかっていたのだが、最近、屁爆弾さんのブログ(ここ)で、この映画についてちょっとした会話があって、ああ、なるほどと、やっと腑に落ちた。屁爆弾さん曰く、

あんなに老いて初めて自分が卵の殻の中にいたことに気づくあの弟は結果的に新しい卵に追い出されてしまうわけですが、老いてから、自分の巣に「定員オーバー」を宣告されることの残酷さ。
おもわず、ぽんと膝を打ちましたね。あ、そうか、そうだよね。

さて、書こうと思ったのは「卵の番人」の話ではなくて、じつは「メゾン・ド・ヒミコ」のことだった。
しかし、この映画もある意味では卵の番人のオハナシ。
ここで卵というのは、シェルターと言ってもいいし、もっと単純に居場所と言ってもいい。
自分の居場所というのは誰にとっても、生きてゆく上でのもっとも大切な要素だと思うが、ことにそれが老いたゲイの場合は切実だろう。
メゾン・ド・ヒミコは年老いたゲイのための老人ホーム。オーナーは、引退した銀座の伝説的なゲイバーのママ卑弥呼である。これを舞踏家の田中泯が演じるのだが、ただそこにいるだけで、圧倒的な存在感がある。(末期癌という役柄を鍛え上げた身体が裏切っているが、それはそれでいい。ファンタジーである)
PICT0003.JPG

ホームの住民であるゲイたちは、陽気さと哀しみの両方を同時にもつ不思議な人々だ。自分は自分の気持ちに正直に生きてきたのだという誇り。どうしても女の服が着たくて仕方のなかった自分、どうしても同性にしか性的な関心を持てなかった自分、そういう自分を社会生活の中では隠して生きて来ざるをえなかったゲイの人々が、寄り添って、老いという未知の領域を共に生きて行こうとする。ゲイであることでうける差別ははじめから覚悟のことだったかもしれないが、自分がゲイとしてしか生きられないことを告げたことによって、おそらく両親や兄弟姉妹を傷つけたこともあっただろう。妻や自分の子供を得てから、自分がゲイであることを明らかにした人もいるだろう。
だから、お盆に燈明を灯し、茄子と胡瓜の牛馬をつくり、セピア色した家族写真の写真立てをいくつもいくつも並べて行く老人たちの姿は、切ない。
オダギリジョーは、美しいゲイの若者を演じてすっかりはまっているし、柴咲コウは、この映画では眉間にしわを寄せて相手を睨みつけるブス顔を強調してこれまた出色。おかしくてやがて哀しいゲイの皆さんもそれぞれ達者な役者やホンモノのオカマが演じて(いやホンモノの場合は演じてはいなくてそのままで、これはこれで味があります)とてもいい映画に仕上がっているのではないでしょうか。
平日のお昼のプログラムにしては、観客もそこそこで、やはり話題になっているのかな。

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2005/09/24

『東京奇譚集』村上春樹

村上春樹さんの新作、『東京奇譚集』(新潮社/2005)を読んだ。
温めたフライパンの上をバターが滑っていくように、あんまりすらすら読めるのが問題といえば問題かもしれないなあ。一篇、一篇、ちびちび読まないと、すぐ読み終えちゃうのでもったいない。
(今日はこれ一冊しか持って行かなかったから、通勤の往復で二回読んでしまった。そういう本もわたしには珍しい)haruki murakami new book
「偶然の旅人」、「ハナレイ・ベイ」、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、「日々移動する腎臓のかたちをした石」、「品川猿」 の五つの短編が収録されている。最後の作品は書き下ろしだそうだが、残りは文芸誌に発表されたものらしい。月刊の文芸誌はむかしから読んだことがないので(あんなもの誰が買って読むのだろう)、わたしにとっては全部新作でうれしい。どれも素敵なオハナシで、読み終えたあとで、しばらく「ぽわー」と幸せな気分につつまれる。これはなかなかすごいことであります。
本の中身は読んでのお楽しみということで、ここでは書かないが、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」とか「日々移動する腎臓のかたちをした石」なんて題名は、グレイス・ペイリーやレイモンド・カーヴァーの短編小説にあってもおかしくないような気がするな。まあ村上春樹ごのみの題名と言えそうだ。
これに対して、「品川猿」とはいかにもそっけない。で、これはわたしの想像だが、この題名は『新宿鮫』を踏まえていますね、きっと。もちろん内容は全然違うのですが、一点だけ、このオハナシのなかの脇役に警視庁の人でもないのにお巡りさんみたいな若者が出てくるんだな。かれの名前が、桜田くん。ほらね。

