« バスラーの白い空から | トップページ | 十一月二十五日のこと如何に »

2005/11/23

桂信子と宇多喜代子

first_kusyu『第一句集を語る』(角川書店/2005)のなかの宇多喜代子の話から。
1970年、桂信子が結社「草苑」を立ち上げた。第一回目の句会を開くという話を聞いた宇多喜代子は、その句会に出てみることにした。

ところが、会場でどの人が桂信子か分からない。みんなが代わる代わる何かを持って行く人がいて、それが桂信子だろうと思ったら、当日の会計係の摂津よしこだった。そんななかで真ん丸な顔をして、お茶とお菓子を配る人がいたんです。お手伝いの人かなと思っていたのですが、いよいよ句会が始まったら、それが桂信子だった。呑気な話です。(笑)
「草苑」に入って十年目に宇多喜代子は第一句集『りらの木』を出した。1980年、四十五歳のときだ。

 父までの瓦礫を越えるりらの枝

宇多の父は軍人で、戦時に山西省できれいなりらの花を見たと言って、家の庭に植えた。その父が植えたりらの木が花を咲かせたということがこの句の背景にあるという。
序文を師匠の桂信子に頼んだ。「その心情は、案外古風で、オーソドックスなものが基盤となっている」と書いてくれた。序文のお礼を包んで行ったら、「これはお祝い」と言ってそのまま返してくれた。
そういう人柄だったのだな。

|

« バスラーの白い空から | トップページ | 十一月二十五日のこと如何に »

d)俳句」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23898/7282651

この記事へのトラックバック一覧です: 桂信子と宇多喜代子:

« バスラーの白い空から | トップページ | 十一月二十五日のこと如何に »