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2005年11月

2005/11/30

11月に読んだ本

『窪田空穂歌文集』(講談社文芸文庫/2005)
『俳句的生活』長谷川櫂(中公新書/2004)
『貴婦人と一角獣』トレイシー・シュヴァリエ/木下哲夫訳(白水社/2005)
『池内紀の仕事場 7 名人たちの世界』(みすず書房/2004)
『私の昭和史』中村稔(青土社/2004)
『おめでとう』川上弘美(新潮文庫)
『ジョゼと虎と魚たち』田辺聖子(角川文庫)
『句集 松島』長谷川櫂(花神社/2005)
『踊るひと』出久根達郎(講談社文庫/1997)
『贅沢な人びと』ジョイス・キャロル・オーツ/古沢安二郎訳(早川書房/1978)
『洞窟の骨』アーロン・エルキンズ/青木久恵訳(ハヤカワ文庫/2000)
『バスラーの白い空から』佐野英二郎(青土社/1992)
『第一句集を語る』(角川書店/2005)
『遠い音』フランシス・イタニ/村松潔訳(新潮社/2005)
『新 顎十郎捕物帳』都筑道夫(講談社文庫/1988)

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11月に観た映画

恋の闇 愛の光(1995/アメリカ・イギリス)
監督: マイケル・ホフマン
出演: ロバート・ダウニー・ジュニア、サム・ニール、デヴィッド・シューリス、メグ・ライアン、イアン・マッケラン、ヒュー・グラント、イアン・マクディアミッド

真珠の耳飾りの少女 (2002/イギリス)
監督:ピーター・ウェーバー
出演:スカーレット・ヨハンソン、コリン・ファース

ミュージック・オブ・ハート (1999/アメリカ)
監督:ウェス・クレイヴン
出演:メリル・ストリープ、アンジェラ・バセット、エイダン・クイン、キーラン・カルキン

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2005/11/29

遠い音

deafening『遠い音』フランシス・イタニ/村松潔訳(新潮社/2005)は、二十世紀初頭から第一次世界大戦が終わる頃までを時代背景にした長編小説。プロローグはデザロントというカナダ東部の小さな町の祖母と孫娘の会話から始まる。

「おまえの名前だよ」とマモが言った。「これは大切な言葉なんだ。名前が言えれば、自分がだれか世間に教えられるからね」
主人公のグローニア・オニールは五歳のときにかかった猩紅熱のせいで聴覚を完全に奪われた。自責の念にかられる母は信心にすがり奇跡を祈るが、父親は娘が耳が聞こえるようになることはないと悲しみをじっとこらえている。医師の診断は疑いの余地はなかった。
しかし学齢期に達したグローニアに「言葉」を与えてやらなければならないと、はっきりと現実をみつめ、冷静にできることをやろうとしたのは祖母のマモだった。自分の口のかたちを繰り返し見せ、唇や喉に指をあてさせてどんな風に振動しているかを感じさせる。何度も何度もグローニアに発声練習させ正しい発音に近づけていく。絵本を与え、言葉と音をつないでいく。
年の近い姉のトレスもまた、妹に周囲で起こっていることを伝える役割だ。
だがそれだけではない。
眠るときに暗闇を怖がるグローニア(音のない世界の暗闇が小さな子供にとってどんなものであったかと想像するとわたしの胸はつぶれる)のために布切れや下着などを結びあわせてロープをつくり、端と端を足首にくくりつけてぴんと張り、グロニアが恐いときはロープを足で引けばトレスが応えてやれるようにしてやるのだった。本書には、たくさん印象的な場面があるが、もしどこが一番好きかと訊かれれば、わたしはここのシーンをあげよう。
守られ、愛され、自分は決して裏切られることはないという信頼が(たとえかりそめのものであったとしても)人生の初期の体験としてある人間は、成長しても、おそらく「うまく」やっていくことができる。本書を読むとそんなことを考える。