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2005/09/23

『わが手に雨を』グレッグ・ルッカ


『わが手に雨を』グレッグ・ルッカ/佐々田雅子訳(文芸春秋/2004)
グレッグ・ルッカは『奪還者』しか読んでいないが、そのうち全作品を読みたいと思っている作家のひとり。雨の日や晩秋の休日にはハードボイルド小説は孤独な心の友である。

本書の主人公ミム・ブラッカは、探偵でも警官でもない。ワールド・ツアーを行うようなロックグループの女性ギタリストだ。アルコール依存症の問題を抱えている。貧乏白人の両親のもとに生まれ、子供のときに酔っぱらった父親が母親をピックアップ・トラックで轢き殺したために父親が殺人罪で収監され、兄と二人、里子にだされたという過去をもつ。酒のトラブルでバンドから一時休業を言い渡され、故郷のポートランドに帰ってくるところから物語が始まる。帰宅早々トラブルに巻き込まれ、兄からは憎い父親が出所したと聞かされる——

ハードボイルドの定型は、卑しき街をゆく高潔の騎士物語だが、本書の場合は、いささか勝手が違う。まず主人公は、単純にいえば狙われた獲物である。暴力にさらされ、無力をかみしめ、怯え、言いなりになる。さらに酒に手を出すと、意識がなくなるまで酔っぱらうという破滅型の人間で、主人公はほんとうは助けを必要としている。高潔な騎士どころか一番ちゃんとしていない人間なのである。だから、この小説はもどかしい。(ええい、うなるほど金があるのに、なんでプロのセキュリティを雇わんのだ)
しかし、やはり、本書はハードボイルドの定型をかたくなに守っているとも言える。それは人はやり直すことができる、もし「卑しき街をゆく高潔の騎士」と同じような気概をもつことができれば、というテーマなのだと思う。
派手なアクションや、大仕掛けなどんでん返しもない。本書を読んで得られるカタルシスはじわりときいてくる風のものである。ロックミュージックとハードボイルドの相性は結構いいようだ。

ところで、本書についている北上次郎氏の解説は、およそあほくさい、無内容なもので、本書の値打ちをむしろ下げるだけだ。なんで、こんなものをわざわざ単行本につけなきゃならんのか。販促、営業上の政治的な取引でもあるのか。まったくくだらない。あんまり読者を馬鹿にしない方がいい。
ひさしぶりに佐々田雅子さんのいい翻訳を堪能したあとだけに、げんなりした。

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2005/09/22

定型の底力

『名句十二か月』岸本尚毅(富士見書房/2000)から。谷川俊太郎「ことばあそびうた」の引用を読んで大笑い。これ五七五です。二三度声に出して読むと暗唱できますね。

  はかかった
  ばかはかかった
  たかかった
  はかかんだ
  ばかはかかんだ
  かたかった
  はがかけた
  ばかはがかけた
  がったがた
  はかなんで
  ばかはかなくなった
  なんまいだ


蛇足ながら、意味がわからんと言う人がいるといけないので。

墓買った/馬鹿墓買った/高かった
墓噛んだ/馬鹿墓噛んだ/硬かった
歯が欠けた/馬鹿歯が欠けた/がったがた
はかなんで/馬鹿はかなくなった/ナンマイダ

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2005/09/21

スコットランドの漱石

1902年の秋、帰国を間近に控えた夏目漱石は、ジョン・ヘンリー・ディクソンという人物の招待でスコットランドのピトロクリを訪れた。このスコットランド体験が、漱石の文学や思想に決定的な影響を与えたのではないかという説がある。
『スコットランドの漱石』多胡吉郎(文春新書/2004)は、これまでの漱石の評伝において、あまり重大視されることのなかったこのスコットランド旅行に焦点を当てて、その説を展開したものだ。じつに興味深いし、専門家の意見も聞いてみたいが、かなりいい線を行っているのではないかと素人的には思う。PICT0007.JPGところで、本書のなかになぜかグレン・グールドが登場する。
じつは、グールドは漱石の『草枕』を「二十世紀の小説の最高傑作の一つ」と評していたんだそうな。ラジオ番組で英訳の『草枕』の第一章を朗読したこともあるし、1982年に五十歳で死んだときに枕元にあったのは、聖書と『草枕』であったとか。へえ、でありますね。
グールドと『草枕』を著者はスコットランドでつないで解説している。グールドの母親はスコットランド系。グレンという言葉はスコットランドのゲール語で谷を意味する。しかし、著者が言いたいのはそういう血脈的なことよりも、スコットランドの自然が漱石に与えたであろう影響を「不人情」——英語訳「detachment」——から説いたものだ。この本は面白い。

