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2005/10/10

惑星規模の知性体

今日の話は昨日の続き。【ここ】

1984年、サウサリートで、テッド・ネルソンがケヴィン・ケリーに持ち前の早口で説明したのはおおよそこういうことだ。

世界中のすべての文書にさ、この文書はほかのこういう文書に関連がありますって脚注をつけるんだよ。世界中のありとある文書どうしをつないじゃうわけ。ね、コンピュータならそれがやれるし、コンピュータならそうやってつながった文書の間で交信があると、その文書の著作者に利用者がお金を払うことだってできるじゃん。そうやって神経組織を張り巡らせるように知の構造体をこの惑星につくっちゃうんだよ。こうやってぼくらは愚かさから世界を救うことができるのさ——

と、ここでわたしの皮肉な内なる声が。
テクノラティという検索エンジンがある。【ここ】RSS検索に特化しているので、どんな話題が、いま(日本の)ブログスフィア上で、もっとも活発にやりとりされているかをみるひとつの指標になる。トップページに上位10位が表示されているのだが、1位から3位くらいまでだいたいいつも同じような話題。見るとげんなりするよ。
インターネットが知の構造で世界を愚かさから救うというのは(いまのところ)いささか怪しい。(笑)

閑話休題。
いまから10年前、1995年には、まだウェブは社会の主流になるとは必ずしも思われていなかった。2005年、現在ではどうだろう、とケヴィン・ケリーは問いかける。
ウェブ・ページは自動生成されるものを含むと、その総数はいまや6000億ページを軽く超えて日々急増し続けている。

かつて人工知能というものが紹介されたとき、そのイメージは、一台のスーパー・コンピュータという箱ものだった。だが、いま現れようとしているのは、たぶん別の「マシーン」だ。
ぼくらの脳を考えてみよう。人間の脳には思考を生み出すように最初からプログラムされた部位があるわけではない。脳の活動は基本的には信号のやり取りにすぎない。それが思考を生み、自意識を生むとはどういうことか。
ウェブもまた、信号のやり取りに過ぎない。しかし、もしかしたらウェブが新しい「マシーン」になる可能性はまったくないのか。
mouse
この新しい「マシーン」のソフトウェアは誰が書いているのか。ぼくら全員である、とケヴィンは言う。ぼくらは、自分のブログを書き、Wikipedia*に記事を投稿したり他人の記事を訂正したりして、日々相互参照を完璧なものに近づけて行く。Flickr*に写真をアップロードし、それにタグをつけてその写真の意味や人間がそれをどういう感情でとらえているのかを教える。情報と情報はリンクで結ばれ、人々がリンクをたどることでその重要度が明らかとなる。現在世界中の人々がリンクをたどるためにマウスをクリックをする回数は1日あたり1000億回と推定されている。こうしてリンクはさらに鍛え上げられる。

なんのために?

D・F・ジョーンズという英国の作家が1960年代に『コロサス』というSF小説を書いている。コロサスはアメリカ国防省のスーパーコンピュータの名称だ。ソ連との核戦争を自分の判断で遂行し勝利できるように「知能」がプログラミングされる。オハナシではソ連も(当然)同じようなスーパーコンピュータ(ガーディアンという名前)をつくるのでありますね。やがて両国は戦争に突入する。すると、この二台(二人?)のコンピュータは突如自意識をもっていることに気づき、対話を始め、ついには人類を支配下に置いて共存することにするのであります。中学生のころにこれを読んでなにしろ冷戦下のことだから印象が深かった。いまでは忘れられたSFの名編だと思う。映画「ターミネーター」のスカイネットももしかしたらこれをふまえているのかもしれない。

コンピュータは、どこまでいっても自意識などもつわけはないというのがまともな大人の常識である。わたしも、一応まあそれはそうだろうな、と思う。しかし、先日、『スピノザの世界 神あるいは自然』上野修(講談社現代新書/2005)を読んだのだが、スピノザを経由すると、自意識というものがコンピュータ(正確にはそのネットワークであるウェブ)にあることになっても別に不都合ではないような直感が芽生えた。ただしこのあたりをうまく説明する自信はない。

いま、ウェブで起こっていることは、わたしたちがその渦中にあることは、もしかしたら、とてもすばらしいことなのかもしれない、とケヴィンは言う。
3000年ばかり後から、21世紀初頭を振り返る知性体があったら、たぶんこの時代に人類は知性を地球上のフィールドで繋ぎ合うことを始めたというだろう。どの惑星の歴史においても、そんなことはたった一回しかおこらない。それからあとは惑星規模の知性「マシーン」が誕生し、加速度をあげてはたらきはじめる、大切なことは、それがおこる臨界点のようなものは一回だけで、いま、ぼくらの時代がまさにそうなんだよ、とケヴィンは言うのであります。

ばかばかしい?
まあ、でもたいくつしのぎにはなったでしょ。


photo by h on Flickr. thanks for sharing.

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コメント

たいくつしのぎ?とんでもない。
面白いエントリーでした。
心臓がちょっとドキドキしてる。
昨日のエントリーも面白かったし(リンク先の大量の英語は僕には読めなかったけど)
今日の続きを楽しみに待ってました。
たった10年で世界は変わる。
というのは普段から実感してます。出会いが簡単に人生を変えるのと同じように。

「臨界点のようなものは一回だけで、いま、ぼくらの時代がまさにそうなんだよ」
きっと、Flickrの臨界点はもう過ぎたんだろうけど(僕が思う)臨界点の頃は面白かったなぁ。かわうそ亭さんと知り合った時がまさにその頃でちょっとどきどきしてた・笑

投稿: たまき | 2005/10/10 21:28

たまきさん
どうもありがとうございます。わたしのエントリーの方はちょっとケヴィン・ケリーのエッセイのSFっぽいところを強調しすぎているかも知れませんが、控えめに言ってもウェブがいまの人間の知をエンハンスしていることは間違いがないと思う。
だってね、(以下はぶっちゃけた話)今回のエントリーでは、まるでわたしはコンピュータの歴史に詳しいヒトみたいな口ぶりでしょ。ところが、このエントリーを書くまで、わたしはケヴィン・ケリーもテッド・ネルソンのことも、なあんも知らなかったの。(笑)
文章を書きながら、なんども必要な情報をウェブで拾い上げて理解し、解釈し、さらに自分なりの表現におきかえ、なんてことを同時にやっているのね。こういう活動がもっとダイレクトなものになる未来はダン・シモンズの『ハイペリオン』という傑作に生々しく描かれていますが、ウェブ自体が知性に目覚めるというお話はどうかと言う人でも、人間とウェブが一体化した知性というコンセプトにはさほど違和感がないかもしれないですね。
まあ、いろんな意味で刺激的なエッセイでした。たぶん、誰かが翻訳してくれると思うので、お楽しみに。

投稿: かわうそ亭 | 2005/10/10 22:25

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