家族にとってもつらいことだったが、普通の学校では彼女の学力をのばしてやることができないため、グローニアは寄宿制のオンタリオ聾唖学校にゆくことになる。我流の手話や発声でもすべてを理解してもらえた家庭から切り離されたとき彼女は二週間泣きつづけた。泣きやんだとき、もう二度と泣かない、と心に誓った。その後は学校にとけ込み、正式の手話をまるで体の一部のように身につけ、耳は聞こえなくとも、口の動きで相手の話をきちんと理解し、自分の声をコントロールして会話をすることもできるようになる。七年後、聾唖学校を卒業したグローニアは学校付属の病院の看護婦となり、そこにやってくる医師の助手であった若者と恋に落ち、結婚する。
——というところまでが、じつは本書の三分の一なのだ。
夫となったジムはすでにヨーロッパへの出征がきまっていた。これ以降の小説は、大西洋をはさんでヨーロッパの西部戦線で担架兵として激戦をくぐるぬけるジムと、故郷でジムの無事を祈り待ちつづけるグローニアのパートが交互に語られる。一方は音のない静謐な祈りの世界、一方は戦場の阿鼻叫喚と大音響の地獄の世界。このふたつを並べて、作者はこの時代に生きた人びとの息吹をみごとに伝えている。
時間をかけて隅々まで丹念に語られた力強い作品だ。
長編ならではの読みごたえ十分。

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2005/11/24

十一月二十五日のこと如何に

 「無言」
 虚子に問ふ十一月二十五日のこと如何に   川崎展宏

『第一句集を語る』で川崎がこの句の背景をこう説明している。

文献書院という俳句関係の専門店が大塚にありまして、森さんと二人でそこに行っていたとき、店番をしていた奥さんが「三島由紀夫が割腹自殺」というニュースを伝えてくれました。森さんが「なんじゃっ」と言って不機嫌になりましてね。「何歳かね。四十五歳か。いい年歳(とし)じゃないな。老いの皺腹掻き切ってならまだまし」と。やはり森さんはちゃんと言うべきことを言った、と今では思います。しかし、私は(三島を)愛読してましたし、そのときは、なぜ森さんはそんなことを言うのかなあと思いました。落ち着いてから、虚子なら何て言うかなと聞いてみたくなりました。無論、虚子はこの世におりませんが——。一句は森さんの言葉の、私の胸の中の反響でもあるんです。
ここにでている森さんは、俳人の森澄雄のことである。
もうひとつ、こちらはご本人の文章を引用しておこう。ジェームス・ディーンを論じた文章である。「夭折の資格に生きた男」という題名だ。
それにしても公衆の心理とはふしぎなものである。公衆は今まで無数の「新鮮なアイドル」をその手で汚し、葬つてきた。ディーンがなほ生きてゐたら、確実に彼を汚したであらう人たちが、彼の死後一年たつて、まだ熱狂的に彼の死を哀惜してゐるのである。彼らは自分の手が彼を汚しえなかつたことがそれほど口惜しいのであるか?ディーンが賢明にも先手を打つて、自分を汚しにかかる公衆の手のとどかぬところへ飛翔したことが、それほど口惜しいのであるか?公衆はいはば残酷に経過する時間の本質を象徴しており、それ故いつも公衆は絶対の勝利を占めてきたので、たまさかのかうした敗北がめずらしく、うれしく、貴重で、自分の敗北の思ひ出を忘れることができないのである。

こちらのブログにも触れてあるが、【ここ】三島由紀夫はイロジカルだ。丸谷才一も同じことを言っている。『思考のレッスン』にこうある。
ぼくが三島由紀夫の文章が気に入らないのは、レトリックはたいへん派手だけれども、ロジックが通ってないことが多いからなんです。だからある程度以上の読者の心には訴えない。
まったくそのとおりなんだが、それでも、ミシマのことを考えるときに、「自分を汚しにかかる公衆の手のとどかぬところへ飛翔したことが、それほど口惜しいのであるか?」という哄笑が聞こえるようで、(それがまた例のウソくさい豪傑笑いだから)ますます腹が立つのでありましょう。森澄雄が不機嫌になり、丸谷才一が「気に入らない」のもむべなるかな。こうなると、たしかに虚子に聞いてみたいような気がするな。大悪人虚子よ如何に、如何に。

