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2005/10/22

漱石と池田菊苗

『夏目金之助ロンドンに狂せり』末延芳晴(青土社/2004)は、1900年9月8日の横浜出航から1902年12月5日にロンドンを発って帰国の途に着くまで、約2年4ヶ月にわたる漱石の精神的な苦闘をさまざなテキストから克明に追った労作。読む方も、けっこうたいへん。(笑)
「夏目漱石ロンドンに狂せり」ではなく、「夏目金之助ロンドンに狂せり」となっているところに、本書の大きな主題がある。
大雑把に言えば、漱石はロンドンで小説家・夏目漱石を二回「殺した」というのが著者の見立てである。一度目はロンドン塔で幻視したものを文学として表出する衝動を封じ込めたとき、二度目は、自分のほんとうの望みは文学「研究」ではないとはっきり意識しながら、ほとんど狂気と紙一重の引きこもりのなかで、官費留学生として明治国家の負託にこたえるべく「文学論」のノートを完成させたときだという。帰朝後に「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を漱石名義で発表するとほとんど時を同じくして、「帝国文学」(東京帝国大学の学術誌)に『倫敦塔』を夏目金之助名義で発表したことは、一度は自分の手で扼殺した小説家・夏目漱石を再び蘇らせるという意味をもっていた、と著者は言う。

偽善的な自己犠牲や自己中心的な厭世的・傍観者的思想と生活態度の故に、本来のあるべき自己、あるいは自己の根源的欲求を封殺し、あとになってそのことによって受けた傷の深さに気付き、死に物狂いで自己回復を図ろうとする『それから』の代助や『こころ』の先生に見る、自己抹殺と自己回復の奇妙にねじれた葛藤のドラマの原形が、このときの「夏目金之助」と「夏目漱石」の対立葛藤に見ることができるだろう。
ここの分析がおそらく本書の白眉だと思う。(図書館の本だが、以前に借りた人が雑な赤線をこの箇所に引いている。困っちゃうなあ、ここ引用するけど、わたしじゃないよ、こんな阿呆(笑))

しかし、率直に言って、あまりぴんと来ない。

まあ、こういうのはわたしの文体上の趣味の問題にすぎないけれど、テキストを読み抜くことで、なになにはこういう意味であったに違いない、とか、なんとかであったことは間違いないなどという言明(がこの著者にはやたらに多い)は、どうも鬱陶しい。そんなこたあ、本人だってわからんよ、とわたしなんかは不貞腐れて思ってしまう。

だから、本書を読んで面白かったのは、例によってどうでもいい細部である。たとえば、池田菊苗のこと。
漱石はロンドンで五回下宿を移っているが、四番目の下宿、ブレット一家とともにトゥーティング・グレーヴェニーのステラ・ロード二番地の家に引っ越したあとで、化学者の池田菊苗がライプツィッヒからロンドンのロイヤル・アカデミーにやって来て同じ家で暮らすことになる。この池田菊苗という人物を漱石はたいへん高く評価している。

(前略)金之助は下宿人が二人しかいないこともあって池田と盛んに意見を交わし、化学者という枠を超えて広い知識と深い思想を持つ池田に尊敬の念を深めている。すなわち、五月九日の日記に「池田氏ト英文学ノ話ヲナス同氏ハ頗ル多読ノ人ナリ」とあり、十五日には「池田氏ト世界観ノ話、禅学ノ話抔ス氏ヨリ哲学上ノ話ヲ聞ク」、二十日に「夜、池田ト話ス。理想美人ノdescriptionアリ。両人共頗ル精シキ説明ヲナシテ両人現在ノ妻ト此理想美人ヲ比較スルニ殆ンド比較スベカラザル程遠カレリ。大笑ナリ」など、心のコミュニケーションを深めたことがうかがえる。金之助は、池田の人格の高さと学識の深さに畏敬の念を持ったのだろう、九月十二日付けで寺田寅彦に「頗る立派な学者だ」。「大なる頭の学者であるといふ事は慥かである。同氏は僕の友人の中で尊敬すべき人の一人と思ふ。君の事をよく話して置いたから暇があったら是非訪問して話をし給へ。君の専門上其他に大に利益がある事と信ずる」と手紙を書き送っている。(p.425)