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2005/09/20

宗教と科学

 死に消えてひろごる君や夏の空   三橋敏雄
 冬麗の微塵となりて去らむとす   相馬遷子

  photo: Voodoo Zebra on Flickr
 Voodoo Zebra今日の朝日新聞に梅原猛さんが「二種廻向と親鸞」というエッセイを書いておられる。(「反時代的密語」)
悪人正機説より、親鸞の思想で重要なのは二種廻向(えこう)である。称名念仏によって極楽浄土へ旅立つ「往相廻向(おうそうえこう)」と、極楽浄土から、衆生救済の為にまたふたたびこの世に生まれ帰る「還相廻向(げんそうえこう)」。ゲノムというのは、まさにこれではないか、という内容だ。
この見解は15年以上も前に『誤解された歎異抄』梅原猛(光文社/1990)で、述べておられたものとほぼ同じように見えるが、今回のエッセイでは、次のような結語が印象に残る。

悪人正機説に甘える近代真宗学には、永遠性の自覚と利他行の実践の思想が欠如しているように思われる。二種廻向の説を中心として近代を超える真宗学を樹立することが切に望まれる。
自分のアーカイブから古いもの引き出してくるのはいささか気がひけるが、これに関連した文章をふたつばかり再録しておきたい。

かわうそ亭読書日記2004年6月6日(日)の条
『われわれはなぜ死ぬのか—死の生命科学』柳沢桂子(草思社/1997)を読む。著者の本を読むのはこれがはじめて。生命にとって死は必要なものか、という問いは素人にとっては不思議なものに思える。生命に終わりがあるのは当たり前だと教えられてきたからだ。
しかし、原初に誕生した生命というシステムにはかならずしも死という機構は必要ではなかったのかも知れない。
ただし、死という機構をもったシステムだったからこそ生命は不死のまま36億年の時間旅行をいまも続けている。分子レベル、細胞レベルの死の仕組みによって生命は形態をもつことができ、個体レベルの死の仕組みによって生命は時間を超えて自己を伝えていくことができる。死と生命はそういう意味で同じものである。
しかし、われわれが普通に考える死はそういうものではない。われわれが考えるのはあくまで自分という意識の死である。ほかならぬこの私が死んで全宇宙のなかに存在しなくなることが死ぬということだと考える。ここをどう受けとめるかというのは、やはりむつかしい。

この日記に反応してくださった方の掲示板の書き込みに対する返事の一部。

ビッグバン宇宙論が説くように、もしいまこの宇宙に存在するすべてのモノが、われわれのこの宇宙の始まりのその瞬間に一点に凝縮していたとするなら、「わたし」というこの意識ももとをたどれば始源の宇宙の卵のなかにすでにあったのでしょうか。この宇宙に在るすべてのものは「使いまわし」だとすれば、「わたし」は死んでもまた別の形で「使われる」のでしょうか。往相回向と還相回向というのを、ぼくは勝手にそういう風に理解しているんですけれどね。

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2005/09/19

京極杞陽

 春風の日本に源氏物語
 秋風の日本に平家物語

かつて京極杞陽というホトトギスの俳人がこの二句を並べて発表した。
人をくったような句だが、なるほど、源氏物語には春風、平家物語には秋風だろう。

京極杞陽は明治41年(1908)生まれ、昭和56年逝去。享年73歳。
本名、京極高光。守護職、但馬豊岡藩主京極家の末裔である。
昭和19年、教育招集に応召したときの句。

 春風や但馬守は二等兵

これまた、人を食った句である。しかも、入隊、即日除隊である。なにしろ子爵京極家十四代当主である。格好だけの入隊であったのか。戦後、宮内省を退庁、貴族院議員に選出。
しかし、お気楽な殿様人生かと言えば、かならずしもそうとも言えない。十五のときに関東大震災で家屋敷を焼失、両親と兄弟を一度に失った。
俳句は、あくまで飄々、洒脱。ホトトギス一派の懐の深さを感じさせる。

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2005/09/18

政治資金のホワイトバンド

ホワイトバンド「ほっとけない世界の貧しさ」キャンペーンに対する賛否両論がかまびすしい。キャンペーンのサイトには、これは募金ではなくて、日本政府の対外援助政策の変更を要求するNGOの政治資金にすると明記してあるから、別に詐欺ではない。そうと知らずに買っても、それはよく調べない方が悪いよ、まあそれにたかが300円じゃないの、ということらしい。有名人がウェブや広告に大々的に登場したり、インタビューのときに、腕まくりした手首からちらっと白いシリコン・バンドがのぞいたりして、お洒落でカッコいい、ということなんだろうか、買いたくても売り切れているので、予約待ちが100万人という単位なんだとか。
賛否の意見はググればいやというほど出ているから、ここでいちいち紹介は控える。
わたしの個人的な意見は、「おれ、いらねえ」であります。
そういえば民主党の新党首、前原誠司氏もこのホワイトバンドをつけていますな。(辻元清美と鈴木宗男もつけていることをあとで知りました。なんというわかりやすさ(笑))