 初空や大悪人虚子の頭上に  虚子

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2005/11/23

桂信子と宇多喜代子

first_kusyu『第一句集を語る』(角川書店/2005)のなかの宇多喜代子の話から。
1970年、桂信子が結社「草苑」を立ち上げた。第一回目の句会を開くという話を聞いた宇多喜代子は、その句会に出てみることにした。

ところが、会場でどの人が桂信子か分からない。みんなが代わる代わる何かを持って行く人がいて、それが桂信子だろうと思ったら、当日の会計係の摂津よしこだった。そんななかで真ん丸な顔をして、お茶とお菓子を配る人がいたんです。お手伝いの人かなと思っていたのですが、いよいよ句会が始まったら、それが桂信子だった。呑気な話です。(笑)
「草苑」に入って十年目に宇多喜代子は第一句集『りらの木』を出した。1980年、四十五歳のときだ。

 父までの瓦礫を越えるりらの枝

宇多の父は軍人で、戦時に山西省できれいなりらの花を見たと言って、家の庭に植えた。その父が植えたりらの木が花を咲かせたということがこの句の背景にあるという。
序文を師匠の桂信子に頼んだ。「その心情は、案外古風で、オーソドックスなものが基盤となっている」と書いてくれた。序文のお礼を包んで行ったら、「これはお祝い」と言ってそのまま返してくれた。
そういう人柄だったのだな。

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2005/11/22

バスラーの白い空から

basrah『バスラーの白い空から』佐野英二郎(青土社/ 1992)に収録された主な文章はつぎの五編である。

  わがセバスチャン
  西アフリカの春
  セバスチャンが死んだ日
  バスラーの白い空から
  サン・セバスチャンに雪の降る夜半

「セバスチャンが死んだ日」をのぞくと、残りの四編は詩人の高橋順子さんの編集する「とい」に1989年から1991年にかけて発表された。いずれも静かにこころの底に沈んでくるような文章だ。大企業のなかで仕事の成功も失敗も知り、家庭の波風も、ひとびとの浮き沈みのさまもいやというほど見て来た人間が書く文章とはこういうものだろうか、という感慨を抱いた。
本書の出版には中村稔さんが大きく関わっているらしい。少し長くなってしまうが「後記」をひく。

本書の著者佐野英二郎はさる七月五日喘息の発作のため急逝した。一九四四年(昭和十九年)たがいが十七歳のときに知り合って以来、ことに最近の十余年の間、佐野は私にとってもっとも大事な友人のひとりであった。
はじめて彼に会ったころ彼は早稲田大学付属第二高等学院、いわゆる第二早高の学生であった。その後海軍にはいって人間魚雷「震洋」に乗りくむべく訓練をうけ、川棚突撃隊に配置されたが、出撃の日は訪れることなく、終戦を迎えた。終戦後、早稲田大学に復学し、一九五二年(昭和二七年)に同大学商学部を卒業、商社に入社した。そして商社員として三十七年間を過ごしたが、そのほぼ半ばにあたる年月を海外各地で勤務した。

「とい」に掲載された旧友の文章を読んで、中村さんは「吃驚し」「感動し」たと書いておられる。
佐野が文学を愛し、文学に造詣がふかいことは知っていたが、彼自身がこういう文章を書くとは私には思いがけないことであった。
こうした作品を十編ばかり書いて本にするように中村さんはすすめ、本人もそのつもりであったが、胃癌の手術後の体力の衰えや多忙から、「とい」への発表は四編だけで、書き続けることがもはやできなかった。佐野の死後、中村さんはこれらの文章を本にしたいと思った。他に発表されたもの、むかしの文章も加え、こうして一冊の本とする分量になった。すなわち、本書は中村稔という詩人の「亡友の文章をぜひ未知の読者にも読んで頂きたいという」「切実な願いに出たものである」。
だが、それだけではないだろう。
ここには、戦後復興とそれにつづく高度成長を支えてきた「戦士」の最良のものがとらえられているし、少年時代に溢れていたこの著者の柔らかな抒情を、死に向き合ったとき、やっと自分にゆるした、といった哀しみがある。

