生命の量子論レシピ
最近、松岡正剛さんの千夜千冊で、エルヴィン・シュレディンガーの『生命とは何か』(岩波新書)という本の紹介(第千四十三夜【ここ】)を読んで、ものすごい刺激を受けて、これはなんとしてでも読まなければと思った。ところが、いつも利用している大阪府立中央図書館の蔵書検索では、この本は個人貸出不可の扱いとなっているのだなあ。傷みがひどいとか、貴重な書籍だとか、そういう理由なんだろうけれど、残念だ。
しかし、そういう思いが、引き寄せたのだろうか、なぜかいままで読んだことのなかった「NATURE」(487/06.oct.2005)を手に取ったら、ポール・デイヴィスというオーストラリアの学者のエッセイが目に飛び込んで来た。不思議なこともあるもんだ。タイトルは"A quantum recipe for life"という。
20世紀、もっとも影響力の大きかった物理学の本のひとつはエルヴィン・シュレディンガーが書いたけれど、それは実のところ物理学の本じゃなくて、生命科学の本だったんだよね。かれの連続講義をまとめた『生命とは何か(What is Life?)』がそうなんだ、という具合にエッセイは始まる。
へえ、こういう見方って松岡正剛さんだけじゃないんだな、とびっくりした。(失礼。あまり、信用していなかったことになるな(笑))
内容は、まあわたしが要約すると、とんでもない話になりそうだが、生命の起源というのは、アミノ酸のスープをつくっていろんなガスをフラスコに充満させて、そこに雷を落とすなんて実験(有名なこの実験は1952年なんだって)じゃ、うまくいかないさ。そうじゃなくて、もし生命の起源が情報複製なんだったら、それはまさに量子現象なんだから、60年も前に、シュレディンガーが言ったように、それは複雑な化合物の媒体なんかなくても、冷たい星間物質の原子世界からだって直接発生する。量子論からのアプローチで、人類の最大の謎である生命起源の解明ができるのじゃないかなあ、なんて内容だと思う。(たぶんね)
つまり、このエッセイの題名「生命の量子論レシピ」(でいいのかな)というのは、どうも有機化合物から生命を生み出そうという試みを下手なスープ料理にみたてた皮肉なんだと思う。気の利いたタイトルだよね。
もちろん、わたしはシュレンディンガーなんて「ああネコで有名なヒトね」なんて浅はかな知識しかないのではありますが(笑)、直感として、量子論的な「ゆらぎ」によって無から宇宙が生まれたということと、生命のない物質から生命が生まれたということは、もしかしたらなにか関係があるのではないかしら、なんて気がしないでもない。このあたりを数学的にきちんとフォローできるアタマがあったら、老後も退屈しないんだろうなあ。うらやましいや。
photo by striatic on Flickr. thanks for sharing.
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