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2005/10/25

子規の一夜妻と大正の一茶

病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ
『病牀六尺』冒頭に描かれる子規の自画像だ。 ところでその『病牀六尺』の百四の段にこんな話がある。あるとき孫生と快生という二人の客がやってきて、渡辺さんのお嬢さんがあなたにお目にかかりたいというのでお連れしましたと意外なことを言う。会ってみて子規は一目惚れをする。
そのうち孫生は玄関の方へ出て行て何か呼ぶやうだと思ふと、すぐにその渡辺のお嬢さんといふのを連れて入這つて来た。前からうすうす噂に聞かぬでもなかつたが、固より今逢はうとは少しも予期しなかつたので、その風采なども一目見ると予て想像して居つたよりは遥かに品の善い、それで何となく気の利いて居る、いはば余の理想に近いところの趣を備へて居た。余はこれを見るとから半ば夢中のやうになつて動悸が打つたのやら、脈が高くなつたのやら凡て覚えなかつた。
しばし談笑のあと三人は暇乞いをして帰りかける。子規は病床にありながらどうにも自分の恋着をおさめることができず、孫生を呼び戻して気持ちを明かした。孫生は、ならばお嬢さんだけは今晩あなたの部屋に置いて行きますよ、と承諾し、子規の理想に近い渡辺さんのお嬢さんは一夜を子規と過ごしたのである。
「ええ?」と思うでしょ。
まあ、真相を知っている人は、別に驚かない。 一番最後で、子規はこのお嬢さんの正体をこう明かしているのですね。「お嬢さんの名は南岳艸花画巻」。つまり画であります。「なあんだ」って話。 なお、このあとで、子規はこの画を自分の掌中のものにできたので、ただしくは「一夜妻」ではありませんでした。(笑)

さてここに出てくる孫生と快生という二人の客だが、名前からしてお寺の関係者だろうという想像はつく。なんだか石川淳の小説にでも出てきそうなコンビである。
いま読んでいる村山古郷の『大正俳壇史』(角川書店/1980)に、このコンビの一人の紹介があった。
PICT0001.JPG
明治末年から大正初年にかけて、新傾向俳句の動きが活発となり、これがやがて自らを守旧派と称して虚子の俳句復帰の決意につながっていくのだが、ちょうどその頃の俳壇に東京は本郷の新緑社という俳句の会があった、というのですね。新緑社は本郷区西片町十番地の斉藤知白の家に中野三允、田山耕村が集まって出来、そこに中山稲青、石川桐芽、山田三子、高田蝶衣、伊東牛歩、来馬胡鏡らが加わって毎月十句集を出したり、句会を開いたりしていた。みな一癖も二癖もあり、「広く俳句会に名を知られたさむらいの集まりだった」とある。

じつはこのなかの伊東牛歩というのが、『病牀六尺』に登場する快生なんだそうです。面白い人だったようでね。以下、『大正俳壇史』より転記。

牛歩は綾瀬正王寺の住職で、子規の「病牀六尺」に「南岳草花画巻」を届けた人として出て来る快生その人で、僧籍にある身ながら、法衣を纏ったまま吉原遊郭を素見して牛太郎をまごつかせたり、牛鍋は俺の名前の共喰いになるからと馬肉を食い、馬肉庵牛歩と名乗ったという逸話があり、大正の一茶ともいわれていた。

こんな句を詠んだ。

見世物の大女は男なりし足袋   牛歩
死ぬる時舌を噛みきる海鼠かな
某月某日河豚に死すと自叙伝を石に
男の子可愛ければ北風の軒にさらしとけ

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コメント

快生 本名 伊東快順 は私の祖父です

祖父の5人の子は 今月17日 父 五男 快雄の

死去でとうとう絶えました

牛歩 とは子規氏からいただいた 俳号のよう

です

投稿: 伊東快聡 | 2005/11/27 03:38

伊東快聡さま
お父上はやはり正王寺のご住職であられたようですね。子規に縁のあった牛歩につながる方とお聞きするとあらためて感慨を覚えます。ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌

投稿: かわうそ亭 | 2005/11/27 21:15

遅くなりました

書き込みという行為が 初めてだったものですから

メールばかり確認し 今 気付きました

戦死などもあり 五人の内 四人が僧侶になるとい

う不幸に遭いました

前出の比喩は 私が中学校の折 問題で取り上げら

れ 以前から聞かされていたので

先生に 私の祖父だ!と伝えましたが

素行が悪かったのか 信用されなかった事を

憶えております

掲載 有難うございました

投稿: 伊東快聡 | 2005/12/04 12:32

こんにちわ。
そうですか、戦争という時代の影がいろんなところにいまでもあるもんですね。
信用してくれなかった先生のお話ですが、しかし生徒はそんなことではウソをつくものではありませんよね。「なに、キミは大正の一茶の孫だったのかあ」というくらいの度量が欲しかった。(笑)

投稿: かわうそ亭 | 2005/12/04 16:43

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