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2005/11/18

七色の虹のトイ・ストーリー

むかし流行った歌謡曲に、「七色の虹が消えてしまったの/シャボン玉のような私の涙」というのがあった。歌っていたのはロスプリモス。曲名は「ラブユー東京」であります。わかんない人は、またまたおっさんのナツメロかよと、どうぞお笑い下さい。
ego
この歌にあるようにシャボン玉というのは、その表面に光を受けて虹のような模様をくるくる回し、はかなく消えてゆくもの。17世紀のフランドルの油絵に粘土のパイプでシャボン玉をつくって遊ぶ子供の姿が残っているそうですが、子供のころに誰でも遊んだことがあるにちがいない。日本ではえごの花をつかったともいいますね。えごの花はサポニン(シャボンの語源)を含んでいる。サポニンは界面活性作用がありますから、とうぜんシャボン玉ができるはず。ただし、一度試してみたら、残念ながらうまく行きませんでした。量が足りなかったのかもしれない。

いずれにしても、植物からつくったシャボン玉液は、市販の洗剤やおもちゃのシャボン玉液に比べるとささやかなものであったでしょう。しかし、その液をストローの先につけて膨らませるとふんわり、くるくる回るシャボン玉ができる。そのシャボン玉自体は、400年前のフランドル地方の子供や江戸時代の日本の子供が目にしたものから姿をかえてはいない。

ところが、11年ばかり昔のこと、ミネソタはセント・ポールに26歳の若者がおりまして、おもちゃの発明家の弟子だったのですが、そうだ色のついたシャボン玉があったら面白いじゃんと思いついた。七色の虹がくるくる回る透明なシャボン玉ではない。青やオレンジやピンクの色で鮮やかに輝いているシャボン玉という意味だ。

名前をティム・キーホウ君という。(Tim Kehoe ですが、読み方は違うかもしれない)
なんでだれもこんな単純なことを思いつかなかったんだ。簡単じゃん。やったぜ、これでオイラは大金持ちだ。

ところが、もちろんそんな簡単な話ではない。色素を界面活性剤になじませ、均一にしてシャボン玉の表面にむらなく広げることが第一にむつかしい。やっとのことで、色のついたシャボン玉がつくれるようになって玩具メーカに持ち込んだ。重役会議の席でプレゼンテーション。色のついたシャボン玉がぷかりと浮かぶと役員連中は「おお!」とどよめいた。だが、ぱちんとはじけるとテーブルやカーペットに色が染みついた。「石鹸で洗い落としといてくれよ。まったく。水で洗い落とせるんでなきゃおもちゃにはならんよ、キミ」

しかしまあアイデアはよろしいということで別口の50万ドルの大スポンサーをみつけてさらに実験、実験の繰り返し。ついに水で簡単に落とせるカラフルなシャボン玉が完成だ。
マーケット・リサーチで、お母さん連中と小さな子供たちを試験グループにしてパーティに招待。さまざまな色のシャボン玉に子供たちは歓声をあげる。はじめてこんな光景を見て感動のあまり目を潤ませるお母さんもいる。だが、次の瞬間、シャボン玉がはじけると、子供たちの髪は汚れ、服は色が染みつき、スポンサーが連れて来た犬もどろどろだ。「大丈夫、ぜんぶ水で落とせますから!」というキーホウ君の叫びもむなしく、パーティはドン引け。こりゃあかんわ、とても商品にはならん。

つまり、商品にするには、はじけたとたんに色が消えてしまう魔法のようなシャボン玉でなければとても無理だと、キーホウ君は覚る。だんだん色が薄れるとか、他のものに色が移るとかでは駄目で、一瞬で完全に消えて、最初からそんな色はどこにもなかったとしか思えないようなものが要る。
そんなことは不可能だと、あきらめてしまえば話はおしまいだが、ここからが面白い。なにしろ、資金はたっぷりある。キーホウ君とスポンサーは化学者を雇った。化学者の名前はラム・サビニス(Ram Sabinis)、ボンベイで化学の博士号をとり、いくつかの特許を持っている。