ざっと、いくつかのブログを見ましたがこのキャンペーンの広告塔を自ら買っている「セレブ」の名前をきちんと列記してしているところが案外少ない。
今日現在、ホワイトバンド・プロジェクトのサイト(ここ)でカッコいい写真とともに、「celebrity 賛同する各界の著名人」に登場しているのは以下の14人です。(一応事実の記録として)

  MISIA
  SHIHO
  TERU(GLAY)
  カヒミ・カリィ
  一青窈
  宮沢和史
  THE BOOM
  村上龍
  中村勘三郎
  中田英寿
  藤原紀香
  北島康介
  柳楽優弥
  櫻井和寿

このホワイトバンド・キャンペーンに対する批判側について、ややもの足りないのは、主催者サイドの売り上げの使途明細の比率をそのまま使っているところですね。こういう商品には当然、損益分岐点というものがあるんではないか。
むしろ、いったんこれを営利企業「ほっとけない株式会社」の新商品として考えてみた方がわかりやすくないかなあ。こういうことだ。

この新商品ホワイトバンドの材料はシリコンである。原料費はおそろしく安いだろう。製造加工も、要は太いゴム輪であるからほとんど数工程である。百均ショップの商品の原価を考えれば、このホワイトバンドの原価はさてどれくらいだろうか。ここで大事なことは、売り上げの規模だ。50万個売れるのと、500万個売れるのでは、その利益は全然違う。しかも、この「ほっとけない株式会社」は「従業員」は手弁当の人が多いだろうから人件費はあまりかからないはずだ。広告宣伝費は結構つかうだろうが、上に出てくる「セレブ」の皆さんは、たとえば中田英寿がトヨタやキャノンに請求するギャラを、同じように要求しているのだろうか。しかし、その宣伝効果はこういう大企業と同等かそれ以上だろう。製造物責任も長期保証も必要なし。(ホワイトバンドしてる奴ってだまされてんだろ、ダサイよな、となればただのゴミである)
こうしてかりにこの新商品ホワイトバンドが500万個売れたとすると、その売り上げは15億円。原材料費、製造加工費、人件費、広告宣伝費、その他経費を引いた経常利益はどれくらいなのか。批判者のサイトも、公平を期してNGOが政治資金にするのは、主催者が公表している売り上げの1割としている。15億円の売り上げがあれば1億5千万が政治資金というわけだ。へえ。メーカーの経理部の皆さんにぜひ聞きたい。もしこれが上に述べたような業態の営利企業「ほっとけない株式会社」だったら、経常利益1億5千万計上で大丈夫でしょうか。国税当局は、うん、まあそんなもんだよね、と言ってくれるでしょうか。あるいは連中、こう言うのでは。
「それって、もしかして利益と費用が逆じゃないのかね」

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2005/09/16

お笑い中国共産党

以下は『中国激流 13億のゆくえ』興梠一郎(岩波新書/2005)を読んだわたしのただの空想である。むろん、ほんとうにあの中国サマがこんな国であるわけがないと、わたし自身は強く確信している。たぶんしてると思う。してるんじゃないかな。ま、ちと覚悟はしておけ、ト。

むかしむかしではない、いまの中国にある村落があるらしい。ある日、地方の役人がやってきて、党の方針でここに工業団地をつくることになったから、おまえらここから出て行けと言いました。
「いいですか我が国は社会主義社会です。社会主義社会では地主や資本家の私有財産であった土地は人民のものです。たしかに農村の土地は農民の集団所有ですが、しかし憲法の定めで開発に際しては国有に名義変更されます。わたしたちは必要に応じて土地の収容ができるようになっているのです。もちろん、みなさんにはきちんと国が補償をいたしますよ。ははは」
学校やら中央からイナゴのようにやってくるお役人の給料は地方の負担だから地方の税金は苛酷だ。とても零細な農業だけでは税金が払えず、働き盛りの男は都会に出稼ぎに行っている。残された年寄りや女子供が泣いてお慈悲を乞うが、もちろん聞いてはもらえない。中国は三権分立ではない。検察も裁判所も全部、統治を行う地方の党書記長の下に置かれている。だから、おおそれながらと訴え出ても無駄である。農民はひそかに、北京に代表を送って、中央政府に窮状を訴え出ようとする。密告者をはりめぐらしている地方公安当局はその代表を途中でつかまえて連れ戻しみせしめに拷問で殺してしまう。
ところが国からおりたはずの立退き料は、共産党の幹部とその親戚縁者が全部横領している。しかも工業団地ができるはずが実際に出来るのはモダンな高層マンション街である。農民は工業団地で雇用が生まれると聞いていたのだが、そんなことは共産党の偉いさんはすっかり忘れたふり。もちろん高級マンションなんか農村の人間は買えない。近隣の都市部の成金向けの住宅なのでありますね。それにしても高くないかこのマンション。
「よろしいですか。我が国は市場経済社会です。当然、この住宅には使用権が付いているわけですからその分は、ちゃんと払ってくださいね。市場経済ってそういうものですよ。ははは」
ただ同然で収容した土地を党幹部の縁者やら愛人がやっている不動産会社に売って地方政府は役人の給料の原資にする。不動産会社は買い値には入ってなかった使用権を堂々と上乗せした価格でマンションを販売して、暴利を貪る。役人には賄賂やらリベートが公然と渡る。こうして蓄財に励んだ役人は、資産を海外に移していく。
村を追われた人たちは仕方がないので、都市に出稼ぎに出ている父ちゃんのもとに身を寄せる。しかし、中国では農村戸籍と都市戸籍がはっきりわけられている。暫定居住証があれば労働はできるが、教育や医療補償や社会保険の適用は受けられない。もぐりのお目こぼし住民だからね。それでもかれらには帰るべき故郷の村はもうないのであります。
めでたくもなし、めでたくもなし。

