小池光と靖国神社
たまたま靖国神社のことには違いないのだが、昨日の総理参拝とはまったく関係のない話。
「短歌」10月号の「大特集 小池光」をぱらぱらと読んでいたら、島田修三さんの「遊就館逍遥のことなど」という文章が目にとまった。なんだか意外な二人の一面(といっても短歌の好きな方には周知のことなのかもしれない)を見るようでやたら可笑しかった。
「小池光と初めて会ったのは、十三年前の初夏」だった、と島田さんの文章は始まる。「短歌研究」の座談会で、もうひとり穂村弘さんもいたのだそうだ。座談会が終わったのが土曜の午後の中途半端な時間だったので、小池さんが近くの靖国神社にでも行かないか、とふたりを誘い、人気のない境内を三人でぶらつき、やがて遊就館に入った。遊就館は、かつて帝国陸海軍が実際に使用した兵器を陳列した戦争博物館でもあるが、それらの陳列を見ながら二人が競い合うように互いの軍事知識を披瀝しあう仕儀となったというのだな。しかし、その知識というのがふたりとも、半端ではない。たとえば、島田のこういう蘊蓄を読んでみよう。
小池の歌にはときおり重巡洋艦摩耶が登場するが、同艦型の愛宕は私が子供時分から偏愛する巡洋艦である。ともに昭和十九年十月、レイテ湾突撃に向かう栗田健男中将の指揮下にあって、途上のパラウン島西海域でアメリカの潜水艦に撃沈されている。愛宕と摩耶は、前面がほぼ垂直に屹立した巨大な艦橋をそなえており、高速艦としてのバランスは必ずしも良くなかったらしいが、実に美しいシルエットをもつ巡洋艦である。

まいったね。だから、このふたりが張り合いだすと饒舌をきわめることとなり、ついには乃木・ステッセルのタブローの前で戦前の文部省唱歌「水師営の会見」をふたりで唄い始めたというのであります。「軍神橘中佐」も「広瀬中佐」も唄ったかもしれない、と島田さんは書いているが、そりゃ絶対に唄っているね。
大いに迷惑だったのは穂村だろう。ひねこびた軍国少年まがいのオヤジ二人に、心優しい『シンジケート』の歌人は浮かぬ顔をしながらも辛抱強くつきあってくれた。三人の年齢を調べてみた。
小池光 昭和22年6月28日生
島田修三 昭和25年8月18日生
穂村弘 昭和37年5月21日生
13年前の初夏なら、たぶん小池四十四歳、島田四十一歳、穂村は三十歳か。なんだ、爆弾でも投げりゃいいのに、ホムホム、けっこういい奴じゃん。(笑)
なんで、このふたりが作風に似つかわしくもない軍事オタクみたいな知識があるのか、島田さんの語るところを聞こう。
(前略)私たちの少年時代の数少ない娯楽だった「冒険王」「少年」などの漫画雑誌には厚紙で組み立てる戦艦大和だの零戦だのの旧日本軍の兵器が毎号のように付録についていたし、プラモデルもまた第二次世界大戦当時の日米英独の機動兵器が主流だった。むろん企画したのは私たちの父たち、つまり戦争でしこたま辛酸をなめさせられた敗兵世代である。戦勝国アメリカの民主主義と平和思想の洗礼真っ最中の伜たちに、どういう料簡でこんなものを与えたのか知らぬが、私たちはそれらを意外にも堪能した。小池や私の兵器好き、戦史好きはこのあたりに端緒があるはずだ。わたしは島田よりさらに5歳ばかり下になるが、これはじつに、そうそう、そうなんだよね、という分析だなあ。お正月号なんかの、付録でぱんぱんに膨らんだ「少年」を町の本屋さんがスーパーカブで届けてくれるのをどれほど待ちこがれていたことか。(笑)
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コメント
「少年」と「冒険王」! 懐かしいです。
友達とそれぞれを買いあい、読んだら交換し合っていました。
その際、友人は「少年」で、小生は「冒険王」。内心は、小生、付録のこともあり、「少年」のほうを自分が購入したかったのだけど…。
昔の漫画は、平気で戦争モノが多かったし、プラモデルというと、軍艦か戦闘機(ゼロ戦、グラマン)だったなー。
投稿: やいっち | 2005/10/23 17:34
こんばんわ。どうもです。
わたしは「少年」でした。いまでも鮮明に覚えているのは年の瀬の新年号付録の東京タワー。ほとんど親がつくってくれた筈ですが、なんとも立派な出来映えだったなあ。
投稿: かわうそ亭 | 2005/10/23 20:56
私より10歳も若い(穂村氏にいたっては20歳も若い)方々が『少年』『冒険王』だったとは、ちょっとした驚きです。
私はこれより少し上と見られていた(!)『少年クラブ』でした。『少年』には手塚治虫の「鉄腕アトム」が連載されていたので、勿論交換して見せてもらっていました。『漫画王』(?)という雑誌もあったはずで、やはり手塚治虫の「漫画大学」という連載があり、これはちょっとした感動モノでした。
昭和20年代は流石に帝国陸海軍はなかったが、グラマンやミグは頻繁に登場。また戦前からの流れで源義経や秀吉が人気で、高畠華宵の武者絵などもありました。
年寄りがしゃしゃり出て、かき回して申し訳ありません。
椎の実の降る夜少年倶楽部かな(変哲)
我善坊
投稿: 我善坊 | 2005/10/29 10:34
我善坊さん こんばんわ。
往年の少年漫画雑誌の話になるとついつい熱が入りますよね。(笑)よかった、よかった。
ところで、紹介いただいた俳句、変哲って誰だろうと思って、グーグルで検索したら、すぐ出てきた。便利な世の中ですねぇ。
小沢昭一的ココロでしたか。
投稿: かわうそ亭 | 2005/10/29 20:54
こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
戦前の「少年倶楽部」についてもとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
投稿: kemukemu | 2007/01/08 18:52
kemukemu さま
コメントありがとうございました。「少年倶楽部」さすがに実物を手に取ったことはありませんが、なぜか懐かしい。
投稿: かわうそ亭 | 2007/01/08 20:12