「はじけた途端に色が消えるシャボン玉はどうやったら出来るかって?うん、ええと、たぶんラクトンならイケルかも」と博士。
「ラクトンって何、それ?」とキーホウ君。なにしろかれは町の発明家で、化学の専門知識はないのだ。

Wikipediaによれば、「ラクトン (Lactone) は、分子の環の一部としてエステル結合を持つ化合物を指す」。
といっても、なんのことか、よくわからないが、このラクトン構造を応用すると、シャボン玉ができているときは一つの色の可視光線しか通さず、シャボン玉がはじけると、分子構造が変わって、すべての可視光線を通すので透明になる、といったことらしい。(このあたりはかなりいいかげん(笑))
zubble_b
こうして苦節11年、ついに消える色つきシャボン玉は完成し、このたびめでたく商品化されたそうです。商品名は「Zubble」。トイザラスはクリスマス商戦に投入したいと言ったとか。
50万ドルの投資の元は取れるのかな。
以上は、アメリカの科学雑誌「ポピュラー・サイエンス」の最新号のwebの記事からのご紹介でした。おもしろい記事でしたので、興味のある方はどうぞ。ちょっと長いけどね。【ここ】
なんでも、この発明をこの雑誌は今年の大賞に選んだそうです。

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2005/11/16

歩く辞書

齋藤兆史さんの『英語達人塾』(中公新書/2003)を読んでいたら、こんな話が。

昔、東京大学の教養学部に山縣宏光というすごい先生がいた。とにかく無類の辞書好きで、英語辞書と見れば片っ端から読む。(中略)たしかこの先生は、世界最大の英語辞書『オックスフォード英語辞典』の本体部全12巻も、4、5回通読していたはずだ。
6550493_2ce4a897d0_mわたしも辞書を読むのは嫌いな方ではないと自負しているが、OEDを通読するなんてのは想像の範囲を超えている。それが、4、5回というのだから——。(笑)この山縣宏光という方は惜しいことに早世されたとのこと。英語の語彙に関することならなんでも知っていた。こういうときは、どういう表現があるんだろうと尋ねると、かならず適切な答えが返って来た。まさに生き字引。歩く辞書であった。もし生きておられたら、英語辞書の歴史に残るような仕事をされたにちがいない、とは齋藤さんのコメント。

photo by dragonflyajt
thank you for sharing it.

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2005/11/12

東西非公式恋愛小説

読む本がなくなったので家人の本をテキトーに抜き出す。
『おめでとう』川上弘美(新潮文庫)
『ジョゼと虎と魚たち』田辺聖子(角川文庫)
適当に選んだにしては、この二冊の短編集、どこか微妙ににテーストが似ているのが可笑しかった。
どこがどう似ているのか。PICT0002.JPG
たとえば川上弘美さんの「天上大風」と田辺聖子さんの「いけどられて」。どちらも、男に「別れてくれ」と言い出されてびっくりしたり怒ったりする話なのだが、その驚き方や怒り方の、なんだかずれたテンポがとてもよく似ている。
ただし、川上さんの方はどちらかといえばドライで開放的、快活な諧謔に富み、田辺さんの方はちょっとウェットで閉鎖的、隠微な愉悦に富むという違いがある。
もっとも、このあたりは、東京と大阪の通俗的なイメージの決め付けと思い込みが、わたしの中にあるだけかもしれない。
どちらも、たいへん優れた小説で堪能できました。
なお、タイトルの「非公式恋愛」ということばは、川上さんの小説のなかにあるもの。不倫というとじめじめした印象ですが、非公式恋愛というと、やはりからっとしている。(笑)

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2005/11/10

詩人の昭和史

naka_syowa『私の昭和史』中村稔(青土社/2004)は、二〇〇二年一月号から二十八回にわたって「ユリイカ」に連載されていたもの。430ページの大部になる本だが、昭和二十年八月の敗戦で一応、擱筆されている。中村さんは昭和二年(1927)一月十七日のお生まれだから、昭和の年数から二を引いた数が年齢となり、敗戦のとき中村さんは十八歳だった。
遠い記憶を丹念に呼び起こし、さまざまな記録を丹念に再構成した上で、戦前の時代精神を静謐な筆致であきらかにしておられる。あらためて深い尊敬と感銘を覚えた。