ソ連共産党が絶対権力を誇っていた頃のジョーク。
母親を黒海の別荘につれていったフルシチョフが、豪華絢爛たる家具と美術品、眩い宝石、極上の料理、何台もの高級車、美しい猟犬をつぎつぎに見せたが、母親はこわばった顔のまま。
「お母さん、お母さん、どうして喜んでくれないんです。このわたしたちの暮し、素晴らしいとは思わないんですか」
「そりゃあ、素晴らしいとは思うさ、ニキータ」と母親。それから、ひそひそ声で、
「でも、どうするんだい、おまえ。もしまたあの共産主義者たちが戻ってきたら」

いまの中国の政権が進めている改革開放政策には、ふたつの正反対の批判論調があると本書はいう。
ひとつは自由主義派で、いまの不公正と人民の格差は市場経済のせいではなく、共産党一党独裁の政治体制が悪いのだと考える。縁故資本主義、官僚資本主義だから駄目なのであって、普通選挙を行い、憲法、議会、司法制度を西側と同じように民主化すれば中国は豊かで公正な社会を実現できると主張する。
もうひとつは新左派と呼ばれるグループである。かれらは、いや市場経済そのものが、貧富の差を拡大再生産していくプロセスだから、中国はむしろ毛沢東の文化大革命の時代に帰るべきだと主張する。あの時代は、貧しかったけれどこんな不公正な社会ではなかったというノスタルジアであります。
どっちが正解かは考えるまでもないが、まあ、よそさまの国のことだ。自分たちで決めればいいのだろう。まともに民主化したら国内がばらばらになって収拾がとれなくなって混乱するかもしれぬ。左派の復活を許せば、また文革時代のような狂気が再現するかもしれぬ。時間をかせぎながら指導者は民主化にソフトランディングするという方針なのか。それとも、独裁体制を守り抜いて行けると思っているのか。
いずれにしても、わたしはいまの中国には好意をもたない。

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2005/09/14

ブローデル、みょうばん、梨木香歩

ブローデルの『地中海』の第2巻を読んでいると、16世紀にはセビーリャ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなど地中海の都市間で様々な物資の取り扱いをめぐる駆け引きやスパイの暗躍ががあったこと、あるいはネーデルラント、ノルマン、イギリスなどからの冒険商人や海賊たちが、地中海の交易に乗り込んできたこと、新大陸の銀の流入による貨幣価値の劇的な変化があったことなど、いろいろな要素が複雑にからみあって不思議な光景が見えてくる。大小の商船で運ばれる物資も、金、銀、小麦、織物などさまざまだが、そのなかで明礬(ミョウバン)が重要な商品として扱われていることが、わたしには面白かった。

調べてみるとオリエントの明礬は古くはローマ帝国時代から、染色の媒染として用いられていたようだ。ブローデルの『地中海』の時代(16世紀)には、この媒染の原料はヴェネツィアなどから、フランドルやイギリスに向けて送り出された。この地域の毛織物業に欠かせない物資だったのでありますね。

面白いなあ、と思ったのは、たまたま平行して読んでいたのが梨木香歩さんの『りかさん』と『からくりからくさ』だったからだ。
『りかさん』には主人公ようこちゃんの祖母が桜の枝を煎じて絹の反物(人形の着物のための)を染める場面がある。