ロンドンで漱石は孤独地獄にいたようにわたしなどは思い込んでいたが、短期間だったにせよ、こうして対等で心をゆるせるような人物と友情をもつことがあったというのはなにかほっとするような思いがする。

この池田菊苗(きくなえ)という人は「味の素」の発明者で、調べてみると、この味の素の特許で莫大な資産を築いたようだ。
以下いささか脱線するが、明治、大正期の「おいしい」話。
池田は1908年に「グルタミン酸を主成分とする調味料の製造法」についての特許を申請。これを聞きつけたのが鈴木三郎助という男で、池田と二人で製品化に成功、味の素と名づけて爆発的なヒット商品となる。
のちに特許期限がきれる1922年に、鈴木三郎助(味の素株式会社)は特許期限延長を宮内庁、政界を巻き込んで猛烈におこなったため特許庁はこれをみとめたが、このときに特許権の共有者である池田菊苗の同意が必要だった。このため「味の素」は池田に百万円の一時金と終身の年間十万円の寄付を提供。池田はこれによって悠々自適の研究生活を送ったのだそうな。ちなみに当時の百万円は、現在の価値では約20億円だとか。いいなあ。(笑)
くわしくは、【こちら】を参照。

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コメント

おっ、かわうそ亭も漱石ですね。
当方も、きのう『新聞記者夏目漱石』をおもしろく読みましたが、私など、何十年ぶりかで「三四郎」「こゝろ」を読んだような始末ですから、な~んも語る資格はないようです。
(先日来、パソコンの不調をいいことに二葉亭四迷や田山花袋そしておまけに?漱石など読み散らしています。疎遠度という点では漱石といい勝負な子規の方に心惹かれるものがあります。)
――以上は、きのう書いたのですが、さっそく子規の登場で恐れ入ります。

投稿: かぐら川 | 2005/10/25 23:43

なに、わたしもここ数年で読み返しているのは全集の3巻「草枕」あたりまでですから、疎遠感はかぐら川さん以上なわけで。(笑)
それにしても、馬齢を重ねて子規はもちろん、漱石の年齢もとうに過ぎて、いやんなっちゃうなあ、であります。

投稿: かわうそ亭 | 2005/10/26 08:19

仰言るとおり、この本は少し「解釈」が多すぎますね。江藤淳の『漱石とその時代』に時間がかかったのも、同じ理由からでした。
ただ部厚い分だけディテールのほうも多いので、面白かった。
明治政府の力では、英国で漱石に充分に勉強させる環境が準備されなかった。それが後の漱石を創る大きな要因となったという点は、分かります。(末延が初めて指摘したことではないが)
我善坊

投稿: 我善坊 | 2005/10/29 10:51

とにかく英国に行かせるだけで、あとは自分でなんとかせい、というわけですもんね。明治国家も乱暴だなあ。
漱石のためには気の毒。でも後世のわれわれのためには(作家漱石を得たという文脈で)幸いであったということなんでしょうか。でも、たっぷり学資を出してやってケンブリッジのキングス・カレッジで優雅に文学論を書き上げる夏目金之助博士なんてのも見てみたかったような。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2005/10/29 21:01

こんばんは。
夏目漱石は、高校時代まではただの有名作家として
認識しているくらいでしたが、
大学に入ってから、その文学性の高さに驚き、
引き込まれました。
読むほどに人間の心の深奥をえがいた言葉の数々に
何ともいえぬ感動を感じます。
「吾輩は猫である」は、ただのユーモア小説でないことを
知り、余計に興味深く読むようになりました。
こちらでも記事にしましたので、よろしかったら
お越しくださいませ。
コメントなどいただけますと倍うれしいです。

投稿: ぱんだ | 2005/11/11 23:01

ぱんださん こんにちわ。
漱石はわたしは読んでいない作品も結構あるのですが、草枕、夢十夜、猫、あたりは何度読んでも面白いですね。
コメントありがとうございました。

投稿: かわうそ亭 | 2005/11/12 17:47

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