いろいろな感慨をもったが、戦争末期のエリート学生がどのようなものであったかということが興味を覚えたことのひとつだ。
中村さんが学生時代を過ごされた東京府立五中、第一高等学校は表面的にはやむを得ず軍部の圧力に屈していたが、その本質はリベラルであったことが本書によってよくわかる。

しかし、それが他の場所では無慈悲に行われた過酷な弾圧とならなかったのはなぜか。

みもふたもなく言ってしまえば、かれらが、各界の指導層たるべく、国家が選別し育成している「虎の子」の人材であったからだろう。世の中からみれば、一高の学生さんは別格であった。
また、かれらの側に、かかる扱いを受けて当然とする驕りがあり、世の中に対する甘えがあったという見方もできるかもしれない。
おそらく、エリートとはそういうものだろう。いまでも、同じようなことはある。
しかし、この戦争末期にあっては、そのような別格の扱いもいわば「執行猶予」に過ぎないことは学生もよくわかっていた。昭和十八年秋のいわゆる学徒出陣により戦地に赴いた学生たちは、多くの戦死者、戦病死者を出した学年組である。

本書の記述によれば徴兵年齢の繰り下げなどの措置により、中村さんが「簡閲点呼」と呼ばれる実質的な徴兵検査を受けたのは最後の昭和二十年六月(ただしこのあたりの正確な記憶はお持ちではないらしい)頃と思われる。敗戦は必至と予想する軍人も少なからずいただろう。中村さんの友人にも、あきらかに間違った(好意的な)診断で、軍医に即時帰郷を命じられた学徒兵もいた。こんな学生を死地にやるに忍びないと考える軍人もいたわけだ。中村さんの学年の一高生で実際に戦病死したのはお一人だけだという。ソ連参戦の直前に満州で現地招集され、捕虜としてシベリアに抑留され収容所で亡くなった。もちろん、非難の意味はないが、このお一人を除いて、その学年の一高生全員が生きながらえて終戦を迎えたことは、同世代の若者たちが消耗品の如く南方や大陸に投入されそこで死に追いやられたことを考えるとき、やはり感慨なきにしもあらずである。
戦後のこの人々の生き方を考えるとき、このような「負債」がやはり大きな意味をもっていたのではないかとあらためて考える。
この時代の人にはやはりかなわないという思いがあるな。

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2005/11/08

遠い森で二千の樹を切り倒す

先月の25日、米国防省は2003年のイラク侵攻以来の米軍の戦死者の累計が二千人に達したと発表した。朝の通勤はiPodでBBCやABCやCNNのPodcastを聴くのが習いになっているのだが(便利な世の中だ)このニューズを聴きながら、しかしイラク人の死についてはさほど声高に語られることはないのだなという皮肉な思いを抱いたものだ。まあ、月並みな感想ではあるけれど。

「暗いニュースリンク」の11月7日のエントリーは、この米軍の戦死者をめぐる話だった。【ここ】

米ABC放送の人気法廷ドラマ『ボストン・リーガル』が、11月1日放送分できわめて政治的なメッセージをオンエアしている。
紹介されているリンクをたどると、ビデオクリップで法廷シーンの弁論を見ることも出来る。直接的な感想ではないので、顰蹙を買うかもしれないが、わたしの印象に残ったのは二千人の死者の表現だった。
メディアがこの戦争をきちんととりあげていないという弁論に対して、「ポイントがずれているのではないかね?」と判事が口をはさむと、弁護士が猛然と反論する箇所です。
二千人が死んでいるのに誰も知らないんだ、という内容ですが、ここの台詞は次のようなもの。
"I am not off the point!" Shore replied. "We've had 2000 American trees fall in that forest over there and we don't even know it! Not really. But maybe we don't want to know about our children dying. So lucky for us this war isn't really being televised. We're not seeing images of soldiers dying in the arms of their comrades. Being blown apart in the streets of Baghdad. But they are, by the thousands! And all the American public wants to concern itself with is whether Brad and Angelina are a couple.
二千の樹々が彼方の森で倒されているというイメージは、心に響くものがある。誰も見ず聞いていないところで起こるできごとは、世界にたしかに存在しているとたしかに言えるのだろうか、という問いを連想したりする。