「よし、じゃあ、りかの言うとおりそれを煎じようじゃないか。茄子漬けに使った焼きみょうばんがあったから、あれを媒染にしよう。反物とか、鍋とか、準備するから、ようこはその枝をこのはさみと小刀で細かく刻んでおいで」(p.196)
このようこちゃんが、成長して染織家となり、織物や手仕事を生業とする女たちと共同生活をする物語が『からくりからくさ』である。

染め物をする人には常識なのだろうが、媒染がどういうものであるのか、わたしはまったく知らなかったなあ。ネットで調べると、これがどういうものかおおよそのイメージはつかめる。(たとえば、【ここ】)
もしかすると、こういう媒染のノウハウというのは、かなり古い文明にまでその起源が遡れるのじゃないかしら。同じひとつの文明から東は中国、朝鮮、日本へと、西にはギリシア、ローマ、北欧へと伝わったもののような気がする。

それにしても、おばあちゃんが言ってるみたいに明礬って茄子漬けに使うものだったのか。カミさんに聞いたら、うちにだってあるわよ、あったりまえじゃない、と言われた。いや、そんなこと、たいていの男は知らんよ。

上のサイトやほかの染色をテーマにしたサイトで知ったことだが、古代日本では天然の明礬が稀少であったことから、紫根染めの媒染剤には椿の灰をつかった。

紫者灰指物曽 海石榴市之 八十街尓 相兒哉誰
紫は灰さすものぞ海石榴市の八十のちまたに逢へる子や誰れ
(巻12ー3101)

奈良県桜井市の金屋周辺が海石榴市(つばいち)の跡であるとされて歌碑も建っているようだ。椿市がなぜ海石榴市なのかとか、ここで媒染剤としての椿の灰を扱っていたのだろうかとか考えてみるのも楽しいことではある。あるいは、奈良時代の人が明礬の代用品をいろいろ試してみて、椿の灰が一番いい発色があることを発見するまで、どれくらいの試行錯誤があったものなんだろうかとかね。
PICT0002.JPG
ところで梨木香歩さんの上記の二冊は素晴らしい本です。
『りかさん』で、たぶん読者は、なにか忘れ物をしたみたいなんだけどなんだろうなあ、と首を傾げるだろう。そして『からくりからくさ』を読んで、ああ忘れ物はこれだったのか、とひとまず理解と納得が得られるだろうと思う。でも、そういう理解のさらに外側に、まだなにか大きな——しかもかけがえのないほど美しいという記憶だけは残っているような——忘れ物をしているような気がして思わず考え込むのではないだろうか。それを考え続けさせるところにこの小説のよさがあるように思う。
まあ、いくつか不満な点もあるのだが、それを補ってあまりある豊かさで、わたしはこれを高く高く買う者であります。

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2005/09/07

樋口一葉とモンゴメリー

『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』田中優子(集英社新書/2004)は、変わった題名だなあ、と思いながら読み始めたのだが、これはたいへん面白いだけでなく、これまでにない樋口一葉像をわたしたちの前に立ち上がらせてくれた、いい評論だと思う。
ところで、本書のなかに、著者が教えている大学生たちが、むつかしくてわかんない、しょうがないので現代語訳を読んじゃった、なんて言う声が紹介されていた。えっ、樋口一葉の現代語訳なんてあるのか、と思わずのけぞったが、ネットで調べてみるとたしかにあるね。
現代語訳樋口一葉「十三夜 他」藤沢周/阿部和重/篠原一訳(河出書房新社)
【ここ】
「パンク派新人三人が翻訳」と書いてある。ま、いいけど。

それで、思ったのだが、先日書いた『赤毛のアン』のモンゴメリーと、樋口一葉はじつは似たような年回りである。モンゴメリーは1874年生まれ、一葉は1872年生まれ。一葉の『たけくらべ』が発表されたのは1895年、「文学界」の連載だった。『赤毛のアン』の出版は1908年。
作品の舞台を見て行くと、11歳のアンがグリーンゲーブルズにやって来たのは、だいたい1882年前後と思われ(注)、14歳(たぶん数え年)の美登利が少女から大人になるのは、作品発表当時と同じ1885年のあたりだと思われる。
要は、『赤毛のアン』と『たけくらべ』は同時代の作品というわけだ。
このふたつの作品とも、テクスト全文がネットで入手できる。こころみに、それぞれの冒頭を並べてみる——

Mrs. Rachel Lynde lived just where the Avonlea main road dipped down into a little hollow, fringed with alders and ladies' eardrops and traversed by a brook that had its source away back in the woods of the old Cuthbert place; it was reputed to be an intricate, headlong brook in its earlier course through those woods, with dark secrets of pool and cascade; but by the time it reached Lynde's Hollow it was a quiet, well-conducted little stream, for not even a brook could run past Mrs. Rachel Lynde's door without due regard for decency and decorum;  .......

