赤毛のアン
『赤毛のアン』L.M.モンゴメリー /掛川恭子訳(講談社文庫/2005)を読んでいる。
このシリーズは、村岡花子訳の新潮文庫版でたぶん5、6巻あたりまで読んだが、たまたま連れ合いが新訳のシリーズを読み始めたので、つきあってみた。細部までよく覚えている箇所もあれば、あれ、これはどういう風になるんだっけ、と新鮮な気持で読めるエピソードもあって、なかなか楽しい。
ある程度年を取ってからこの本を再読すると、主人公のアンより、マシューとマリラのことがいろいろと気にかかる。
もともとかれらが孤児をひきとろうとしたのは、心臓が悪くなり農作業がつらくなったマシューのためだった。ひきとるかわりに働かせるというのは、言ってみれば五分と五分の取引で、孤児にとってもカスバート兄妹にとっても悪い話ではない。そのためには、その子供は、数年すればきびしい労働に耐えることができる男の子でなければならない。当然の話だ。しかしやって来たのは、農場の働き手としてはまったく価値のないアン・シャーリーという11歳の少女だった。なんという間違い、さっそく取り替えてもらわなければ。
しかし、なぜかアンのことが気に入ったマシューはこう考える。
たしかにひどい間違いだが、かまわないじゃないか。最初わしらは、子供を自分たちの役に立てようとしていたわけだが、反対にわしらが子供の役に立ってやることだってできるじゃないか。そうしてやるべきだよ。
マリラが折れた口実は、兄さんがそういうなら仕方がないということだろうが、じっさいはマリラも同じ気持である。
たぶん、ふたりとも最初の目論見が五分と五分の取引に見えても(あるいはそう見えるがゆえに)そういう考え方があまり人間として上等ではないことに引け目を感じていたのである。人間を商品のようにあつかうことはよきキリスト者のふるまいだろうか、というわけだ。わたしはそう思う。
だからはじめは、マシューにしてもマリラにしても、自分たちはアンの境遇を憐れみ、アンを救うために自分たちが手を差し伸べてやったのだと思ったのだ。言い換えれば、これは五分と五分の取引ではなく、損な取引である。しかしそれでもいい、自分たちがそうしたいのだから、ということだろう。
だが、それは正しくないことがすぐにわかる。アンの境遇はたしかに憐れむべきものだが、カスバート兄妹だって同じではないだろうか。なるほど暮らし向きは人並みかもしれないが、このままかれらの人生にアンが現れず、やがてさびしく死んで行くのだったら、かれらの人生はなんと空しく無意味だっただろうか。アンによってかれらの人生は変わった。アンなしでよくもいままで生きてきたものだと二人は思う。なんの理屈もない。二人にとってアンは長い人生の終わりに奇跡のように訪れた恩寵であり慰藉であり歓びであった。
子供をもつことはもちろん取引ではない。
しかし、あえて取引になぞらえて言うならば、それは損をすることではじめて収支の合う不思議な取引なのである。
たぶんね。
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コメント
なんて素敵な文章だろう。最後の「たぶんね」というのがいかにもかわうそ亭さんらしい・笑
僕には子供はいませんがマシューやマリラを見習おうかと思うことがあります。
僕も村岡花子訳の新潮文庫版で5、6巻あたりまで読んだと思うのですが読み直してみようかな。
投稿: たまき | 2005/09/05 23:26
うわ、どうもありがとうございます。(笑)
そうですか、たまきさんもやはり5、6巻あたりまでつきあっておられたんですね、アン・シリーズ。
新訳の講談社文庫と新潮文庫を比べるとすぐ気づくのが、ページ数の違い。新潮文庫は386頁、講談社文庫は541頁。つまり講談社文庫の方が、ゆったり組んであります。だから、その分、かなり目が楽で、再読には向いているかもしれません。
家作りの方もいよいよ佳境に入ったあたりでしょうか。完成後の製作記を楽しみにしています。ではまた。
投稿: かわうそ亭 | 2005/09/06 08:21
赤毛のアンって、私が自分でシリーズ全作を買って読んだ最初の作品でした。
アンを引き取ったとき、マシューは60歳ぐらいの設定だったと思いますが、そうするとマリラはいくつなんだろう。ちょうど今の私ぐらい?
そう思うと、マリラやマシューの気持ちは痛いほど分かります。ひたむきに愛せる(愛しても良い)人がいるのって、人を強くも弱くもしますね・・・
投稿: なぎ | 2005/09/06 11:57
こんにちわ。
そういえばマリラとマシューって、どれくらい年がはなれていたのかなあ。
はっきり書いてないですよね。英語圏の人は、どうも日本人に比べると兄弟姉妹の長幼について。あまりはっきりさせないような気がします。こういう文化の差って結構考えてみると面白い。
なぎさんのおっしゃっていること、よーく理解できますよ。(笑)
投稿: かわうそ亭 | 2005/09/06 17:57