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2005/11/05

貴婦人と一角獣

lady_unico『貴婦人と一角獣』トレイシー・シュヴァリエ/木下哲夫訳(白水社/2005)は、中世(15世紀末)のパリとブリュッセルを舞台にしたとても面白い小説。
三部構成で各部に三人から四人の語り手が登場する。
パリのクリュニー美術館に展示されている六枚連作のタピスリーが小説のモチーフになっているのだが、その図柄が本の表紙や見返しに印刷されている。物語が進むつどそれらを何度も眺めることができるのがありがたい。ただし小説だけで独立してないという意味ではない。小説のなかのタピスリーだけでも、まったく不足はない。ただ、実際のタピスリーに作家がどんな空想を広げたかを確かめることも一興で、読書にはいろんな愉しみ方があるということだ。

本書を読んで辻邦生の『十二の肖像画による十二の物語』のことを思い出した。もっとも内容はほとんど忘れているので、実際はあまり似たところはないかもしれない。辻邦生はとてもすぐれた物語の作り手だと思うのだが、惜しむらくは色気に欠ける。
それに比べるとトレイシー・シュヴァリエという作家は、空想によって物語を紡ぐと同時に、そこに料理の臭いや、草花の汁気や、女の官能なんかを巧みに織り込む才能があるようだ。一言で言えば色気がある。
色気も善し悪しで、あまりしつこいのは好みではないが、本書はそのあたりの塩梅が絶妙で感心させられた。
この作家、昨今、映画にもなった『真珠の耳飾りの少女』で世評が高い。わたしは今回はじめて読んだ。たしかにいい作家だと思う。オフィシャル・サイト(ここ)に写真があるが、感じのいい女の人だ。略歴をみると、小説は夜間のクリエイティヴ・ライティングのクラスで勉強したとある。
そういえば、内田樹さんも大学にクリエイティヴ・ライティングのプログラムを持ち込むのが宿願だと先日書いておられたな。(ここ)
たぶん、こういう発想というのはまだ反感を持つ人もいるような気がするのだが、わたしは、大学の文学部に小説の書き方を教えるコースがあるというのは、すごく素敵なことじゃないかなぁと思っている。
まあ、要は、そこからどんな作物が収穫できるかということなわけで。

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2005/11/03

抜粋黒板/窪田空穂

岩井聡さんのブログ「単独者の日記」(ここ)で紹介されていた『窪田空穂歌文集』(講談社文芸文庫/2005)から。以下のごく短い文章に、深く納得するものがある。全部、引用する。

歌の形式

三十一音の歌が好きで、永いあいだ、読みもし作りもしたが、飽かずに来た。然し、三十一音という形式がなぜ好きだかということは、あまり考えもしず、考えてみても分からなかった。好きだから好きだという位でいた。言って見れば嘘のようで、本当の事であった。此の頃になって漸くはっきり分かって来た。委しく云おうとすれば少しは云えるが、分かって見るとそれにも及ばない程何でもない事である。一と口にいうと緊張した心は、定まった形式を要求するものである。三十一音の歌は、心持が或る程度まで緊張して来ると、最も手頃な形式となって来るものだという事である。それだけの事である。
三十一音を短か過ぎるとする人も、長すぎるとする人も、何れも心持の緊張の程度からいう事である。長すぎるという人には耳を傾けるべきであるが、短か過ぎるという人は、それだけの程度の緊張をも持たない人で、与しがたい人である。(大正九・一「国民文学」)
『窪田空穂歌文集』
(講談社文芸文庫)p.200

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2005/11/02

青いドレスの女

角川の「短歌」11月号で、思わず笑った一首。作者は「りとむ」の三枝昂之さん。
 
  衆院選は9月11日

  他の輩のことはさておき権力がやはり好きだった猪口邦子  

一昨日の新閣僚の認証式でもやはり猪口邦子で一首おつくりになったかなあ。いや、もうアホくさくて短歌にもならんと憮然としておられたのではないか、と拝察いたします。いやそれにしてもすごい格好であったな、猪口邦子。権力の事はさておき青のドレスが好きなことは間違いない。
青いドレスの女といえば、日本では、お水取りの東大寺修二会の過去帳朗読が有名ですが、(「青衣(しょうえ)の女人」)あれは、たしか亡霊であった。