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし(以下略)

どちらも、長いセンテンスなので途中で切ったけれど、たしかに樋口一葉の方は現代語訳の余地があるかも知れないなあ。(しかし、近代文学専攻ならちゃんど原文読めよ、大学生(笑))そこへ行くと、英語と言うのは、いま読んでも(多少言い回しがまわりくどいが)基本的には変わらない。

(注)
『アンの夢の家』では、総選挙で自由党が18年間ぶりに保守党から政権を奪ったことになっている。カナダはたしかに1878年から1896年まで保守党が政権を握っていた。この『アンの夢の家』の最初のところで、マリラが昔を回想して、「アンがグリーン・ゲイブルズにやって来たのは14年前だった」と語っている。ここから計算すると、アンがアボンリーに来たのは1882年となり、彼女の生年は1871年となる。ただし、これに矛盾する時代背景もあって(たとえば、アンとダイアナがミス・バリーの家に泊まり込みで出かけたシャーロットタウンでの共進会だが、これががひらかれるようになったのは1890年という考証もある)、モンゴメリーは必ずしも時代背景を厳格につくってはいないようだ。

以上は『赤毛のアン A to Z』奥田実紀(東洋書林/2001)より。

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2005/09/06

正岡子規の涙

『子規と啄木』中村稔(潮ライブラリー/1998)は、ひとつの評論のなかで子規と啄木を論じたものではなく、「近代の詩人」全7巻の編集委員であった中村さんが担当執筆したふたつの解説を収録したもの。作品や書簡あるいは評伝などを通して、ふたりの詩人としての資質を明晰に述べておられる。
どちらの評論もたいへんすぐれたものだが、とくに子規について、その詩精神の底に流れる感情として、士族としての強烈な出自意識、階級意識があったのではないか、という指摘に「ああなるほど」と深く納得するところがあった。
この本で初めて知ったことだが、夏目漱石は子規のこのような身分意識について、親友らしい情理のこもった批判の手紙を送っている。

君の議論は工商の子なるが故に気節なしとて四民の階級を以て人間の尊卑を分たんかの如くに聞ゆ 君何が故にかゝる貴族的の言語を吐くや君若しかく云はゞ吾之に抗して工商の肩を持たんと欲す。(明治24年11月7日付書簡)
本書には、この引用の前の段からかなり長い引用がしてあるが、いかにも漱石らしい率直さと真情のこもったいい文面だと思う。
俳句革新においては、俳諧の堕落腐敗はその平民性によるものだと子規は考えた。一方短歌革新においては、和歌の堕落腐敗が堂上貴族の占有とされていたことにあると、いうのが子規の見立てだった。
和歌は長く上等社会にのみ行はれたるがために腐敗し、俳句はとかく下等社会に行はれやすかりしため腐敗せり。われらは和歌俳句の堂上に行はれるを望まず。和歌俳句の俗間にて作らるゝを望まず。和歌俳句は長く文学者間に作られん事を望むなり。(「人々に答ふ」第11回)
子規の詩精神のベースにあったのが士族としての矜持だと考えるといろいろ思い当たることがあるだろう。「写生」というのも、後年のホトトギス流のそれとはかなり違った見方ができるように思う。

しかし、とりあえず、この子規の士族意識ということから、これまでどうもしっくりこなかったひとつの俳句の解釈について、やはり自分の感じ方でいいのではないかと納得したことがある。それは明治30年、「送秋山真之米国行」と前書きのあるこの句だ。

  君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く

海軍大尉として米国留学に赴く秋山に別れ、子規は何を「思って」泣いたのだろうか。ここで「再会の期しがたい事を思って」子規は泣いたのだとする解釈がある、わたしはこれは違うと思う。子規はそんな懦弱な人間ではない。再会が期しがたいことなどで泣くはずがない。わたしは、子規は秋山が羨ましかったのだと思う。武人としての栄光の道を確実に歩み始めた友人を祝福しながら、病に冒された我が身を省みて悲しくてならなかった。できることなら、秋山のように士族の誇りを社会のなかで生かすことのできる未来が欲しかったのだと思う。

子規の涙はそういう意味だったと、わたしは思う。

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2005/09/04

赤毛のアン

『赤毛のアン』L.M.モンゴメリー /掛川恭子訳(講談社文庫/2005)を読んでいる。
このシリーズは、村岡花子訳の新潮文庫版でたぶん5、6巻あたりまで読んだが、たまたま連れ合いが新訳のシリーズを読み始めたので、つきあってみた。細部までよく覚えている箇所もあれば、あれ、これはどういう風になるんだっけ、と新鮮な気持で読めるエピソードもあって、なかなか楽しい。PICT0002.JPG

ある程度年を取ってからこの本を再読すると、主人公のアンより、マシューとマリラのことがいろいろと気にかかる。
もともとかれらが孤児をひきとろうとしたのは、心臓が悪くなり農作業がつらくなったマシューのためだった。ひきとるかわりに働かせるというのは、言ってみれば五分と五分の取引で、孤児にとってもカスバート兄妹にとっても悪い話ではない。そのためには、その子供は、数年すればきびしい労働に耐えることができる男の子でなければならない。当然の話だ。しかしやって来たのは、農場の働き手としてはまったく価値のないアン・シャーリーという11歳の少女だった。なんという間違い、さっそく取り替えてもらわなければ。

しかし、なぜかアンのことが気に入ったマシューはこう考える。

たしかにひどい間違いだが、かまわないじゃないか。最初わしらは、子供を自分たちの役に立てようとしていたわけだが、反対にわしらが子供の役に立ってやることだってできるじゃないか。そうしてやるべきだよ。
マリラが折れた口実は、兄さんがそういうなら仕方がないということだろうが、じっさいはマリラも同じ気持である。
たぶん、ふたりとも最初の目論見が五分と五分の取引に見えても(あるいはそう見えるがゆえに)そういう考え方があまり人間として上等ではないことに引け目を感じていたのである。人間を商品のようにあつかうことはよきキリスト者のふるまいだろうか、というわけだ。わたしはそう思う。
だからはじめは、マシューにしてもマリラにしても、自分たちはアンの境遇を憐れみ、アンを救うために自分たちが手を差し伸べてやったのだと思ったのだ。言い換えれば、これは五分と五分の取引ではなく、損な取引である。しかしそれでもいい、自分たちがそうしたいのだから、ということだろう。

だが、それは正しくないことがすぐにわかる。アンの境遇はたしかに憐れむべきものだが、カスバート兄妹だって同じではないだろうか。なるほど暮らし向きは人並みかもしれないが、このままかれらの人生にアンが現れず、やがてさびしく死んで行くのだったら、かれらの人生はなんと空しく無意味だっただろうか。アンによってかれらの人生は変わった。アンなしでよくもいままで生きてきたものだと二人は思う。なんの理屈もない。二人にとってアンは長い人生の終わりに奇跡のように訪れた恩寵であり慰藉であり歓びであった。

子供をもつことはもちろん取引ではない。
しかし、あえて取引になぞらえて言うならば、それは損をすることではじめて収支の合う不思議な取引なのである。
たぶんね。

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2005/09/01

8月に読んだ本

『黄瀛—その詩と数奇な生涯』佐藤竜一(日本地域社会研究所/1994)
『千々石ミゲルの墓石発見—天正遣欧使節』大石一久(長崎文献社/2005)
『俳句のモダン』仁平勝(五柳書院/2002)
『桃尻語訳 枕草子・中』橋本治(河出書房新社/1988)
『Harry Potter and the Half-Blood Prince』J.K.Rowling(Scholastic/2005)
『きのこ学放浪記—晩学のすすめ』四手井淑子( 海鳴社/1993)
『セレクション歌人32 吉川宏志集』(邑書林/2005)
『エンジェル・エンジェル・エンジェル』 梨木香歩(新潮文庫/2004)
『中原道夫1008句—作品集成1』(ふらんす堂/1999)
『中濱万次郎—「アメリカ」を初めて伝えた日本人』中濱博(冨山房インターナショナル/2005)
『桃尻語訳 枕草子・下』橋本治(河出書房新社/1995)
『川の名前で読み解く日本史』岡村直樹・監修(青春出版社/2002)
『Who's Afraid of Virginia Woolf?』 Edward Albee(Penguin Plays)
『星の王子さま』サンテグジュペリ/池澤夏樹訳(集英社文庫/2005)
『新訳 星の王子さま』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ/倉橋由美子訳(宝島社/2005)
『アメリカの反知性主義』リチャード ホーフスタッター/田村哲夫訳(みすず書房/2003)

(内容の一部を拾い読みの本)
『イモリと山椒魚の博物誌』碓井益雄(工作舍/1993)
『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』若桑みどり(集英社/2003)

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8月に観た映画

卵の番人(1995 ノルウェー)
監督・脚本:ベント・ハーメル
出演:スヴェレ・ハンセン、ヒェル・ストルモーン、レイフ・アンドレ

愛と哀しみの果て (1985)
監督:シドニー・ポラック
出演:メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード、クラウス・マリア・ブランダウアー、マイケル・キッチン、マリク・ボーウェンズ

ロスト・イン・トランスレーション (2003)
監督:ソフィア・コッポラ
出演:ビル・マーレイ 、スカーレット・ヨハンソン

スウィングガールズ (2004)
監督・脚本:矢口史靖
出演:上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、豊島由佳梨、平岡裕太

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