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2005/11/01

怒ってるの?メグ・ライアン

マイケル・ホフマン監督の「恋の闇 愛の光」は、王政復古期のイギリス(1660年代)を舞台にしたけっこう面白い映画で、日本では1996年の公開。原題は「王政復古」の"restoration"なんですが、この言葉に主人公の運命を暗示するいくつかの意味をかけている。しかし邦題、「恋の闇 愛の光」ねぇ・・・・。(溜め息)
まともな神経の人は見に来るなと云っているも同然の題名だなあ。なんとかならんのか、最近の映画の配給会社。
映画自体の出来はさほどでもないが、アカデミーの美術賞と衣装デザイン賞をとってますので、最初からそのあたりを狙った映画なのかな。まあ、 そのあたりも見事でしたが、いま見て面白いのは脇役のキャスティングですね。ガンダルフのイアン・マッケランでしょ、ルーピン先生のデヴィッド・シューリスでしょ、シスの暗黒卿のイアン・マクディアミッドでしょ、メガヒットの映画のキャラクターが別の表情で登場するのがなんか面白いのであります。ヒュー・グラントも出ているのですが、これがまた、カツラとメイクでまるで正体がわからないのがおかしい。

メグ・ライアンもアイルランドの狂女の役で出ています。
そういえば、メグ・ライアンってご先祖はどこの国の人なんだろうと、IMDbなんかも見てみましたが、よくわかりませんね。しかし、おもしろいことに、彼女の名前 MEG RYAN ってアナグラムにすると GERMANY になるんだって。へえ、でもドイツ系ってことはなさそうな気がするけどなあ。
おかしいのは別のアナグラムで、こういうの。
ANGRY ME?

映画のなかでメグ・ライアンが言う台詞にこういうのがあった。
You know, in Ireland a man with a horse, a cart and a book he knows how to read is the catch of the county.
いいぞ、その心意気だ。だからアイルランド人って好きさ。(笑)

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10月に読んだ本

『回想のビュイック8(上)』スティーヴン・キング/白石朗訳(新潮文庫/2005)
『住宅顕信全俳句集全実像—夜が淋しくて誰かが笑いはじめた』 池畑秀一監修(小学館/2003)
『考える短歌—作る手ほどき、読む技術』俵万智(新潮新書/2004)
『回想のビュイック8(下)』スティーヴン・キング/白石朗訳(新潮文庫/2005)
『CDブック声で楽しむ「平家物語」名場面』鈴木まどか(講談社/2004)
『フランス7つの謎』小田中直樹(文春新書/2005)
『スピノザの世界—神あるいは自然』上野修(講談社現代新書/2005)
『花づとめ』安東次男(読売新聞社/1974)
『川の司祭 十二の塔の物語』池内紀(マガジンハウス/1999)
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』アリステア・マクラウド/中野恵津子訳(新潮社/2005)
『地中海3 集団の運命と全体の動き2』フェルナン・ブローデル/浜名優美訳(藤原書店/1993)
『夏目金之助 ロンドンに狂せり』末延芳晴(青土社/2004)
『どぶどろ』半村良(扶桑社文庫/2001)
『大正俳壇史』村山古郷(角川書店/1980)
『英語でよむ万葉集』リービ英雄(岩波新書/2004)
『街のサンドイッチマン 作詞家宮川哲夫の夢』辻由美(筑摩書房/2005)

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10月に観た映画

マーサの幸せのレシピ(2001/ドイツ)
監督・脚本:サンドラ・ルッテルベック
出演:マルティナ・ゲデック、セルジオ・カステリット、マクシメ・フェルシテ

真夜中のサバナ(1997/アメリカ)
監督:クリント・イーストウッド
出演:ジョン・キューザック、ケビン・スペイシー、アリソン・イーストウッド

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